5月19日顕正会の全国拠点70ヶ所を一斉折伏
会長・浅井昭衛は妻と犬を盾(たて)に立て籠もり!
顕正会の教学は「言った、言わない」が中心の低レベル。
去る慧妙記事令和元年6月1日号によると
五月十九日(日)、異流義団体「顕正会」の全国五十ヶ所の会館、及び判明している個人会館二十ヶ所、さらに会長・浅井昭衛宅に、理境坊所属妙観講の講員有志が、一斉に折伏に訪れた。
その結果、自らを”仏弟子の大集団”などと自賛している顕正会の実態は、たいした教学力もない、コケオドシの案山子(かかし)集団であったことが露呈(ろてい)したのである。以下、当日の模様をお伝えする。
五月十九日(日)、異流義団体「顕正会」の全国五十ヶ所の会館、及び判明している個人会館二十ヶ所、さらに会長・浅井昭衛宅に、理境坊所属妙観講の講員有志が、一斉に折伏に訪れた。
その結果、自らを”仏弟子の大集団”などと自賛している顕正会の実態は、たいした教学力もない、コケオドシの案山子(かかし)集団であったことが露呈(ろてい)したのである。以下、当日の模様をお伝えする。
女性講員の折伏から逃避(とうひ)した浅井
無慚無比(むざんむひ)な姿に怒髪天(どはつてん)を衝(つ)く
埼玉県さいたま市の浅井昭衛宅を訪問したのは、妙観講講頭の名代(みょうだい)として認証幹事の中林由子支部長、さらに原麻木子部長、榎木富美子班長の女性三名(いちおう個人宅への訪問である故、間違っても威圧と感じさせないよう、女性だけで訪問する、という配慮をした)
浅井は三月二十七日の総幹部会の席上、顕正会員が浅井の家と知らずに折伏に来てくれるかもしれない、などと言って大爆笑していたので、か弱い女性が折伏に行けば、あるいは本人と話ができるのでは、との期待を懐(いだ)いての訪問であったのだが浅井の邸宅(!)に着いて門前のインターフォンを押すと、浅井夫人が出たので、
「浅井センセーにぜひ、お会いしたいのですが」
「センセーにお渡ししたい物(※紙袋に包んだ顕正会の破折本)もございます」
と告げると、インターフォンの向こうで
浅井が婦人に
「誰?」
と言っているのが聞こえる。浅井は在宅中なのだ。
夫人が「お待ちくださーい」と言って出てくるのを待つ間、こちらの三名は
「あ、センセーは中にいらっしゃいますね」
「ああ、よかったです。ぜひ、センセーが出てきてくださるといいですね」
等と期待が高まっていく。その間も、つながったままのインターフォン越しに、浅井が夫人に何事か指示している声が聞こえる。
やがて足音が聞こえ、浅井夫人が携帯電話を耳にあて、(家の中の浅井からの指示を受けながら顔を出した。門扉の下からは番犬が顔を出して激しく吠えている。
こちらが名乗って、浅井への取り次ぎを願うと、夫人はどちらの組織の方ですか?」と繰り返す。犬の鳴き声がやかましくて、互いになかなか声が届かないが、やがて、こちらから妙観講を代表して
「センセーを折伏しにまいりました。」
と言ったとたん
「あ!」
と言って後ずさりし、
「けっこうです!」
と見えにくい位置まで下がってしまいました。
原部長が
「奥様、センセーがいらっしゃることはわかっているんです。逃げないでくださいよ」
と声をかけ、榎木班長が
「ぜひセンセーにお会いしたいんです。逃げてしまうんですか!?」
と声をかけると夫人は
「いえ、逃げることはありません!!」
と言い返してくるのだが、榎木班長が間髪(かんぱつ)を容(い)れずに
「だったら、ここで待っていますから」
と言うと、
「けっこうです!!」
と完全拒絶。
そのまま家の中に逃げ込んでしまった。
やむなく原部長が再びインターフォンを押し、
「センセー、その無慚(むざん)無愧(むき)なお姿に、怒髪(どはつ)天を衝(つ)くような怒りが込み上げています!」
と言えば、榎木班長も
「もう全身が溶鉱炉の中で燃えたぎる思いです!」
と言って、顕正会が好んで使う言い回しで浅井の逃避を攻め、最後に中林支部長が
「浅井センセーが妙観講の折伏にお逃げになった、と断定いたします。くれぐれもデタラメな報道はなさらないでください」
と念を押して、浅井宅への訪問折伏は終了となった。
浅井は三月二十七日の総幹部会の席上、顕正会員が浅井の家と知らずに折伏に来てくれるかもしれない、などと言って大爆笑していたので、か弱い女性が折伏に行けば、あるいは本人と話ができるのでは、との期待を懐(いだ)いての訪問であったのだが浅井の邸宅(!)に着いて門前のインターフォンを押すと、浅井夫人が出たので、
「浅井センセーにぜひ、お会いしたいのですが」
