今日(こんにち)、世間を見ますと、末法五濁悪世(まっぽうごじょくあくせ)の世相そのままに、コロナ感染症などによって世界中が混沌(こんとん)
としておりますが、これらを仏法の鏡に照らして見るとき、『立正安国論』に、
「倩微管(つらつらびかん)を傾(かたむ)け聊(いささか)経文を披(ひら)きたるに、世(よ)皆正(しょう)に背(そむ)き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神(ぜんじん)国を捨てゝ相去(あいさ)り、聖人所を辞(じ)して還(かえ)らず。是(ここ)を以て魔(ま)来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる。言(い)はずんばあるべからず。恐(おそ)れずんばあるべからず」(御書二三四頁)
と仰(おお)せの如(ごと)く、「世(よ)皆 正(しょう) に背き人 悉 (ことごと)く悪(あく)に帰(き)す」すなわち間達った教え、つまり謗法(ほうぼう)の害毒によって様々な事件や障害が起きることを、我々はよくよく知るべきであります。
(大日連 令和三年三月号 二月度広布唱題会の砌)
としておりますが、これらを仏法の鏡に照らして見るとき、『立正安国論』に、
「倩微管(つらつらびかん)を傾(かたむ)け聊(いささか)経文を披(ひら)きたるに、世(よ)皆正(しょう)に背(そむ)き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神(ぜんじん)国を捨てゝ相去(あいさ)り、聖人所を辞(じ)して還(かえ)らず。是(ここ)を以て魔(ま)来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる。言(い)はずんばあるべからず。恐(おそ)れずんばあるべからず」(御書二三四頁)
と仰(おお)せの如(ごと)く、「世(よ)皆 正(しょう) に背き人 悉 (ことごと)く悪(あく)に帰(き)す」すなわち間達った教え、つまり謗法(ほうぼう)の害毒によって様々な事件や障害が起きることを、我々はよくよく知るべきであります。
(大日連 令和三年三月号 二月度広布唱題会の砌)