1993年(平成5年)12月28日 - 日蓮正宗足立事務所開所式
足立事務所当時の様子
1994年(平成6年)12月16日 本修寺落慶入仏法要
2010年(平成22年)5月24日庫裏新築落慶法要
2013年(平成25年)12月4日 第2代住職 園田司道御尊師入院式
2019年12月1日 日顕上人墓参
(令和元年第3回支部登山) |
歴史1968年(昭和43年)4月20日 足立区の梅島に三宝山実修寺が建立。
1992年(平成4年)11月2日に当時の住職が創価学会側につき、日蓮正宗を離脱した。 吾妻橋妙縁寺預かり信徒として移籍。 1993年(平成5年)妙縁寺本修講結成。 1993年12月28日 第67世日顕上人の御発意により、現在地に160坪の土地と家屋が取得された。 1993年(平成5年)12月28日 - 日蓮正宗足立事務所開所式を行う。 事務所責任者:菅原信法御尊師 1994年(平成6年)12月16日 本修寺落慶入仏法要が行われる。 開基は日蓮正宗大石寺第67世御法主日顕上人。 初代御住職:菅原信法御尊師 2010年(平成22年) 5月24日 開創15周年記念法要ならびに庫裡新築落慶法要が行われる。 2013年12月4日 第2代住職に園田司道御尊師就任。 |
涌徳山本修寺落慶入仏法要の砌 第67世 日顕上人御指南
(平成6年12月16日)
本日は、当地に涌徳山本修寺を建立いたしまして、その落慶入仏法要を奉修いたした次第であります。
法華講連合会委員長・柳沢喜惣次氏ほか役員の方々、各寺のそれぞれの幹部の方々、また、この寺院における有縁の講中信徒御一同、大勢参詣をいたされまして、まことに盛大にこの法要を執り行うことができまして、仏祖三宝尊にも御高覧あそばされておることと拝察申し上げる次第であります。
当寺の建立に至る事情は、もう既に皆様方もよくお解りのことと思いますので、今さら申し上げることもありませんが、色々な状況のもとに当寺の信徒となった方々は、過去に様々な信仰の上からの苦難の道を歩かれたように思うのであります。考えれば、自分の帰命依止の寺院が思いもかけないような謗法の状態になるということは、その方々の身になってみなければ解らない、非常に苦しい気持ちがあったと思います。しかし、そのなかを二階堂講頭以下、多くの方が一致団結してその苦難を乗り越え、妙縁寺に集って、妙縁寺の住職・光久師の教導によってしばらくの間、正しい信心に基づいてこられました。私もそれを聞いて、この方々をなんとかしてあげたいということを思っておったのであります。そして、ある時に発意をいたしまして、できれば足立区内に一カ寺を新しく建立し、この方々の帰命依止の道場にしたいということを思った次第であります。
そのように思い立って間もなく、適当な土地が見つかりまして、とりあえず昨年の十二月に日蓮正宗出張所として発足し、担当者を決めて参詣の便宜を計ったのであります.
しかし、また、本来の目的は寺院の建立にありますので、色々な面からの妨害もあったようでありますが、それらも乗り越えて、本日ここに、立派に涌徳山本修寺として発足をすることになりました。ひとえに下種三宝尊の御高覧の上の、尊い御利益と拝するものであります。同時に、有縁の信徒一同の外護によって本日まで、出張所としての法灯を護持することができたのでありまして、これからは新しい寺院として発足をする次第でありますので、涌徳山本修寺という名称にふさわしい心をもって、これからも信心修行に邁進をしていただきたいと思うものであります。
さて、涌徳山というのは・「徳がわく」と書きます。皆様も御承知の、法華経の本門寿量品を説かれる直前に大地を破って出現した地涌の菩薩が、久遠以来の本法、寿量品の仏の悟られた法を正しく持って、釈尊在世の有縁の衆生を導くために出てこられました。そして、まず衆生の持っておる、釈尊の始成正覚の仏なる執着を打ち破り、久遠の本仏であるということを顕さんがために出現をされたわけであります。
さらに、その所持するところの法こそ、いわゆる「真浄の大法」であり、これは南無妙法蓮華経の五字・七字であるということが、大聖人様の御指南によって明らかに拝せられるのであります。
また、この菩薩の出現は、ただ単に在世の衆生の迷妄を打ち破るのみでなく、遠く未来の減後正像末の時代、特に末法の時代に至って、その万年の一切衆生を真浄大法に導き、救済するために出現されたのであります。しかも、妙法の五字・七字を持って出現をされたのでありますから、そこに一切衆生が救われるところの大きな仏の徳が存するのであります。
それを「涌徳山」という名称において、本門の意義の上から山号としたのであります。 また、本修寺というのは、字でお解りのように「本門の修行」ということであります。 お釈迦様は久遠以来の化導のなかにおいてインドに出現をされ、過去に植えられた妙法の種を正しく信ずることのできなかった多くの迷った衆生に対し、様々な方便の教えによって培われつつ、最後的には本法のところに導こうとされる化導であったのであります。したがって、あの五千・七千と言われるようなたくさんの教えか説かれたのでありまして、華厳・阿含・方等・般若等、四十余年間においては方便というところから、色々な面で法が説かれております。
その法を知り、修行していくことは、智慧によるのであります。
