総本山塔中・理境坊所属妙観講 堀井徳俊
顕正会の害毒で引きこもりに
私は、高校二年生の頃、異流義教団である顕正会に入会してしまいました。
その当時の私は、顕正会が日蓮正宗から破門(昭和四十九年)されてカルト化した教団だ、などとは知る由もなく、駆り立てられるようにして、狂信的な活動にのめり込んでいきました。
顕正会では、幹部達が
「顕正会の活動のためなら、国の法律など、多少、破っても許される」
等と指導し、それを鵜呑みにした会員達は
「浅井会長に命がけでお応えすることが、何より大事なこと」
「顕正会の活動さえやっていれば学校の成績もよくなる。くだらない勉強よりも顕正会の活動をした方がいい」
などと言って、仕事や学業を軽視していました。
そして、「仕事を全くせずに活動に没頭した」
「顕正会の活動に反対する親を殴った」
「活動のために非合法なことをした」等々という話しが「強信の見本」として称えられ、皆、競い合うように非常識なことをしていました。
私もその中に染まってしまい、高校に通うのも馬鹿らしくなって、不登校になっていきました。
当然のことながら、これでは社会からはみ出してしまいます。おまけに、勧誘した友人などが入信を拒むようなら、「仏敵」と称して、徹底的に人格まで攻撃しますので、人間関係もことごとく破壊されてしまいます。
私は、このような顕正会の活動をしたことで、高校だけは辛うじて卒業したものの、大学進学も就職もできなかったばかりか、小学校・中学校・高校時代の友人を全て失って、完全に孤立してしまいました。
そして、精神のバランスを失い、対人恐怖症になっていき、顕正会の活動もフェードアウトしてしまったのですが、その私に対し、顕正会の幹部から呼び出しがありました。出かけて行ってみると、幹部は、
「おまえのような中途半端で不真面目な人間は、生きていても価値ないだろう! いっそのこと死んだ方がいいぞ! 早く死ねよ。浅井センセーにお応えする気持ちのない人間には、今後、顕正会の活動もしてもらいたくないし、二度と顕正会の敷居はまたがせねぇ。二度と顔を見せるな。わかったら、さっさと帰れ」
と、一方的に捲し立ててきました。
私は顕正会に反発していたわけではない。ただ活動ができなくなったということなのに、それまで信頼してきた幹部から罵倒され使い捨てにされてしまったのです。そして、この一件をきっかけに、顕正会の活動から本格的に離れることになりました。
その後の私は、顕正会で刻みつけてしまった大謗法の罪障が、一気に噴き出してきたかのごとく、生命力もなくなり、体調不良で全身の至る所に痛みが走るようになって、完全な引きこもりになってしまいました。
やがて、月に数回ですが、人気のない深夜にだけ家から出られるようになったものの、顔を隠せるヘルメットを被って、バイクで近所を走り回るだけの外出でした。
当時の私は、猜疑心が非常に強くなっており、誰かに襲われるのではないかと思い、上着の中に直径二センチ、長さ四十センチのずっしりと重い鉄棒を忍ばせていました。誰かが因縁をつけてきたら、即座に殴り倒そうと思い、「やられる前にやる」と、心の中で繰り返し念じていました。一歩間違えれば犯罪者になりかねない、本当に危険な状態でした。
訪れた人生の一大転!
