立宗(りっしゅう)七百七十二年の新春(しんしゅん)を迎(むか)え、法華講連合会委員長(ほっけこうれんごうかいいいんちょう)・関野洋夫氏(せきのひろおし)をはじめ全国法華講員御一同(ぜんこくほっけこういんいちどう)には、清々(すがすが)しく新年(しんねん)をお迎(むか)えのことと存(ぞん)じます。
本年(ほんねん)「折伏前進(しゃくぶくぜんしん)の年(とし)」は、たとえ如何(いか)なる困難(こんなん)・障害(しょうがい)が惹起(じゃっき)しようとも、一支部(ひとしぶ)も残(のこ)すことなく、
講中一結(こうじゅういっけつ)・異体同心(いたいどうしん)の団結(だんけつ)をもって勇猛果敢(ゆうもうかかん)に大折伏戦(だいしゃくぶくせん)を展開(てんかい)し、広布達成(こうふたっせい)へ向(む)けて大(おお)きく前進(ぜんしん)し、
(中略)
御奉公(ごほうこう)の誠(まこと)を尽(つ)くしていかなければならない極(きわ)めて大事(だいじ)な年(とし)であります。
正(ただ)しく仏法(ぶっぽう)の鏡(かがみ)に照(て)らしてみる時(とき)、今日(こんにち)の混乱(こんらん)の原因(げんいん)は、邪義邪宗(じゃぎじゃしゅう)の謗法(ほうぼう)の害毒(がいどく)によるものであ
り、この謗法(ほうぼう)を対治(たいじ)し、一人(ひとり)でも多(おお)くの人が信仰(しんこう)の寸心(すんしん)を改(あらた)めて、速(すみ)やかに実乗(じつじょう)の一善(いちぜん)、即(すなわ)ち三大秘法(さんだいひほう)の大御本尊(だいごほんぞん)に帰依(きえ)することが、仏国土実現(ぶっこくどじつげん)の為(ため)には絶対不可欠(ぜったいふかけつ)な要件(ようけん)となるのであります。(中略)
五濁乱漫(ごじょくらんまん)とした末法濁悪(まっぽうじょくあく)の今日(こんにち)、この窮状(きゅうじょう)を救済(きゅうさい)する方途(ほうと)は、一人(ひとり)でも多(おお)くの人々(ひとびと)に対(たい)して妙法(みょうほう)を下種(げしゅ)し、正法(しょうほう)に帰依(きえ)せしむることであると仰(おお)せられているのであります。
抑(そもそも)も、世(よ)の中(なか)の苦悩(くのう)と不幸(ふこう)と混乱(こんらん)の原因(げんいん)は、間違(まちが)った教(おし)え、間違(まちが)った考(かんが)えにあるのです。邪義邪宗(じゃぎじゃしゅう)の謗法(ほうぼう)を退治(たいじ)しなければ、即(すなわ)ち破邪顕正(はじゃけんしょう)の折伏(しゃくぶく)を実行(じっこう)しなければ成仏得道(じょうぶつとくどう)はあり得(え)ないのであります。
されば、私共は大御本尊(だいごほんぞん)の広大無辺(こうだいむへん)なる功徳(くどく)を拝信(はいしん)し、各支部共(かくしぶとも)に講中(こうじゅう)の総力(そうりょく)を結集(けっしゅう)して大折伏戦(だいしゃくぶくせん)を展開(てんかい)し、全世界(ぜんせかい)の平和(へいわ)と全人類(ぜんじんるい)の幸(しあわ)せを実現(じつげん)すべく妙法広布(みょうほうこうふ)に邁進(まいしん)していくことが今(いま)こそ最(もっと)も肝要(かんよう)であります。
(大白法 第一一一六号 新年の辞)
本年(ほんねん)「折伏前進(しゃくぶくぜんしん)の年(とし)」は、たとえ如何(いか)なる困難(こんなん)・障害(しょうがい)が惹起(じゃっき)しようとも、一支部(ひとしぶ)も残(のこ)すことなく、
講中一結(こうじゅういっけつ)・異体同心(いたいどうしん)の団結(だんけつ)をもって勇猛果敢(ゆうもうかかん)に大折伏戦(だいしゃくぶくせん)を展開(てんかい)し、広布達成(こうふたっせい)へ向(む)けて大(おお)きく前進(ぜんしん)し、
(中略)
御奉公(ごほうこう)の誠(まこと)を尽(つ)くしていかなければならない極(きわ)めて大事(だいじ)な年(とし)であります。
正(ただ)しく仏法(ぶっぽう)の鏡(かがみ)に照(て)らしてみる時(とき)、今日(こんにち)の混乱(こんらん)の原因(げんいん)は、邪義邪宗(じゃぎじゃしゅう)の謗法(ほうぼう)の害毒(がいどく)によるものであ
り、この謗法(ほうぼう)を対治(たいじ)し、一人(ひとり)でも多(おお)くの人が信仰(しんこう)の寸心(すんしん)を改(あらた)めて、速(すみ)やかに実乗(じつじょう)の一善(いちぜん)、即(すなわ)ち三大秘法(さんだいひほう)の大御本尊(だいごほんぞん)に帰依(きえ)することが、仏国土実現(ぶっこくどじつげん)の為(ため)には絶対不可欠(ぜったいふかけつ)な要件(ようけん)となるのであります。(中略)
五濁乱漫(ごじょくらんまん)とした末法濁悪(まっぽうじょくあく)の今日(こんにち)、この窮状(きゅうじょう)を救済(きゅうさい)する方途(ほうと)は、一人(ひとり)でも多(おお)くの人々(ひとびと)に対(たい)して妙法(みょうほう)を下種(げしゅ)し、正法(しょうほう)に帰依(きえ)せしむることであると仰(おお)せられているのであります。
抑(そもそも)も、世(よ)の中(なか)の苦悩(くのう)と不幸(ふこう)と混乱(こんらん)の原因(げんいん)は、間違(まちが)った教(おし)え、間違(まちが)った考(かんが)えにあるのです。邪義邪宗(じゃぎじゃしゅう)の謗法(ほうぼう)を退治(たいじ)しなければ、即(すなわ)ち破邪顕正(はじゃけんしょう)の折伏(しゃくぶく)を実行(じっこう)しなければ成仏得道(じょうぶつとくどう)はあり得(え)ないのであります。
されば、私共は大御本尊(だいごほんぞん)の広大無辺(こうだいむへん)なる功徳(くどく)を拝信(はいしん)し、各支部共(かくしぶとも)に講中(こうじゅう)の総力(そうりょく)を結集(けっしゅう)して大折伏戦(だいしゃくぶくせん)を展開(てんかい)し、全世界(ぜんせかい)の平和(へいわ)と全人類(ぜんじんるい)の幸(しあわ)せを実現(じつげん)すべく妙法広布(みょうほうこうふ)に邁進(まいしん)していくことが今(いま)こそ最(もっと)も肝要(かんよう)であります。
(大白法 第一一一六号 新年の辞)