しっかりとお題目を唱えると、そのなかで満々(まんまん)たる勇気が涌いてくるのです。
言わば、我が身の当体(とうたい)が勇気となるのでありまして、お題目の功徳がそこに存することを、しっかりと私達は知らなければなりません。
ですから、例えば折伏に行く時、しっかりとお題目を唱えていくのです。お題目をしっかりと唱えて折伏に行けば、その広大無辺なる功徳によって、きちんと邪義を破折(はしゃく)することができるのです。
ところが、お題目が足りないと、一つ間違えると魔に負けてしまうことがあります。
負けなくとも、折伏が成就できないことがあるのです。
だから、お題目をしっかり唱えていくことによって、大聖人様の正しい教えが身に付いて、勇気となって相手の邪義をはっきりと破折(はしゃく)し、折伏することができるのであります。
この辺のところを、私達はしっかりと考えて行かなければならないと思います。
(令和三年五月十一日~二十日 拝読)
(御書要文二 第一期)
言わば、我が身の当体(とうたい)が勇気となるのでありまして、お題目の功徳がそこに存することを、しっかりと私達は知らなければなりません。
ですから、例えば折伏に行く時、しっかりとお題目を唱えていくのです。お題目をしっかりと唱えて折伏に行けば、その広大無辺なる功徳によって、きちんと邪義を破折(はしゃく)することができるのです。
ところが、お題目が足りないと、一つ間違えると魔に負けてしまうことがあります。
負けなくとも、折伏が成就できないことがあるのです。
だから、お題目をしっかり唱えていくことによって、大聖人様の正しい教えが身に付いて、勇気となって相手の邪義をはっきりと破折(はしゃく)し、折伏することができるのであります。
この辺のところを、私達はしっかりと考えて行かなければならないと思います。
(令和三年五月十一日~二十日 拝読)
(御書要文二 第一期)