「毒鼓(どっく)の縁(えん)」とは、既(すで)に皆様(みなさま)もよく御承知(ごしょうち)のように、涅槃経(ねはんきょう)に説かれている譬(たと)え話で、
毒鼓(どっく)とは毒薬(どくやく)を塗(ぬ)った太鼓(たいこ)のことであります。これを大衆(たいしゅう)のなかで打つと、その音を
聞こうと思わなくても、自然(しぜん)に耳に入り、これを聞けば皆、死ぬと言われておりまして、
法を聞信(もんしん)せずと反対(はんたい)しても、やがて煩悩(ぼんのう)を断(だん)じて得道(とくどう)できることを毒鼓(どっく)、すなわち毒を
塗った太鼓を打つことに譬(たと)えているのであります。
つまり、一切衆生(いぅさいしゅじょう)には皆(みな)、本質的(ほんしつてき)に仏性(ぶっしょう)が具(そな)わっており、正しい法を聞き、発心(ほっしん)・修行(しゅぎょう)
することによって成仏(じょうぶつ)できることを言い、末法今時(まっぽうこんじ)では順縁(じゅんえん)の衆生(しゅじょう)はもとより、たと
逆縁(ぎゃくえん)の衆生であっても、三大秘法(さんだいひほう)の妙法(みょうほう)を聞かせることによって将来、必ず救済(きゅうさい)す
ることができるのであります。
(大白法 第一〇九三号 一月二日 唱題行の砌)
毒鼓(どっく)とは毒薬(どくやく)を塗(ぬ)った太鼓(たいこ)のことであります。これを大衆(たいしゅう)のなかで打つと、その音を
聞こうと思わなくても、自然(しぜん)に耳に入り、これを聞けば皆、死ぬと言われておりまして、
法を聞信(もんしん)せずと反対(はんたい)しても、やがて煩悩(ぼんのう)を断(だん)じて得道(とくどう)できることを毒鼓(どっく)、すなわち毒を
塗った太鼓を打つことに譬(たと)えているのであります。
つまり、一切衆生(いぅさいしゅじょう)には皆(みな)、本質的(ほんしつてき)に仏性(ぶっしょう)が具(そな)わっており、正しい法を聞き、発心(ほっしん)・修行(しゅぎょう)
することによって成仏(じょうぶつ)できることを言い、末法今時(まっぽうこんじ)では順縁(じゅんえん)の衆生(しゅじょう)はもとより、たと
逆縁(ぎゃくえん)の衆生であっても、三大秘法(さんだいひほう)の妙法(みょうほう)を聞かせることによって将来、必ず救済(きゅうさい)す
ることができるのであります。
(大白法 第一〇九三号 一月二日 唱題行の砌)