さて、教法には権教と実教という立て分けがあります。権教というのは四十余年間に説かれた方便の教えのことであり、この権教に対する真実の法が法華経でありますが、方便の教えを開いて真実を顕すためには、いわゆる智慧の上から悟っていかなければなりません。すなわち、権実の問題については智慧を中心とするということであり、これが方便、これが真実であるということを立て分けて、真実の法華経の内容のなかに入っていくということであります。したがって、その場合には智慧が中心となります。
ですから、色々な法門を色々な面から法華経において説かれておることも、それに当たるのであります。特に方便品において「諸法実相」等の内容が示されてあるのは、その智慧の上から仏の悟られた真実の法を、衆生に悟らしめるためであります。しかし、まだ、衆生一人ひとりの身に当たって真の仏の功徳を開いていく即身成仏のところにまで到達しておりませんので、そののちに、さらに本門の教益が開かれたのであります。
これは、法華経の順序次第から示されるところであり、宝塔品の所以、あるいは勧持品の教え等において法門か進んできて、本門に入り、涌出品において地涌の菩薩が出現し、そして釈尊か寿量品を説かれたという次第であります.
さて、本門の教えと迹門方便品等の教えとの違いですが、方便品は真理を説かれたのに対し、本門においてはお釈迦様が御自身の命の意義を説かれたのであります。すなわち、本門は仏の身についての内容をお示しになっておるのであります。この仏身についてお示しになった本門の内容を、我々衆生が正しく受け取ることは何によるかといえば、「信」によって得るのであります。すなわち、「一念信解」ということが寿量品のすぐあとの分別功徳品に説かれてありますが、その一念信解が本門立行の首であるということを妙楽大師が説いております。つまり、本門の修行は信が根本となるということであり、信によって初めて、仏身を正しく知り、また、それが我々の身に当たって、その身そのままの姿で仏の功徳を開くのであります。
ですから、釈尊の化導を受けた在世の衆生は智慧の上から、迹門、本門の順序・段階を追って妙法の意義を理解し、悟つて、成仏を遂げたのであります。
しかし、末法において智慧を主体とすると、どうしてもそこに我見が入ってくるのであります。つまり、仏様の深い境智を凡夫の智慧によって知ろうとしても、末法の凡夫においては本当に正しく知ることができませんので、結局、自分自身の考え方を中心として仏法を解釈することになるのです。したがって、宗門七百年の歴史を振り返って見ても、自分自身の我見により、せっかく妙法に巡り値いながら、その妙法の教えの徳を自分自身に受けきることかできないで、地獄・餓鬼・畜生の三悪道等に堕ちていった衆生も多いのであります。
残念ながら昨今においても、僧侶において、あるいは在家のなかにもそういう者が出ております。すなわち、我見・我意が中心となり、大聖人様の教えは本門下種三宝に対し奉る信心にあるということを忘れて、「私はこれだけ仏法をつかんでいる」というような考えで得々として説き、多くの人をたぶらかす団体が、皆様も御承知のとおり、創価学会であります。その創価学会との縁によって不幸になっておる人々も非常に多く、なかには僧侶でありながら惑わされている者達もあったのであります。
しかし、皆様は、一念の信をもって正しい仏法の立場を受けていくというところの正しい道を選ばれ、先般、問題のあった寺院から妙縁寺に移り集い、正しい信心修行の場に着かれた次第でありまして、それがまた、この立派な寺院を建立する因縁となったのであります。
どうぞ、この意義を深く考えられ、信心を根本として妙法を唱えていくところに、現在から未来永劫にわたる真の仏徳が皆様方一人ひとりの命のなかに下種され、はぐくまれていくのであるということを確信せられて、いよいよ御精進されることを願うものであります。
当寺の寺檀和合、寺運興隆と、有縁の信徒皆様のさらなる御精進を心からお祈りいたしまして、ひとこと御挨拶に代える大第であります。
おめでとうございました。
法華講連合会委員長・柳沢喜惣次氏ほか役員の方々、各寺のそれぞれの幹部の方々、また、この寺院における有縁の講中信徒御一同、大勢参詣をいたされまして、まことに盛大にこの法要を執り行うことができまして、仏祖三宝尊にも御高覧あそばされておることと拝察申し上げる次第であります。
当寺の建立に至る事情は、もう既に皆様方もよくお解りのことと思いますので、今さら申し上げることもありませんが、色々な状況のもとに当寺の信徒となった方々は、過去に様々な信仰の上からの苦難の道を歩かれたように思うのであります。考えれば、自分の帰命依止の寺院が思いもかけないような謗法の状態になるということは、その方々の身になってみなければ解らない、非常に苦しい気持ちがあったと思います。しかし、そのなかを二階堂講頭以下、多くの方が一致団結してその苦難を乗り越え、妙縁寺に集って、妙縁寺の住職・光久師の教導によってしばらくの間、正しい信心に基づいてこられました。私もそれを聞いて、この方々をなんとかしてあげたいということを思っておったのであります。そして、ある時に発意をいたしまして、できれば足立区内に一カ寺を新しく建立し、この方々の帰命依止の道場にしたいということを思った次第であります。
そのように思い立って間もなく、適当な土地が見つかりまして、とりあえず昨年の十二月に日蓮正宗出張所として発足し、担当者を決めて参詣の便宜を計ったのであります.