ところが、このような私にも御本尊様の大慈悲は注がれており、引きこもりとなって五年が経過した平成十四年一月、人生の一大転機が訪れたのです。
それは、インターネットを検索する中で、顕正会と闘っている妙観講の存在を知ったことでした。
最初は興味本位でしたが、資料を読み進める中、私は、顕正会会長の浅井昭衛から聞かされてきたことが全て大嘘だったことを知り、大変なショックを受けました。そして、いてもたってもいられず、やはり顕正会のやり方に疑問を持っていた幼なじみの飯田俊之さんを誘って、妙観講の本部を訪問したのです。
そこで妙観講の方から折伏を受け、その日のうちに飯田さんとともに顕正会を脱会して御受戒を受け、日蓮正宗に入信させていただきました。平成十四年一月のことでした。
それからというもの、日蓮正宗の御本尊を拝して五座三座の勤行を行っていたところ、何とも言いようがない清々しい歓喜が込み上げてきたのです。
日蓮正宗に入信して本当に良かったと、何度も、何度も、御本尊様に御礼申し上げました。
そして、勧められるままに妙観講の勉強会に参加してみました。対人恐怖症だった私に取って、たくさんの人が集まる勉強会は、怖くて、息苦しくて、辛いはずなのに、気がつくと、話にクギ付けになっていました。顕正会の浅井昭衛が、
「大地震が来る」
「大戦争が起きる」
と根拠のない予言ばかりを繰り返すのに対して、講中の勉強会では、この信心を根本にしていけば、どのような悩み・苦しみも乗り越えて幸せになっていける、と訴えており、それは希望に満ちていて、私は、本当に大聖人の仏法を実践して幸せになっていきたいと、心から思うことができました。
また、初めての勉強会で、教材も持たずに参加した私に対し、隣に座っていた見ず知らずの人が「一緒に見ましょう」と声をかけてくれたのです。
こんなことは顕正会ではありえない光景です。私は、有り難くて、嬉しくて、本当に素晴らしい所に来ることができたのだ、と感激しました。また、私は、顕正会時代に、口を極めて猊下様を誹謗し重大な罪障を作ってしまいましたが、その罪障を消滅する方法についても、勉強会や会合の中で明快に教えて頂く事ができました。すなわち、「その計り知れない罪障を消滅していくためには、折伏をして悪口を言われるしかないのです」との、罪障消滅・転重軽受の原理でした。
私はその話を伺い、絶対に折伏を実践しようと決意しました。
そして、飯田さんと一緒に、毎日のように顕正会の藤沢会館や横浜会館に行っては、やってくる顕正会員を片っ端から折伏していきました。その結果、
「裏切者!」
「浅井センセーに土下座して詫びろ!」
などと、ありとあらゆる悪口を浴びせられました。時には、いきり立った顕正会員から殴りかかられることもありましたが、そのたびに「これで、少しでも罪障消滅させていただけた」と、飯田さんと喜びあい、さらに折伏していきました。
そして、入信してから百日が経過した頃、まわりの人から、「以前よりずっと顔色が良くなったね」と言われるようになり、振り返ってみると、たしかに気持ちに張りがあり、人と話すことが少しも怖くなくなっていることに気がつきました。
それどころか、毎日のように講中の先輩達と長電話するなど、対人恐怖症はウソのように無くなっていたのです。
人生初の定職、信頼も得て
そして、入信して半年が経った時には、なんと、県会議員の秘書として採用され、社会人の第一歩を踏み出すことになりました。それというのは、私の同級生が県会議員の秘書をしていたのですが、秘書がもう一人必要になったということで、その同級生が私を推薦してくれたのです。そして面接を受けたところ、一度でたいへん気に入っていただきました。
私は、高校二年で学業を投げ出してしまったので、学歴も職歴も、とても議員の秘書が勤まる状態ではなかったのですが、議員から「あなたは信用できる人だ。それに私は実力主義ですから、履歴書など一切不要です。その人の行動や仕事への姿勢と結果を見て判断します」
と言われ、採用されてしまったのです。
二十七歳のその時まで定職についたことのなかった私にとって、本当に信じられないような話で、計り知れない御本尊様の御力を実感しました。
それからというもの、議員からは本当に大切にされ、次第に信頼されて、事務所名義のキャッシュカードの暗証番号まで教えてもらって、お金の管理も任されるようになりました。
初めての就職先で、このように本当に良い経験をさせていただき、議員が市長となっても私設秘書が不要となるまでの十年間、秘書として勤めてきました。
議員秘書を退職した後は、叔父の経営する不動産会社に採用され、現在に至っています。
そのような中、今から四年前、業務に必要ということで「宅地建物取引士試験(通称・宅建)」の資格を取得するように命じられました。
しかし「宅建」といえば、さまざまな法律の知識が必要とされ、合格率十七%というもので、高校二年で学業を放棄してしまった私にとって高すぎるハードルで、重荷でしかありませんでした。
そこで、書店で買ってきた参考書をちょっと読んでは受験する、ということを二年間繰り返してお茶を濁していましたが、当然のことながら結果は不合格です。すると業を煮やした社長から「今年中に宅建の資格を取得しないと、評価にも反映させる」と言われてしまい、さすがにこれはマズい!と思いました。
その時、以前、講中の会合で聞いた指導が思い出されました。その指導とは
「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書 一二二〇頁)
の御文について、
「私たちは働いて得たお金の中から仏様に御供養をし、総本山に参詣したり信心活動をするための交通費を捻出しています。だから、仕事は大切な法華経の修行になるのです」
というものでした。私はそのことを思い出して、「このままで宅建の資格を取得しないでいれば、評価が下がり、給与が下がって、仏道修行に支障が出てきてしまう。絶対に合格しよう」
と決意しました。
しかし、試験は一ヵ月半後に迫っていましたので、民法・建築基準法・都市計画法・借地借家法・税金・金融支援機構等々の広範囲な内容を、全て勉強する時間はありません。
難関の「宅建」試験に合格!
