特に、本年は宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の記念すべき年であります。
されば、私どもは、
「総(そう)じて日蓮が弟子檀那(でしなんな)等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚(すいぎょ)の思(おも)ひを成(な)して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱(とな)へ奉(たてまつ)る処(ところ)を、生死一大事(しょうじいちだいじ)の血脈(けちみゃく)とは云(い)ふなり。然(しか)も今(いま)日蓮が弘通(ぐづう)する 処(ところ)の所詮是(しょせんこれ)なり。若(も)し然(しか)らば広宣流布(こうせんるふ)の大願(だいがん)も叶(かな)ふべき者か。」
(御書五一四頁)
との御金言を心肝に染め、講中一結(こうじゅういっけつ)・異体同心(いたいどうしん)の団結(だんけつ)をもって、一人でも多くの人に対して真心(まごころ)からの折伏を行じ、全世界の人々の幸せと恒久平和(こうきゅううへいわ)を実現すべく、いよいよ精進されますよう心から願い、本日の挨拶(あいさつ)といたします。
(大日連 令和三年三月号 二月度広布唱題会の砌)
されば、私どもは、
「総(そう)じて日蓮が弟子檀那(でしなんな)等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚(すいぎょ)の思(おも)ひを成(な)して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱(とな)へ奉(たてまつ)る処(ところ)を、生死一大事(しょうじいちだいじ)の血脈(けちみゃく)とは云(い)ふなり。然(しか)も今(いま)日蓮が弘通(ぐづう)する 処(ところ)の所詮是(しょせんこれ)なり。若(も)し然(しか)らば広宣流布(こうせんるふ)の大願(だいがん)も叶(かな)ふべき者か。」
(御書五一四頁)
との御金言を心肝に染め、講中一結(こうじゅういっけつ)・異体同心(いたいどうしん)の団結(だんけつ)をもって、一人でも多くの人に対して真心(まごころ)からの折伏を行じ、全世界の人々の幸せと恒久平和(こうきゅううへいわ)を実現すべく、いよいよ精進されますよう心から願い、本日の挨拶(あいさつ)といたします。
(大日連 令和三年三月号 二月度広布唱題会の砌)