「センセーにお渡ししたい物(※紙袋に包んだ顕正会の破折本)もございます」
と告げると、インターフォンの向こうで
浅井が婦人に
「誰?」
と言っているのが聞こえる。浅井は在宅中なのだ。
夫人が「お待ちくださーい」と言って出てくるのを待つ間、こちらの三名は
「あ、センセーは中にいらっしゃいますね」
「ああ、よかったです。ぜひ、センセーが出てきてくださるといいですね」
等と期待が高まっていく。その間も、つながったままのインターフォン越しに、浅井が夫人に何事か指示している声が聞こえる。
やがて足音が聞こえ、浅井夫人が携帯電話を耳にあて、(家の中の浅井からの指示を受けながら顔を出した。門扉の下からは番犬が顔を出して激しく吠えている。
こちらが名乗って、浅井への取り次ぎを願うと、夫人はどちらの組織の方ですか?」と繰り返す。犬の鳴き声がやかましくて、互いになかなか声が届かないが、やがて、こちらから妙観講を代表して
「センセーを折伏しにまいりました。」
と言ったとたん
「あ!」
と言って後ずさりし、
「けっこうです!」
と見えにくい位置まで下がってしまいました。
原部長が
「奥様、センセーがいらっしゃることはわかっているんです。逃げないでくださいよ」
と声をかけ、榎木班長が
「ぜひセンセーにお会いしたいんです。逃げてしまうんですか!?」
と声をかけると夫人は
「いえ、逃げることはありません!!」
と言い返してくるのだが、榎木班長が間髪(かんぱつ)を容(い)れずに
「だったら、ここで待っていますから」
と言うと、
「けっこうです!!」
と完全拒絶。
そのまま家の中に逃げ込んでしまった。
やむなく原部長が再びインターフォンを押し、
「センセー、その無慚(むざん)無愧(むき)なお姿に、怒髪(どはつ)天を衝(つ)くような怒りが込み上げています!」
と言えば、榎木班長も
「もう全身が溶鉱炉の中で燃えたぎる思いです!」
と言って、顕正会が好んで使う言い回しで浅井の逃避を攻め、最後に中林支部長が
「浅井センセーが妙観講の折伏にお逃げになった、と断定いたします。くれぐれもデタラメな報道はなさらないでください」
と念を押して、浅井宅への訪問折伏は終了となった。
法務部長・藤村の非常識発言
顕正会の教学レベルに呆(あき)れる
同時刻、さいたま市の顕正会本部を訪問したのは、佐藤公治部長、内山真由美支区幹事、芳賀則彦支区幹事ら五名。
受付で「折伏に来ました。浅井会長、もしくは責任者の方と話がしたい」と伝え、ロビーで待っていると、責任者として出てきたのは、副教学部長・法務部長の肩書を持つ、弁護士の藤村雄大(ゆうた)だった。
藤村は、顕正会批判のリーフレットを配布した末寺を訴えるなどして、目下、『顕正会新聞』紙上で売り出し中のエリート?幹部である。
ところが、この藤村、会館から離れた場所に五人を移動させ、口を開いたとたん
「話がしたいなら俺が相手をしてやる。お前達から話をしたいとお願いしてきたのだから、ここで土下座しろ! それが礼儀だ!」
などと喚(わめ)きだした。このトンデモ発言に驚き、こちらが、
「弁護士のくせに、そんな非常識なことを本気で言っているのか」
と糾(ただ)しても、
「お前達がお願いしに来たんだから当然だろうっ!」
と喚き続ける。
日蓮正宗の寺院では、顕正会員らが「法論しろ」と押しかけてきても、土下座など要求することはないのに、何たる非常識さ、この狂乱ぶりを見れば、顕正会の幹部というのが、まともな人間としての対話もできなくなった、異常な連中であることがわかろうというものだ。この時、顕正会側は十名程いたが、誰も発言することなく睨(にら)んでいるだけで、まくし立てているのは藤村ただ一人だけ、やがて藤村は、
「猊下が御遺命違背の言葉を言っていたらどうする? それがあったら妙観講もやめろ」
と言って、昭和四十年一月の学会機関誌『大白蓮華』を出し、
「この言葉(日達上人が『大白蓮華』に「いまや広宣流布」と述べた御言葉)が間違っているか、いないか、どっちだ、昭和四十七年に、未だ広宣流布でないと決した訓諭は、この四十年の発言を撤回したのか!では、四十年の発言は間違っていた、と認めるな!?」
と、一点突破を狙い、これを延々と繰り返し始めた。
そこで、妙観講が
「昭和四十七年の訓諭以前の言葉をいくら集めても無駄である。訓諭こそ、宗門の公式な最終決定なのだから、また、浅井自身、昭和四十年当時に『すでに広宣流布の時は来ている』と言っているではないか」
