この難癖(なんくせ)は、宗門から破門された徒輩(とはい)が、時の御法主上人を攻撃する際に振りかざす常套(じょうとう)句です。
宗祖日蓮大聖人以来の血脈(けつみゃく)を承(う)け一宗を教導あそばされていた第六十六世日達上人ならびに、第六十七世日顕上人に対し、浅井昭衛はあろうことか「己義を構えた」と誹謗(ひぼう)しているのです。
その理由として浅井は「国立戒壇を否定した」(顕正新聞 平成三〇年二月一五日号二面趣意)
ことを挙げています
国立戒壇が本宗の教義でないことは、本書の【国立戒壇篇】(設問1~15)に述べたとおりです
むしろ、『日興遺誠置文』を挙げるならば、
「衆義(しゅうぎ)たりと難(いえど)も、仏法に相違有らば貫首之を摧(くじ)くべき事(御書 一八八五)
との厳しい御教示があります。
この日興上人の御指南に則(のっと)り、日達上人は浅井の考え違いを再三指摘し、教導されましたがそれを聞き入れなかったため、「仏法に相違」した大罪によって、昭和四十九年十一月、宗門は浅井を信徒除名処分に付したのです。
浅井の「御遺命守護に立ち上がった」などという言葉は、証惑(おうわく)でしかありません。
宗祖日蓮大聖人以来の血脈(けつみゃく)を承(う)け一宗を教導あそばされていた第六十六世日達上人ならびに、第六十七世日顕上人に対し、浅井昭衛はあろうことか「己義を構えた」と誹謗(ひぼう)しているのです。
その理由として浅井は「国立戒壇を否定した」(顕正新聞 平成三〇年二月一五日号二面趣意)
ことを挙げています
国立戒壇が本宗の教義でないことは、本書の【国立戒壇篇】(設問1~15)に述べたとおりです
むしろ、『日興遺誠置文』を挙げるならば、
「衆義(しゅうぎ)たりと難(いえど)も、仏法に相違有らば貫首之を摧(くじ)くべき事(御書 一八八五)
との厳しい御教示があります。
この日興上人の御指南に則(のっと)り、日達上人は浅井の考え違いを再三指摘し、教導されましたがそれを聞き入れなかったため、「仏法に相違」した大罪によって、昭和四十九年十一月、宗門は浅井を信徒除名処分に付したのです。
浅井の「御遺命守護に立ち上がった」などという言葉は、証惑(おうわく)でしかありません。