古来宗門では、御本尊に関しては御書写はもちろんのこと、授与·修復等の一切が御法主上一人御一人の権能とされ、宗内僧侶や信徒が御法主上人の許可を得ずして勝手に関与することは許されていません
したがって、従来末寺での御形木御本尊の下付も、時の御法主王上人の允可(いんか)を得て行ってきたものです。
末寺での御形木御本尊下付について日顕上人は、
末寺が、ある時期に弘通教化(ぐずうきょうけ)の上の必要上、形木本尊を下附したことはありますけれとも、それはすべて、総本山法主の許可を受けているわけであり、法主に背いて形木を出したことなど、絶対にないのです
(創価学会の偽造本尊義を破す 二三)
と御指南されています
現在、顕正会は「松本日仁師から託された」と称して、ニセ本尊を発行していますが、かつて妙縁寺で御形木御本尊を印刷し、発行した事実はありません。
ここで浅井は、かつて末寺において御法主上人の許可がなくても勝手に御形木御本を印刷し、下付できたかのように言っていますが、これは浅井が自己を正当化するための言い訳とみることができます。
まさに「語るに落ちた」とはこのことです。
したがって、従来末寺での御形木御本尊の下付も、時の御法主王上人の允可(いんか)を得て行ってきたものです。
末寺での御形木御本尊下付について日顕上人は、
末寺が、ある時期に弘通教化(ぐずうきょうけ)の上の必要上、形木本尊を下附したことはありますけれとも、それはすべて、総本山法主の許可を受けているわけであり、法主に背いて形木を出したことなど、絶対にないのです
(創価学会の偽造本尊義を破す 二三)
と御指南されています
現在、顕正会は「松本日仁師から託された」と称して、ニセ本尊を発行していますが、かつて妙縁寺で御形木御本尊を印刷し、発行した事実はありません。
ここで浅井は、かつて末寺において御法主上人の許可がなくても勝手に御形木御本を印刷し、下付できたかのように言っていますが、これは浅井が自己を正当化するための言い訳とみることができます。
まさに「語るに落ちた」とはこのことです。