と破折し、証拠の資料も見せつけたが、藤村は都合の悪い話には全く聞く耳を持たず、自らの主張を繰り返しまくし立てるだけ、まるで壊れたテープレコーダーのごとくであった。
これが、浅井の肝(きも)入りで新設された教学部の副部長のレベルなのだから、顕正会の教学力の底が知れる、というものではないか。
受付で「折伏に来ました。浅井会長、もしくは責任者の方と話がしたい」と伝え、ロビーで待っていると、責任者として出てきたのは、副教学部長・法務部長の肩書を持つ、弁護士の藤村雄大(ゆうた)だった。
藤村は、顕正会批判のリーフレットを配布した末寺を訴えるなどして、目下、『顕正会新聞』紙上で売り出し中のエリート?幹部である。
ところが、この藤村、会館から離れた場所に五人を移動させ、口を開いたとたん
「話がしたいなら俺が相手をしてやる。お前達から話をしたいとお願いしてきたのだから、ここで土下座しろ! それが礼儀だ!」
などと喚(わめ)きだした。このトンデモ発言に驚き、こちらが、
「弁護士のくせに、そんな非常識なことを本気で言っているのか」
と糾(ただ)しても、
「お前達がお願いしに来たんだから当然だろうっ!」
と喚き続ける。
日蓮正宗の寺院では、顕正会員らが「法論しろ」と押しかけてきても、土下座など要求することはないのに、何たる非常識さ、この狂乱ぶりを見れば、顕正会の幹部というのが、まともな人間としての対話もできなくなった、異常な連中であることがわかろうというものだ。この時、顕正会側は十名程いたが、誰も発言することなく睨(にら)んでいるだけで、まくし立てているのは藤村ただ一人だけ、やがて藤村は、
「猊下が御遺命違背の言葉を言っていたらどうする? それがあったら妙観講もやめろ」
と言って、昭和四十年一月の学会機関誌『大白蓮華』を出し、
「この言葉(日達上人が『大白蓮華』に「いまや広宣流布」と述べた御言葉)が間違っているか、いないか、どっちだ、昭和四十七年に、未だ広宣流布でないと決した訓諭は、この四十年の発言を撤回したのか!では、四十年の発言は間違っていた、と認めるな!?」
と、一点突破を狙い、これを延々と繰り返し始めた。
そこで、妙観講が
「昭和四十七年の訓諭以前の言葉をいくら集めても無駄である。訓諭こそ、宗門の公式な最終決定なのだから、また、浅井自身、昭和四十年当時に『すでに広宣流布の時は来ている』と言っているではないか」
と破折し、証拠の資料も見せつけたが、藤村は都合の悪い話には全く聞く耳を持たず、自らの主張を繰り返しまくし立てるだけ、まるで壊れたテープレコーダーのごとくであった。
これが、浅井の肝(きも)入りで新設された教学部の副部長のレベルなのだから、顕正会の教学力の底が知れる、というものではないか。
顕正会弁護士として、"売り出し中"の藤村だが、その言動は、弁護士とは思えぬ高慢で異常なものだった(上は『顕正新聞』第1428号)
指示文書を読むだけの副教学部長
常軌逸(じょうきいっ)した狂態(きょうたい)に一般人が一一〇番
教学部といえば、神奈川会館を訪問した佐藤直子支区幹事、高木久美支区幹事、本間秀子班長ら女性三人が責任者の野口某と公園に移動して話しているところに、教学部副部長だという伊東信昭が駆け付けてきた。
伊東は、本紙四月一日号で報じられたように、東京・広説寺に押しかけて法論を挑んだものの、まったく教学力のないことが露呈してしまった御仁。
この伊東、顕正会本部からファックスされたA4サイズの指示文書を取り出し、大声で「宗門や妙観講で発行した書物の内容と、大聖人の仰(おお)せや昭和三十九年以前の御歴代上人の仰せが違っていたら、一切の役職を返上し活動停止できるのか!?責任を取れるのか!?」などと、繰り返し読み上げ始めた(今後の宗門対策・妙観講対策として考え出した論法らしく、まだ伊東本人も暗記していなかった)。
佐藤支区幹事が、「その内容も聞かずに話に応じることはできない」と答えると、伊東はさらに大声を張り上げ、「責任は取れないのですね! それなら会館に来るな! 謝罪文を今ここで書け!」などと、顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。その、あまりにも常軌を逸した様子に、公園にいた親子連れが危険を感じて警察に通報。警官八人が出動してくる騒ぎとなった。
だが、常識がないのか、自分を省みることができないのが、伊東は警察官が来てもなお、
「私が埼玉からわざわざ来たのに話に応じない。責任を取れない、おかしいじゃないか。謝罪文を書きなさい」
などと言い続ける。