そこで、まず、真剣に唱題することから始めました。信心活動に足を運ぶ車の中でもずっと、御本尊様を思い浮かべて唱題していきました。そらに折伏や育成にも励んでいくと、共に信心している班員さん達の身に次々と功徳の現証があらわれてきました。その班員さん達の功徳体験を目の当たりにする中、私はいっそう、自分も信心を根本にして絶対に合格するぞ!と闘志が湧いてきて、少ない時間の中でも、的を絞って集中して勉強していきました。
そして、ついに試験当日が来ました。問題を開くと、なんと直前に勉強していたところが、たくさん出題されているではありませんか。私は驚き、
「御本尊様の御加護だ!」
と嬉しくなって、夢中で回答を書き上げました。
結果は、合格でした。本当に御本尊様の功徳としか言いようがありません。
試験に合格したことで、上司との関係も良くなって、仕事もやりやすくなりました。
思えば、十数年前までの私は、異流義・顕正会に関わったことで、人生が破滅する寸前の状態でした。
それが、顕正会を辞めて正信に立ち返ったことにより、精神的にも安定して社会復帰できたばかりか、今では仕事も順調で、班員さんのお世話までさせていただいているのです。
本当に有り難い御本尊様に巡り合うことができ、感謝の念に絶えません。
この大恩を一生涯、忘れることなく、、班員さんと共に、平成三十三年を目指して折伏・育成に励んでまいります。
(慧妙 2017年9月16日号)
顕正会の害毒で引きこもりに
私は、高校二年生の頃、異流義教団である顕正会に入会してしまいました。
その当時の私は、顕正会が日蓮正宗から破門(昭和四十九年)されてカルト化した教団だ、などとは知る由もなく、駆り立てられるようにして、狂信的な活動にのめり込んでいきました。
顕正会では、幹部達が
「顕正会の活動のためなら、国の法律など、多少、破っても許される」
等と指導し、それを鵜呑みにした会員達は
「浅井会長に命がけでお応えすることが、何より大事なこと」
「顕正会の活動さえやっていれば学校の成績もよくなる。くだらない勉強よりも顕正会の活動をした方がいい」
などと言って、仕事や学業を軽視していました。
そして、「仕事を全くせずに活動に没頭した」
「顕正会の活動に反対する親を殴った」
「活動のために非合法なことをした」等々という話しが「強信の見本」として称えられ、皆、競い合うように非常識なことをしていました。
私もその中に染まってしまい、高校に通うのも馬鹿らしくなって、不登校になっていきました。
当然のことながら、これでは社会からはみ出してしまいます。おまけに、勧誘した友人などが入信を拒むようなら、「仏敵」と称して、徹底的に人格まで攻撃しますので、人間関係もことごとく破壊されてしまいます。
私は、このような顕正会の活動をしたことで、高校だけは辛うじて卒業したものの、大学進学も就職もできなかったばかりか、小学校・中学校・高校時代の友人を全て失って、完全に孤立してしまいました。
そして、精神のバランスを失い、対人恐怖症になっていき、顕正会の活動もフェードアウトしてしまったのですが、その私に対し、顕正会の幹部から呼び出しがありました。出かけて行ってみると、幹部は、
「おまえのような中途半端で不真面目な人間は、生きていても価値ないだろう! いっそのこと死んだ方がいいぞ! 早く死ねよ。浅井センセーにお応えする気持ちのない人間には、今後、顕正会の活動もしてもらいたくないし、二度と顕正会の敷居はまたがせねぇ。二度と顔を見せるな。わかったら、さっさと帰れ」
と、一方的に捲し立ててきました。
私は顕正会に反発していたわけではない。ただ活動ができなくなったということなのに、それまで信頼してきた幹部から罵倒され使い捨てにされてしまったのです。そして、この一件をきっかけに、顕正会の活動から本格的に離れることになりました。
その後の私は、顕正会で刻みつけてしまった大謗法の罪障が、一気に噴き出してきたかのごとく、生命力もなくなり、体調不良で全身の至る所に痛みが走るようになって、完全な引きこもりになってしまいました。
やがて、月に数回ですが、人気のない深夜にだけ家から出られるようになったものの、顔を隠せるヘルメットを被って、バイクで近所を走り回るだけの外出でした。
当時の私は、猜疑心が非常に強くなっており、誰かに襲われるのではないかと思い、上着の中に直径二センチ、長さ四十センチのずっしりと重い鉄棒を忍ばせていました。誰かが因縁をつけてきたら、即座に殴り倒そうと思い、「やられる前にやる」と、心の中で繰り返し念じていました。一歩間違えれば犯罪者になりかねない、本当に危険な状態でした。
訪れた人生の一大転!
