正しい信仰のすすめ
「信仰」というと、何か堅苦しいイメージをいだいてしまうかもしれません。
しかし、信仰とは私達の人生を送る上で、欠かすことのできないたいへんありがたいものなのです。 お釈迦様は今からおよそ3000年前に沢山の教えを説かれました。 そのありがたい教えというものは、私達の現実生活からかけ離れた遠いところにあるというわけではなく、実は私達の身近なところにあって、私達がどう生きていけば本当の幸せを掴んでいくことができるか、などの答えを教えてくれています。もし、あなたが少しでもそのありがたい教えに興味を持ち、自らの力で本当の幸せを掴んでいこうと望むならば、日蓮正宗の信仰の話に耳を傾けてみてはいかかでしょうか。 |
どうして信仰が必要なのですか?
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人それぞれ抱えている問題(悩み)が違うように、信仰の目的も人によって少しずつ違うことだと思いますが、自らの人生を切り開くために信仰が大事です。
誰にでも悩みはあり、悩みのない人はいないことでしょう。 また、今の悩みが解決したと思ったら、その次に新たな悩みがやってきたという経験をされたことはないでしょうか。 その悩みが原因となって、時には生きることすら苦しいと感じてしまったことではありませんか。 日蓮正宗の信仰は、悩み(問題)を自分の中でどう受け止めて、乗り越えていける自分になれるか、また、その抱えている悩みを糧として自分自身をさらに成長させていけるかという考えた、つまり生き方を教えてくれる信仰です。 例えば、自分が変われば相手も変わる、そして、自分を取り巻く環境も変えていく事が出来ます。 もし、あなたの信仰に対するイメージが、あたかも洗脳を受けている状態というものがあるなら、きっと近年のオウム真理教の事件などの影響が大きいかも知れません。しかし、本当の信仰というものは、そういうものではありません。 また、何かにすがって生きるというものでもありません。 私達自身が力強く自分の人生を切り開いていくために、生命力(生きる力・心の力)を養っていくのが本当の信仰です。 |
お釈迦様の教えはどれも同じではないですか?
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お釈迦様が長い修行の後に仏としての悟りを得られて、本当に説きたかった教えというのは「法華経」です。
ただ、あまりにも難しく高度な教えのために、まずは易しい教えから説かれました。 例えば、小学校ではまず足し算・引き算を習い、次に掛け算・割り算とうように徐々に高度な内容を教えていきます。 最初から小学校1年性の子供に微分積分を理解させようとしても、とうてい無理な話です。 それと同じように、お釈迦様は、民衆が理解しやすいように易しい教えから徐々に高度な教えを説かれていったのです。 それが法華経(南無妙法蓮華経)です。 だから、法華経の教えを説かれたら、その法華経を説く為に説かれた易しい教え(念仏・真言・禅・律)は捨てなければならないのです。 |
足立区における本修寺の役割
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辛い事や哀しい事があった時に、自分自身を見つめ直す場として、日蓮正宗のお寺があります。
そもそも、お寺というと、お葬式や法事というイメージが強いと思います。しかし、日蓮正宗のお寺は亡くなった方のためだけではなく今生、生きている私達のためのお寺でもあります。 悩みのない人は誰一人としていません。抱えている悩みや問題に対して目を背けるような生き方や悩みに振り回されてせっかくの自分の大切な時間を無駄にしてしまうような生き方は残念だと思います。 そうではなく、悩みや問題に対して自ら挑戦していけるような生き方を教えてくれるのが、この日蓮正宗の信仰なのです。 そして、その場を提供するのがお寺本来の姿なのです。 また、お寺の住職は、仏法の上から問題解決に向かってアドバイスして行くのが役目なのです。 悩みの根本原因をつきとめ、仏様(御本尊様)の智慧を授かる道場、それが日蓮正宗のお寺の役割です。 あなたも一緒に信仰を実践していきませんか? |