そのうちに、こちらが渡しておいた本紙四月一日号に自分のことが載っているのを見て、伊東は、感情的に警察官に「これは私のことですよ! 内容が全く嘘ばかりだ!」などと弁明を始め、警察官をすっかり辟易(へきえき)させた。
結局、伊東は最後まで同じことを喚き続けて終わったが、こんな男が副部長に任ぜられた「きょうがくぶ」とは、驚愕部もしくは狂学部と云うのが相応(ふさわ)しいかろう。
伊東は、本紙四月一日号で報じられたように、東京・広説寺に押しかけて法論を挑んだものの、まったく教学力のないことが露呈してしまった御仁。
この伊東、顕正会本部からファックスされたA4サイズの指示文書を取り出し、大声で「宗門や妙観講で発行した書物の内容と、大聖人の仰(おお)せや昭和三十九年以前の御歴代上人の仰せが違っていたら、一切の役職を返上し活動停止できるのか!?責任を取れるのか!?」などと、繰り返し読み上げ始めた(今後の宗門対策・妙観講対策として考え出した論法らしく、まだ伊東本人も暗記していなかった)。
佐藤支区幹事が、「その内容も聞かずに話に応じることはできない」と答えると、伊東はさらに大声を張り上げ、「責任は取れないのですね! それなら会館に来るな! 謝罪文を今ここで書け!」などと、顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。その、あまりにも常軌を逸した様子に、公園にいた親子連れが危険を感じて警察に通報。警官八人が出動してくる騒ぎとなった。
だが、常識がないのか、自分を省みることができないのが、伊東は警察官が来てもなお、
「私が埼玉からわざわざ来たのに話に応じない。責任を取れない、おかしいじゃないか。謝罪文を書きなさい」
などと言い続ける。
そのうちに、こちらが渡しておいた本紙四月一日号に自分のことが載っているのを見て、伊東は、感情的に警察官に「これは私のことですよ! 内容が全く嘘ばかりだ!」などと弁明を始め、警察官をすっかり辟易(へきえき)させた。
結局、伊東は最後まで同じことを喚き続けて終わったが、こんな男が副部長に任ぜられた「きょうがくぶ」とは、驚愕部もしくは狂学部と云うのが相応(ふさわ)しいかろう。
本紙4月1日号で教学力のなさを暴かれた伊東は、大声で喚き散らし、恐怖を感じた一般市民に110番通報された
顕正会員が大声で喚く理由!?
馬鹿げた我見(がけん)教学を笑うべし
この伊東のように、折伏対論の場で喚き散らす顕正会の狂態が、いったいどこから出てくるのか、それがわかったのは新潟の三条会館への訪問の際だった。
三条会館へは、松尾一広支区幹事と女性の班長三人が訪問し、
「折伏にまいりました。責任者の方をお願いします」
と申し入れた。
「会館には入らないというので、「近くのファミレスで話そう」と提案したのだが、顕正会側は「あそこは混んでいるからダメだ」
と強く拒否、近くの駐車場で話すこととなった。そして話の中で顕正会側が言ったことは、
「御金言に、大音声(だいおんじょう)を出して破折せよ、とあるから、法論では大声で話さなければいけないのだ!(だから、こちらとファミレスで話すのは都合が悪い)」
という、何とも馬鹿げた信条だったのである。
なるほど『御講聞書』には「南無妙法蓮華経の大音声を出して諸経諸宗を対治すべし」
(御書 一八五五頁)
とあるが、それは『御義口伝』に
「大音声とは、権経は小音声、法華経は大音声なり。二十八品は小音声、題目は大音声なり。総(そう)じて大音声とは大は法界なり。法界の衆生の言語を妙法の音声と沙汰するを大音声とは云ふなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱えるは大音声なり」
(御書 一七五三頁)
と仰せのように、至極の真理たる妙法を唱え、また説くことを「大音声」というのであって、大声を張り上げて騒ぐことをいうのではない。
さすが御書を持たない顕正会、浅井から教えられることだけを御金言だと思って信ずるから、こんな馬鹿げた話が飛び出してくる。あまりのおかしさに、講員側は笑いを堪(こら)えるのが大変だったという。
三条会館へは、松尾一広支区幹事と女性の班長三人が訪問し、
「折伏にまいりました。責任者の方をお願いします」
と申し入れた。
「会館には入らないというので、「近くのファミレスで話そう」と提案したのだが、顕正会側は「あそこは混んでいるからダメだ」
と強く拒否、近くの駐車場で話すこととなった。そして話の中で顕正会側が言ったことは、