しかし、また、本来の目的は寺院の建立にありますので、色々な面からの妨害もあったようでありますが、それらも乗り越えて、本日ここに、立派に涌徳山本修寺として発足をすることになりました。ひとえに下種三宝尊の御高覧の上の、尊い御利益と拝するものであります。同時に、有縁の信徒一同の外護によって本日まで、出張所としての法灯を護持することができたのでありまして、これからは新しい寺院として発足をする次第でありますので、涌徳山本修寺という名称にふさわしい心をもって、これからも信心修行に邁進をしていただきたいと思うものであります。
さて、涌徳山というのは・「徳がわく」と書きます。皆様も御承知の、法華経の本門寿量品を説かれる直前に大地を破って出現した地涌の菩薩が、久遠以来の本法、寿量品の仏の悟られた法を正しく持って、釈尊在世の有縁の衆生を導くために出てこられました。そして、まず衆生の持っておる、釈尊の始成正覚の仏なる執着を打ち破り、久遠の本仏であるということを顕さんがために出現をされたわけであります。
さらに、その所持するところの法こそ、いわゆる「真浄の大法」であり、これは南無妙法蓮華経の五字・七字であるということが、大聖人様の御指南によって明らかに拝せられるのであります。
また、この菩薩の出現は、ただ単に在世の衆生の迷妄を打ち破るのみでなく、遠く未来の減後正像末の時代、特に末法の時代に至って、その万年の一切衆生を真浄大法に導き、救済するために出現されたのであります。しかも、妙法の五字・七字を持って出現をされたのでありますから、そこに一切衆生が救われるところの大きな仏の徳が存するのであります。
それを「涌徳山」という名称において、本門の意義の上から山号としたのであります。 また、本修寺というのは、字でお解りのように「本門の修行」ということであります。 お釈迦様は久遠以来の化導のなかにおいてインドに出現をされ、過去に植えられた妙法の種を正しく信ずることのできなかった多くの迷った衆生に対し、様々な方便の教えによって培われつつ、最後的には本法のところに導こうとされる化導であったのであります。したがって、あの五千・七千と言われるようなたくさんの教えか説かれたのでありまして、華厳・阿含・方等・般若等、四十余年間においては方便というところから、色々な面で法が説かれております。
その法を知り、修行していくことは、智慧によるのであります。
さて、教法には権教と実教という立て分けがあります。権教というのは四十余年間に説かれた方便の教えのことであり、この権教に対する真実の法が法華経でありますが、方便の教えを開いて真実を顕すためには、いわゆる智慧の上から悟っていかなければなりません。すなわち、権実の問題については智慧を中心とするということであり、これが方便、これが真実であるということを立て分けて、真実の法華経の内容のなかに入っていくということであります。したがって、その場合には智慧が中心となります。
ですから、色々な法門を色々な面から法華経において説かれておることも、それに当たるのであります。特に方便品において「諸法実相」等の内容が示されてあるのは、その智慧の上から仏の悟られた真実の法を、衆生に悟らしめるためであります。しかし、まだ、衆生一人ひとりの身に当たって真の仏の功徳を開いていく即身成仏のところにまで到達しておりませんので、そののちに、さらに本門の教益が開かれたのであります。
これは、法華経の順序次第から示されるところであり、宝塔品の所以、あるいは勧持品の教え等において法門か進んできて、本門に入り、涌出品において地涌の菩薩が出現し、そして釈尊か寿量品を説かれたという次第であります.