ところが、このような私にも御本尊様の大慈悲は注がれており、引きこもりとなって五年が経過した平成十四年一月、人生の一大転機が訪れたのです。
それは、インターネットを検索する中で、顕正会と闘っている妙観講の存在を知ったことでした。
最初は興味本位でしたが、資料を読み進める中、私は、顕正会会長の浅井昭衛から聞かされてきたことが全て大嘘だったことを知り、大変なショックを受けました。そして、いてもたってもいられず、やはり顕正会のやり方に疑問を持っていた幼なじみの飯田俊之さんを誘って、妙観講の本部を訪問したのです。
そこで妙観講の方から折伏を受け、その日のうちに飯田さんとともに顕正会を脱会して御受戒を受け、日蓮正宗に入信させていただきました。平成十四年一月のことでした。
それからというもの、日蓮正宗の御本尊を拝して五座三座の勤行を行っていたところ、何とも言いようがない清々しい歓喜が込み上げてきたのです。
日蓮正宗に入信して本当に良かったと、何度も、何度も、御本尊様に御礼申し上げました。
そして、勧められるままに妙観講の勉強会に参加してみました。対人恐怖症だった私に取って、たくさんの人が集まる勉強会は、怖くて、息苦しくて、辛いはずなのに、気がつくと、話にクギ付けになっていました。顕正会の浅井昭衛が、
「大地震が来る」
「大戦争が起きる」
と根拠のない予言ばかりを繰り返すのに対して、講中の勉強会では、この信心を根本にしていけば、どのような悩み・苦しみも乗り越えて幸せになっていける、と訴えており、それは希望に満ちていて、私は、本当に大聖人の仏法を実践して幸せになっていきたいと、心から思うことができました。
また、初めての勉強会で、教材も持たずに参加した私に対し、隣に座っていた見ず知らずの人が「一緒に見ましょう」と声をかけてくれたのです。
こんなことは顕正会ではありえない光景です。私は、有り難くて、嬉しくて、本当に素晴らしい所に来ることができたのだ、と感激しました。また、私は、顕正会時代に、口を極めて猊下様を誹謗し重大な罪障を作ってしまいましたが、その罪障を消滅する方法についても、勉強会や会合の中で明快に教えて頂く事ができました。すなわち、「その計り知れない罪障を消滅していくためには、折伏をして悪口を言われるしかないのです」との、罪障消滅・転重軽受の原理でした。
私はその話を伺い、絶対に折伏を実践しようと決意しました。
そして、飯田さんと一緒に、毎日のように顕正会の藤沢会館や横浜会館に行っては、やってくる顕正会員を片っ端から折伏していきました。その結果、
「裏切者!」
「浅井センセーに土下座して詫びろ!」
などと、ありとあらゆる悪口を浴びせられました。時には、いきり立った顕正会員から殴りかかられることもありましたが、そのたびに「これで、少しでも罪障消滅させていただけた」と、飯田さんと喜びあい、さらに折伏していきました。
そして、入信してから百日が経過した頃、まわりの人から、「以前よりずっと顔色が良くなったね」と言われるようになり、振り返ってみると、たしかに気持ちに張りがあり、人と話すことが少しも怖くなくなっていることに気がつきました。
それどころか、毎日のように講中の先輩達と長電話するなど、対人恐怖症はウソのように無くなっていたのです。
人生初の定職、信頼も得て
そして、入信して半年が経った時には、なんと、県会議員の秘書として採用され、社会人の第一歩を踏み出すことになりました。それというのは、私の同級生が県会議員の秘書をしていたのですが、秘書がもう一人必要になったということで、その同級生が私を推薦してくれたのです。そして面接を受けたところ、一度でたいへん気に入っていただきました。