「御金言に、大音声(だいおんじょう)を出して破折せよ、とあるから、法論では大声で話さなければいけないのだ!(だから、こちらとファミレスで話すのは都合が悪い)」
という、何とも馬鹿げた信条だったのである。
なるほど『御講聞書』には「南無妙法蓮華経の大音声を出して諸経諸宗を対治すべし」
(御書 一八五五頁)
とあるが、それは『御義口伝』に
「大音声とは、権経は小音声、法華経は大音声なり。二十八品は小音声、題目は大音声なり。総(そう)じて大音声とは大は法界なり。法界の衆生の言語を妙法の音声と沙汰するを大音声とは云ふなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱えるは大音声なり」
(御書 一七五三頁)
と仰せのように、至極の真理たる妙法を唱え、また説くことを「大音声」というのであって、大声を張り上げて騒ぐことをいうのではない。
さすが御書を持たない顕正会、浅井から教えられることだけを御金言だと思って信ずるから、こんな馬鹿げた話が飛び出してくる。あまりのおかしさに、講員側は笑いを堪(こら)えるのが大変だったという。
警察官が立ち会う形で対論
最後は敗北を認(みと)め「帰れ」コール
一方、顕正会側は大声を出したくても出せず、静かな「帰れ」コールしかできなかったのは、盛岡会館での折伏。
阿部理恵支区幹事、小林考二班長ら三人が訪問したところ、受付から「とにかく外で待ってくれ」と言われて待っていると、なんと最初から警察を呼んでしまうという慌(あわ)てぶり。
かくて、警察官二名の立ち合いのもと(警察官も訳がわからず困惑したものと思われるが)、責任者千枝某との対論が始まった。
千枝が「国立戒壇が大聖人の御遺命だ」
と言うので、阿部支区幹事と小林班長が
「国立という言葉は御書にない」
「国立というのは仏法用語ではなく、国が立てて国が管理するという意味だ」
等と破折した上で、昭和四十五年五月三日に
「国立戒壇不使用の御指南が発表された以降に、その御遺命を破壊したという本山に喜んで登山し、御開扉を受けて感涙を流しているのは、おかしくありませんか? 矛盾していますよね」
と糾弾したところ、千枝は反論不能に陥ってしまった。
さらに日達上人の御臨終を誹謗(ひぼう)してきたので、これを破折していったところ、人相の悪い男達五人が入ってきて
「これでオシマイ。帰れよ」
と言ってきたため、
「では、折伏に応じないということで、顕正会が間違っていた、負けを認める、ということでいいですね」
と言うと、なんと
「そうだ。だから帰れよ」
と敗北を認めてしまい、あとは静かな帰れコールの荒らしとなり終了となった。
かの塚原門答の際、本間六郎左衛門一党が立ち会ったために、念仏者らは狼藉(ろうぜき)を働けなかったというが、この盛岡会館では最初から警察官が立ち会ったために、狂乱・喧噪(けんそう)を招かず、顕正会敗北という結果にこぎつけたのであった。
阿部理恵支区幹事、小林考二班長ら三人が訪問したところ、受付から「とにかく外で待ってくれ」と言われて待っていると、なんと最初から警察を呼んでしまうという慌(あわ)てぶり。
かくて、警察官二名の立ち合いのもと(警察官も訳がわからず困惑したものと思われるが)、責任者千枝某との対論が始まった。
千枝が「国立戒壇が大聖人の御遺命だ」
と言うので、阿部支区幹事と小林班長が
「国立という言葉は御書にない」
「国立というのは仏法用語ではなく、国が立てて国が管理するという意味だ」
等と破折した上で、昭和四十五年五月三日に
「国立戒壇不使用の御指南が発表された以降に、その御遺命を破壊したという本山に喜んで登山し、御開扉を受けて感涙を流しているのは、おかしくありませんか? 矛盾していますよね」
と糾弾したところ、千枝は反論不能に陥ってしまった。
さらに日達上人の御臨終を誹謗(ひぼう)してきたので、これを破折していったところ、人相の悪い男達五人が入ってきて
「これでオシマイ。帰れよ」
と言ってきたため、
「では、折伏に応じないということで、顕正会が間違っていた、負けを認める、ということでいいですね」
と言うと、なんと
「そうだ。だから帰れよ」
と敗北を認めてしまい、あとは静かな帰れコールの荒らしとなり終了となった。
かの塚原門答の際、本間六郎左衛門一党が立ち会ったために、念仏者らは狼藉(ろうぜき)を働けなかったというが、この盛岡会館では最初から警察官が立ち会ったために、狂乱・喧噪(けんそう)を招かず、顕正会敗北という結果にこぎつけたのであった。
動執生疑(どうしゅうしょうぎ)を起こしてしまいました。