さて、本門の教えと迹門方便品等の教えとの違いですが、方便品は真理を説かれたのに対し、本門においてはお釈迦様が御自身の命の意義を説かれたのであります。すなわち、本門は仏の身についての内容をお示しになっておるのであります。この仏身についてお示しになった本門の内容を、我々衆生が正しく受け取ることは何によるかといえば、「信」によって得るのであります。すなわち、「一念信解」ということが寿量品のすぐあとの分別功徳品に説かれてありますが、その一念信解が本門立行の首であるということを妙楽大師が説いております。つまり、本門の修行は信が根本となるということであり、信によって初めて、仏身を正しく知り、また、それが我々の身に当たって、その身そのままの姿で仏の功徳を開くのであります。
ですから、釈尊の化導を受けた在世の衆生は智慧の上から、迹門、本門の順序・段階を追って妙法の意義を理解し、悟つて、成仏を遂げたのであります。
しかし、末法において智慧を主体とすると、どうしてもそこに我見が入ってくるのであります。つまり、仏様の深い境智を凡夫の智慧によって知ろうとしても、末法の凡夫においては本当に正しく知ることができませんので、結局、自分自身の考え方を中心として仏法を解釈することになるのです。したがって、宗門七百年の歴史を振り返って見ても、自分自身の我見により、せっかく妙法に巡り値いながら、その妙法の教えの徳を自分自身に受けきることかできないで、地獄・餓鬼・畜生の三悪道等に堕ちていった衆生も多いのであります。
残念ながら昨今においても、僧侶において、あるいは在家のなかにもそういう者が出ております。すなわち、我見・我意が中心となり、大聖人様の教えは本門下種三宝に対し奉る信心にあるということを忘れて、「私はこれだけ仏法をつかんでいる」というような考えで得々として説き、多くの人をたぶらかす団体が、皆様も御承知のとおり、創価学会であります。その創価学会との縁によって不幸になっておる人々も非常に多く、なかには僧侶でありながら惑わされている者達もあったのであります。
しかし、皆様は、一念の信をもって正しい仏法の立場を受けていくというところの正しい道を選ばれ、先般、問題のあった寺院から妙縁寺に移り集い、正しい信心修行の場に着かれた次第でありまして、それがまた、この立派な寺院を建立する因縁となったのであります。
どうぞ、この意義を深く考えられ、信心を根本として妙法を唱えていくところに、現在から未来永劫にわたる真の仏徳が皆様方一人ひとりの命のなかに下種され、はぐくまれていくのであるということを確信せられて、いよいよ御精進されることを願うものであります。
当寺の寺檀和合、寺運興隆と、有縁の信徒皆様のさらなる御精進を心からお祈りいたしまして、ひとこと御挨拶に代える大第であります。
おめでとうございました。
恒例行事
■朝勤行:6:30~
■夕勤行:17:00~
■日蓮大聖人御報恩御逮夜御講 毎月第2日曜日の前日 19時~
■日蓮大聖人御報恩御講(御正当会) 毎月第2日曜日 13時~
■日蓮大聖人御報恩命日御講 毎月13日 13時~
■永代御経/毎月1日 13:00〜、19:00〜
■広布唱題会/毎月第1日曜日 9:00〜
■夕勤行:17:00~
■日蓮大聖人御報恩御逮夜御講 毎月第2日曜日の前日 19時~
■日蓮大聖人御報恩御講(御正当会) 毎月第2日曜日 13時~
■日蓮大聖人御報恩命日御講 毎月13日 13時~
■永代御経/毎月1日 13:00〜、19:00〜
■広布唱題会/毎月第1日曜日 9:00〜
年間行事
1月 元旦勤行会 初登山
2月 節分会、興師会
宗祖日蓮大聖人御誕生会"
3月 春季彼岸会
4月 総本山御霊宝虫払大法会
宗旨建立会
7月 夏期講習会 中等部・高等部 合宿、孟蘭盆会
8月 孟蘭盆会
9月 竜の口法難会
秋季彼岸会
10月 御会式
11月 目師会 七・五・三祝
12月 本修寺創立記念法要
1月 元旦勤行会 初登山
2月 節分会、興師会
宗祖日蓮大聖人御誕生会"
3月 春季彼岸会
4月 総本山御霊宝虫払大法会
宗旨建立会
7月 夏期講習会 中等部・高等部 合宿、孟蘭盆会
8月 孟蘭盆会
9月 竜の口法難会
秋季彼岸会
10月 御会式
11月 目師会 七・五・三祝
12月 本修寺創立記念法要