法(ほう)は最高(さいこう)の教えであったとしても、この法を聞く者の信心(しんじん)が問題(もんだい)であります。
この「聞く」と言う意味は、ただ単(たん)に耳で聞くということだけではなく、身口意(しんくい)の三業(さんごう)にわたって聞くといくことであります。 信心をしていると言っても、身口意の三業がバラバラでは信心を全(まっと)うしているとは言えなくなります。
私どもは、身口意の三業にわたってお題目(だいもく)を唱(とな)え奉(たてまつ)る時、はじめて「一りとして成仏せずということ無けん」との御金言(ごきんげん)を拝(はい)することが出来るわけであります。
(大白法 第一一七三号 五月度広布唱題会の砌)
この「聞く」と言う意味は、ただ単(たん)に耳で聞くということだけではなく、身口意(しんくい)の三業(さんごう)にわたって聞くといくことであります。 信心をしていると言っても、身口意の三業がバラバラでは信心を全(まっと)うしているとは言えなくなります。
私どもは、身口意の三業にわたってお題目(だいもく)を唱(とな)え奉(たてまつ)る時、はじめて「一りとして成仏せずということ無けん」との御金言(ごきんげん)を拝(はい)することが出来るわけであります。
(大白法 第一一七三号 五月度広布唱題会の砌)
RSSフィード