日達上人誹謗を破すと反論不能に
顕正会敗北がさらに明白になったのは、千葉県の旭会館での訪問折伏であった。
ここを訪れたのは、網中淳一班長、近岡俊太班長ら三人の班長で、まず責任者の篠塚某に対する折伏が始まった。
「大聖人は国立戒壇など仰せになられておらず、近代の四上人が時代背景に応じて一時的に使われただけだ」と言うと、篠塚はしどろもどろになって、早くも反論不能に。
そこへ男子部長の本内某が話に加わり、
「正本堂が御遺命の戒壇だ、と言っている文証があったらどうする?」
とマニュアルどおりの疑難を出してきたので、昭和四十七年四月の日達上人の訓諭の全文を読んであげて、正本堂が完成する時点で、未だ広宣流布といえないため正本堂を直ちに御遺命の戒壇とはされなかったのだ、これが宗門の公式な最終的決定である、それ以前の発言記録を出しても意味がない、と破折し、説明してやった。
そこへ、さらに管谷某という男が加わり、
「国立戒壇という語は御書になくても、その義がある」
とか
「国立といっても国家が管理・運営するわけではない」
と言ってきたので、
「御書には国立などという義もない」
「国立というのは、国家が管理・運営することだと広辞苑に出ていますよ。それでも、国家が管理・運営することじゃないというなら、それは日本語ではなく浅井語だ!」
と破折すると、返答に窮して、かなり応(こた)えた様子となる。
こちらから
「あなた達は浅井に騙(だま)されているんですよ。謀(たばか)られているんですよ! 謀り昭衛に!」
と責めると、木内は
「言い過ぎですよ。そんなひどいこと言わないでくださいよ!」
と泣き言を言い始めたので、
「皆さんが動執生疑(どうしゅうしょうぎ)を起こせるようにと、言っているんですよ」
と言うと、
「妙観講に動執生疑を起こしてしまいました」
と言う有り様に。
その後、日達上人の御臨終の相について誹謗してきたので、五月四日に行われた「顕正会破折講習会」のテキストを読んで聞かせると、全く反論不能になってしまい、最後は
「もういいから帰れ!」と言い出したので終了となった。
もはや顕正会の邪義が通用しないことは、誰の目にも明らかであるといえよう。
ここを訪れたのは、網中淳一班長、近岡俊太班長ら三人の班長で、まず責任者の篠塚某に対する折伏が始まった。
「大聖人は国立戒壇など仰せになられておらず、近代の四上人が時代背景に応じて一時的に使われただけだ」と言うと、篠塚はしどろもどろになって、早くも反論不能に。
そこへ男子部長の本内某が話に加わり、
「正本堂が御遺命の戒壇だ、と言っている文証があったらどうする?」
とマニュアルどおりの疑難を出してきたので、昭和四十七年四月の日達上人の訓諭の全文を読んであげて、正本堂が完成する時点で、未だ広宣流布といえないため正本堂を直ちに御遺命の戒壇とはされなかったのだ、これが宗門の公式な最終的決定である、それ以前の発言記録を出しても意味がない、と破折し、説明してやった。
そこへ、さらに管谷某という男が加わり、
「国立戒壇という語は御書になくても、その義がある」
とか
「国立といっても国家が管理・運営するわけではない」
と言ってきたので、
「御書には国立などという義もない」
「国立というのは、国家が管理・運営することだと広辞苑に出ていますよ。それでも、国家が管理・運営することじゃないというなら、それは日本語ではなく浅井語だ!」
と破折すると、返答に窮して、かなり応(こた)えた様子となる。
こちらから
「あなた達は浅井に騙(だま)されているんですよ。謀(たばか)られているんですよ! 謀り昭衛に!」
と責めると、木内は
「言い過ぎですよ。そんなひどいこと言わないでくださいよ!」
と泣き言を言い始めたので、
「皆さんが動執生疑(どうしゅうしょうぎ)を起こせるようにと、言っているんですよ」
と言うと、
「妙観講に動執生疑を起こしてしまいました」
と言う有り様に。
その後、日達上人の御臨終の相について誹謗してきたので、五月四日に行われた「顕正会破折講習会」のテキストを読んで聞かせると、全く反論不能になってしまい、最後は
「もういいから帰れ!」と言い出したので終了となった。
もはや顕正会の邪義が通用しないことは、誰の目にも明らかであるといえよう。
逃げまどう顕正会の幹部の醜態(しゅうたい)
これで広宣流布などできる筈(はず)なし
この他、あまりに傑作だったケースをいくつか紹介しておく、
板橋区常盤台にある東京会館では、
「責任者はいるが、今、対応できない」
