日蓮大聖人は『千日尼御前御返事』に、
人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其(そ)の身重き事千引(せんびき)の石(いわ)の如し。善人は設(たと)ひ七尺八尺の女人(にょにん)なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鷲毛(がもう)の如し、軟(やわ)らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し(
御書 一二九〇)
と仰せられています。
ここで大聖人は、地獄に堕ちた者は黒色となってその身は重く、成仏した者は白色となってその身は軽く、柔らかいと
御教示されています。
この御教示を受けて、さらに日寛上人は『臨終用心抄』に、
他宗誇法(ほうぼう)の行者は縦(たと)ひ善相有りとも地獄に堕つ可
(べき)き事(中略)法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事
(富要 三ー二六六)
と仰せられ、誇法者の臨終の相がたとえ善相であっても地獄に堕ち、妙法の信仰者が悪相であっても成仏は疑いないと御指南されています。
この御文からすれば、大聖人の御教示に逆らい、血脈付法(けつみゃくふほう)の御法主上人に敵対するという大誇法を犯した者は、道理の上からも成仏できるはずはないのです。
人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其(そ)の身重き事千引(せんびき)の石(いわ)の如し。善人は設(たと)ひ七尺八尺の女人(にょにん)なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鷲毛(がもう)の如し、軟(やわ)らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し(
御書 一二九〇)
と仰せられています。
ここで大聖人は、地獄に堕ちた者は黒色となってその身は重く、成仏した者は白色となってその身は軽く、柔らかいと
御教示されています。
この御教示を受けて、さらに日寛上人は『臨終用心抄』に、
他宗誇法(ほうぼう)の行者は縦(たと)ひ善相有りとも地獄に堕つ可
(べき)き事(中略)法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事
(富要 三ー二六六)
と仰せられ、誇法者の臨終の相がたとえ善相であっても地獄に堕ち、妙法の信仰者が悪相であっても成仏は疑いないと御指南されています。
この御文からすれば、大聖人の御教示に逆らい、血脈付法(けつみゃくふほう)の御法主上人に敵対するという大誇法を犯した者は、道理の上からも成仏できるはずはないのです。