謗法厳誡(ほうぼうげんかい)という宗是(しゅうぜ)が、本宗(ほんしゅう)にはあります。御書(ごしょ)の中(なか)にも、
「うるし(漆)千ばい(杯)に蟹(かに)の足一(あしひと)つ入(い)れたらんが如(ごと)し」(御書一〇四〇)
というお言葉(ことば)がありますが、どんなに立派(りっぱ)な漆(うるし)がたくさんあったとしても、たった一本(いっぽん)の蟹(かに)の足(あし)を入(い)れただけで、その漆(うるし)が使(つか)いものにならなくなってしまうように、信心(しんじん)をしていても、謗法(ほうぼう)があれば、その謗法(ほうぼう)の害毒(がいどく)によって立(た)ちどころに信心(しんじん)がだめになってしまうのです。
だから、本宗(ほんしゅう)におきましては、受持正行(じゅじしょうぎょう)、折伏正規(しゃくぶくしょうき)、そして謗法厳誡(ほうぼうげんかい)ということを厳(きび)しく言(い)っているわけです。
(大白法第一〇〇号 法華講講習会 御書要文③)
「うるし(漆)千ばい(杯)に蟹(かに)の足一(あしひと)つ入(い)れたらんが如(ごと)し」(御書一〇四〇)
というお言葉(ことば)がありますが、どんなに立派(りっぱ)な漆(うるし)がたくさんあったとしても、たった一本(いっぽん)の蟹(かに)の足(あし)を入(い)れただけで、その漆(うるし)が使(つか)いものにならなくなってしまうように、信心(しんじん)をしていても、謗法(ほうぼう)があれば、その謗法(ほうぼう)の害毒(がいどく)によって立(た)ちどころに信心(しんじん)がだめになってしまうのです。
だから、本宗(ほんしゅう)におきましては、受持正行(じゅじしょうぎょう)、折伏正規(しゃくぶくしょうき)、そして謗法厳誡(ほうぼうげんかい)ということを厳(きび)しく言(い)っているわけです。
(大白法第一〇〇号 法華講講習会 御書要文③)