というので、
「『顕正新聞』で無道心の妙観講と呼ばれている者が来ているのだから、喜んで対応してください」
と粘ると、
「やはり対応できない」
と言い続けるので、やむなく
「東京会館の責任者は妙観講の折伏から逃げた、と断定させていただきます」
と宣言すると、対応した会員は弱々しく
「そういうことで、ハイ・・・・」
と答えて、終了。
興福寺法華講と妙観講の混合編成で訪問した広島会館では、黒スーツに鶴丸バッジを付けた西田某という婦人部が、「責任者は不在です」
と答えたが、この西田こそが広島会館の責任者であった、という笑える話も。
名古屋会館では、
「妙観講です。折伏に来ました」
と名乗ると、中村某という隊長が
「わあー来た!」
と悲鳴を上げ、
「責任者はいません。お帰りください」
と言いながら、じつは中村自身が名古屋会館の責任者で、
「意味がないのです。お帰りください」「意味がないですから。けっこうです」
と言って遁走(とんそう)してしまった。
秋田県の鷹巣会館では、責任者の伊藤某が
『本部から妙観講とは話をしないように言われている」
として「お帰り下さい」を繰り返すので、
「では帰りますが、顕正会では妙観講の折伏に対応できずに逃げた、と断定しますが、よろしいですか」
と聞くと、
「それでもかまいません」
と、そして、
「顕正会が妙観講を破折したなどと、事実と違う報道をするのはやめるよう、浅井さんに伝えてください」
と言うと、
「そのまま本部に伝えます」
と約束したのである。
さらに京都会館では、出てきた男子部の井上某が「浅井会長と大草講頭との法論の実現を上に進言する」と約束したが、これで井上の首が飛ぶのではないかと、心配になるところではある。
また、千葉会館で出てきた支隊長の富高某は、とっくに後世の贋作(がんさく)と判明している大坊棟札の裏書きを出してきて、天母山戒壇を証明しようとしたが、
「それは日亨上人も否定されている徳川時代のものだ。そのように日亨上人が確かに
否定されている。とわかったら顕正会を脱会するか!?」
と問うと、
「やめる」
と約束。日亨上人の「徳川時代のもの」という直筆コピーを見せると、しばし沈黙してしまった。そして、
「次回、回答する」
と言ったのだが、もはや結論の出ていることなので、すみやかに勧誡を受ける準備を進める方がよかろう。
最後に金沢会館では、さまざまな顕正会の邪難や言い訳を破折した後、さらに彼らが
「顕正会は浅井センセーのもと、御遺命の国立戒壇に向けて必ず広宣流布する」
と大見得を切ったので、
「顕正会には、絶対広宣流布などできない。それは大聖人の仏法を信仰している団体ではないからだ、それどころか、下種三宝に対する誹謗・悪口を正信・正行と嘯(うすぶ)く、大謗法の集団である、浅井と顕正会の様々な大謗法行為は、我が正法・正義によってことごとく破折し、その邪(よこしま)な野望を必ず阻止する。唯授一人の御歴代上人を誹謗しておいて、自分達こそ大聖人の御意に適(かな)っている、と嘯いた個人・団体が懺悔(ざんげ)
の念無くして、後日、大御本尊様を拝することは、過去の歴史からけっして無い。そのことを肝に銘じておけ」
と断定して終了した。
板橋区常盤台にある東京会館では、
「責任者はいるが、今、対応できない」
というので、
「『顕正新聞』で無道心の妙観講と呼ばれている者が来ているのだから、喜んで対応してください」
と粘ると、
「やはり対応できない」
と言い続けるので、やむなく
「東京会館の責任者は妙観講の折伏から逃げた、と断定させていただきます」
と宣言すると、対応した会員は弱々しく
「そういうことで、ハイ・・・・」
と答えて、終了。
興福寺法華講と妙観講の混合編成で訪問した広島会館では、黒スーツに鶴丸バッジを付けた西田某という婦人部が、「責任者は不在です」
と答えたが、この西田こそが広島会館の責任者であった、という笑える話も。
名古屋会館では、
「妙観講です。折伏に来ました」
と名乗ると、中村某という隊長が
「わあー来た!」
と悲鳴を上げ、
「責任者はいません。お帰りください」
と言いながら、じつは中村自身が名古屋会館の責任者で、
「意味がないのです。お帰りください」「意味がないですから。けっこうです」
と言って遁走(とんそう)してしまった。
秋田県の鷹巣会館では、責任者の伊藤某が
『本部から妙観講とは話をしないように言われている」
として「お帰り下さい」を繰り返すので、
「では帰りますが、顕正会では妙観講の折伏に対応できずに逃げた、と断定しますが、よろしいですか」