私は、高校二年で学業を投げ出してしまったので、学歴も職歴も、とても議員の秘書が勤まる状態ではなかったのですが、議員から「あなたは信用できる人だ。それに私は実力主義ですから、履歴書など一切不要です。その人の行動や仕事への姿勢と結果を見て判断します」
と言われ、採用されてしまったのです。
二十七歳のその時まで定職についたことのなかった私にとって、本当に信じられないような話で、計り知れない御本尊様の御力を実感しました。
それからというもの、議員からは本当に大切にされ、次第に信頼されて、事務所名義のキャッシュカードの暗証番号まで教えてもらって、お金の管理も任されるようになりました。
初めての就職先で、このように本当に良い経験をさせていただき、議員が市長となっても私設秘書が不要となるまでの十年間、秘書として勤めてきました。
議員秘書を退職した後は、叔父の経営する不動産会社に採用され、現在に至っています。
そのような中、今から四年前、業務に必要ということで「宅地建物取引士試験(通称・宅建)」の資格を取得するように命じられました。
しかし「宅建」といえば、さまざまな法律の知識が必要とされ、合格率十七%というもので、高校二年で学業を放棄してしまった私にとって高すぎるハードルで、重荷でしかありませんでした。
そこで、書店で買ってきた参考書をちょっと読んでは受験する、ということを二年間繰り返してお茶を濁していましたが、当然のことながら結果は不合格です。すると業を煮やした社長から「今年中に宅建の資格を取得しないと、評価にも反映させる」と言われてしまい、さすがにこれはマズい!と思いました。
その時、以前、講中の会合で聞いた指導が思い出されました。その指導とは
「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書 一二二〇頁)
の御文について、
「私たちは働いて得たお金の中から仏様に御供養をし、総本山に参詣したり信心活動をするための交通費を捻出しています。だから、仕事は大切な法華経の修行になるのです」
というものでした。私はそのことを思い出して、「このままで宅建の資格を取得しないでいれば、評価が下がり、給与が下がって、仏道修行に支障が出てきてしまう。絶対に合格しよう」
と決意しました。
しかし、試験は一ヵ月半後に迫っていましたので、民法・建築基準法・都市計画法・借地借家法・税金・金融支援機構等々の広範囲な内容を、全て勉強する時間はありません。
難関の「宅建」試験に合格!
そこで、まず、真剣に唱題することから始めました。信心活動に足を運ぶ車の中でもずっと、御本尊様を思い浮かべて唱題していきました。そらに折伏や育成にも励んでいくと、共に信心している班員さん達の身に次々と功徳の現証があらわれてきました。その班員さん達の功徳体験を目の当たりにする中、私はいっそう、自分も信心を根本にして絶対に合格するぞ!と闘志が湧いてきて、少ない時間の中でも、的を絞って集中して勉強していきました。
そして、ついに試験当日が来ました。問題を開くと、なんと直前に勉強していたところが、たくさん出題されているではありませんか。私は驚き、
「御本尊様の御加護だ!」
と嬉しくなって、夢中で回答を書き上げました。
結果は、合格でした。本当に御本尊様の功徳としか言いようがありません。
試験に合格したことで、上司との関係も良くなって、仕事もやりやすくなりました。
思えば、十数年前までの私は、異流義・顕正会に関わったことで、人生が破滅する寸前の状態でした。
それが、顕正会を辞めて正信に立ち返ったことにより、精神的にも安定して社会復帰できたばかりか、今では仕事も順調で、班員さんのお世話までさせていただいているのです。
本当に有り難い御本尊様に巡り合うことができ、感謝の念に絶えません。
この大恩を一生涯、忘れることなく、、班員さんと共に、平成三十三年を目指して折伏・育成に励んでまいります。
(慧妙 2017年9月16日号)