と聞くと、
「それでもかまいません」
と、そして、
「顕正会が妙観講を破折したなどと、事実と違う報道をするのはやめるよう、浅井さんに伝えてください」
と言うと、
「そのまま本部に伝えます」
と約束したのである。
さらに京都会館では、出てきた男子部の井上某が「浅井会長と大草講頭との法論の実現を上に進言する」と約束したが、これで井上の首が飛ぶのではないかと、心配になるところではある。
また、千葉会館で出てきた支隊長の富高某は、とっくに後世の贋作(がんさく)と判明している大坊棟札の裏書きを出してきて、天母山戒壇を証明しようとしたが、
「それは日亨上人も否定されている徳川時代のものだ。そのように日亨上人が確かに
否定されている。とわかったら顕正会を脱会するか!?」
と問うと、
「やめる」
と約束。日亨上人の「徳川時代のもの」という直筆コピーを見せると、しばし沈黙してしまった。そして、
「次回、回答する」
と言ったのだが、もはや結論の出ていることなので、すみやかに勧誡を受ける準備を進める方がよかろう。
最後に金沢会館では、さまざまな顕正会の邪難や言い訳を破折した後、さらに彼らが
「顕正会は浅井センセーのもと、御遺命の国立戒壇に向けて必ず広宣流布する」
と大見得を切ったので、
「顕正会には、絶対広宣流布などできない。それは大聖人の仏法を信仰している団体ではないからだ、それどころか、下種三宝に対する誹謗・悪口を正信・正行と嘯(うすぶ)く、大謗法の集団である、浅井と顕正会の様々な大謗法行為は、我が正法・正義によってことごとく破折し、その邪(よこしま)な野望を必ず阻止する。唯授一人の御歴代上人を誹謗しておいて、自分達こそ大聖人の御意に適(かな)っている、と嘯いた個人・団体が懺悔(ざんげ)
の念無くして、後日、大御本尊様を拝することは、過去の歴史からけっして無い。そのことを肝に銘じておけ」
と断定して終了した。
顕正新聞紙上では、妙観講を「無智・無道心」と見下したものの、いざ訪問を受けると、顕正会幹部は逃げ惑うばかり
理解し難(がた)い「個人会館」の実態(じったい)
やはり顕正会はコケオドシの案山子(かかし)
主なところを挙げて紹介したが、会長・浅井昭衛の遁走や副教学部長どもの醜態を見れば、他の会館におけるレベルも推して知るべし、であるから省略する。
また、全国二十ヶ所の個人会館であるが、こちらは行ってみて驚いた。ただのアパートの一室で、それも、本人不在で未入会の家族しかいなかったり、すでに引っ越してしまって、連絡もつかなかったり、というケースが多く、実際に会うことができたのは、わずか五軒だけ、というお粗末さ。
そもそもアパートの一室を「会館」などと呼び、非会員の家族と暮らす部屋を活動拠点として認める感覚は、とうてい理解し難いものである。「ハッタリ」「コケオドシ」の語が脳裏に浮かんだ。
以上、今回の一斉折伏によって判明した顕正会の実態は、彼らが演出するような巨大な組織などではなく、冒頭にも述べたとおりの、コケオドシの案山子(かかし)集団であった。
彼らの教学というのも、本筋の教義ではなく、単なる「言った、言わない」論を、勇ましく(?)捲(まく)し立てる、というのが実際である。
したがって、きちんとしたガイドラインに沿って学べば、全法華講員が彼らの邪義・邪難を折り伏し、所属寺院を外護できることは疑いないところである。志(こころざし)ある法華講員の奮起が期待される。
また、全国二十ヶ所の個人会館であるが、こちらは行ってみて驚いた。ただのアパートの一室で、それも、本人不在で未入会の家族しかいなかったり、すでに引っ越してしまって、連絡もつかなかったり、というケースが多く、実際に会うことができたのは、わずか五軒だけ、というお粗末さ。
そもそもアパートの一室を「会館」などと呼び、非会員の家族と暮らす部屋を活動拠点として認める感覚は、とうてい理解し難いものである。「ハッタリ」「コケオドシ」の語が脳裏に浮かんだ。
以上、今回の一斉折伏によって判明した顕正会の実態は、彼らが演出するような巨大な組織などではなく、冒頭にも述べたとおりの、コケオドシの案山子(かかし)集団であった。
彼らの教学というのも、本筋の教義ではなく、単なる「言った、言わない」論を、勇ましく(?)捲(まく)し立てる、というのが実際である。
したがって、きちんとしたガイドラインに沿って学べば、全法華講員が彼らの邪義・邪難を折り伏し、所属寺院を外護できることは疑いないところである。志(こころざし)ある法華講員の奮起が期待される。