北海道室蘭市・深妙寺支部
四十坊健
自分が誰だか、わからない!?
私は、昭和四十二年十一月、十七歳の時に、友人の勧めで創価学会を通じて日蓮正宗に入信しました。
それ以来、「自分は正しいことをしているのだ」と固く信じ、懸命に学会活動をしてきました。
平成三年に創価学会が日蓮正宗から破門された時も、まったく創価学会に疑問を持つことなく、それどころか、学会の宗門誹謗・御法主上人誹謗を鵜呑(うの)みにし、御法主上人猊下を呼び捨てにして罵(ののし)るほどになっていました。
それから七年ほどが過ぎたころ、謗法による仏罰の現証が、徐々に私の身に現れてきました。それは、今にして思えば、
学会の”ニセ本尊”に交換した時期でもありました。
ある日突然、仕事に身が入らないというか、仕事にやる気がなくなってしまい、勤務中に何度も休暇を取らなければいられない
状態になってしまいました。
そして、その状態は日を追うごとに重くなり、休暇の回数も増えていったのです。
何日か経過したところ、社長に呼ばれ、「おかしいから、とにかく一度、病院に行って診てもらえ」と言われ、病院に行ったところ
鬱(うつ)病と診断されました。
私は、学会から渡されたニセ本尊に向かって、
「病気が治りますように」
と祈りながら一心不乱に題目を唱えていきました。
しかし、良くなるどころか、病状は悪くなる一方で、何日も仕事を休むようになり、ついには会社を解雇されてしまいました。
そのような状況になりながらも、学会にどっぷり浸(つ)かっていた私は、これが仏罰の現証であるとは思いもよらず、「まだお題目が足りないのだ」と自分を責め続けました。
すると、とうとう私の身に最終段階ともいうべき形で仏罰が現れてきました。
平成二十二年の春、当時は土木作業の会社に再就職していたのですが、急に十日間も無断欠勤をしてしまったのです。
「ようだ」というのは、私自身、今でもその十日間の記憶が全くないのです。
その十日間の出来事を後から聞きますと、最初のうちは職場の仲間が、朝、様子を見に来てくれたのですが、まるで初対面の人に接するような態度で接し、全く生気も感じられず、翌日も、その次の日も同じような態度なので、皆、気持ち悪がって、そのうち誰も来なくなったのだそうです。
私は、職場の仲間が来てくれたことすら全く憶えていないのですが、その中でも姉や妹には電話をしていたようです。その電話では、
「自分は誰なのか?」
「あなたとは、どういう関係なのか?」
と聞いていたそうです。そして、まもなく私の行方がわからなくなってしまい、姉達は必死に捜してくれたそうですが、結局、捜し当てることができなかったということです。
私が我に返ったのは、自宅の風呂場でした。気づいた時、私は、風呂場でバケツに水を張り、カッターナイフで自分の腕を切っていたのです。
皮肉なことに、あまりの痛さに正気を取り戻し、十日ぶりに我に返ることができた私は、なぜこんなことをしているのか、また、自分に何が起こっているのか判断できないまま、しばらく茫然(ぼうぜん)とした後、会社の社長に連絡して、助けに来てもらいました。そしてこのような状態になって初めて、
「もしかしたら、創価学会は間違っているかもしれない」
と思うようになりました。
そのように思えたのは、以前のように近所の法華講員から折伏されていたおかげだと思います。
そして、平成二十二年、私はやっと、創価学会を脱会し、深妙寺にて勧誡を受けることができました。
日蓮大聖人様は、
「法華を心得たる人、木絵(もくえ)二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、(中略)鬼入りて人の命をうばふ。
鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪功徳者(だつくどくしゃ)といふ」(御書 六三八頁)
と仰せられていますが、私が必死に手を合わせ一心に題目を唱えていた対象物は、まさに、「法華を心得たる人」たる御法主上人の開眼も御許可もなく、創価学会が勝手に作った、「命を奪う鬼」や「功徳を奪う魔」の入った”ニセ本尊”だったのです。
私は、その”ニセ本尊”によって、正常な精神状態を奪われ、危うく命さえも奪われそうになってしまったのです。
鬱病の完治と正信の喜び
さて創価学会という謗法団体から脱出し、正法に復帰できたとはいえ、長い間、学会員として謗法を犯してきた罪障は、なかったことにはできず、それからさらに五年もの間、鬱病に悩まされ続けました。しかし、その間、法華講の同志の方々が何度も私を励ましてくれたおかげで、少しずつ勤行もできるようになり、それに伴って、病状も薄紙(うすがみ)を剥(は)ぐように改善されてきました。
そして、平成二十七年、ついに担当医から、
「すっかり完治しました」
と言い渡されたのです。私は、嬉しさのあまり、病院からまっすぐ深妙寺に参詣し、御本尊様に御礼のお題目をあげました。お題目を唱えながら、
「この御恩は、折伏でお返ししていこう」
と心の底から思いました。
すると、どうでしょう。
翌日からは、勤行が楽しく、お題目も真剣にあげられるようになったではありませんか。それからは、
「とにかく折伏をさせていただきたい」との一念で、御本尊様に祈る日が続きました。
そうした中、同年の十月十日、母の二十三回忌の法要を深妙寺で行うことになり、姉二人と妹一人の姉弟四人が久しぶりに揃いました。
姉と妹は皆、未入信です。法要が終わって帰りかけた時、御住職が「来年の二十二日に仏法講演会がありますので、ぜひ参加してください」と言われ、全身にパンフレットを渡してくださいました。その時は、妙観講の方々が折伏の応援に来てくれることになっていて、その際に新来者を対象とした『仏法講演会』が予定されていたのです。
私は、『まずは姉妹から正法に導こう』と思い、同じ室蘭に住んでいる一番上の姉と妹を仏法講演会に連れてくることにしました。
姉については「入信もできるかも」と期待しましたが、妹については、家が浄土真宗で、しかも若い頃に、”阿含宗”という新興宗教を熱心に信仰していたこともあり、「入信は難しいかもしれない」と思いながら、仏法講演会の当日を迎えました。
結局、前日まで「必ず行く」と言っていた姉は、急に体調を崩して来られなくなり、妹一人だけの参加になってしまいました。
ところが驚いたことに、妹がその場で入信を決意し、涙を流しながら御受戒を受けたのです。一緒に話をしてくれた妙観講の方も喜んでくれ、何よりも私は、御本尊様の仏力・法力のすごさを心から感じることができました。
妹は、一か月半後の十二月に晴れて御本尊様をお迎えすることができ、さらには折伏にも励み、昨年の七月には二名の方を正法に導くことができました。
そして一番上の姉のほうも、何度もお寺に連れていき、御住職に何時間もかけて折伏していただいた結果、ついに心から納得し、御受戒を受けることができました。
あとは遠方に住んでいる二番目の姉を折伏しようと思っています。おもしろいことに、その二番目の姉の娘(私にとっては姪)が私の近所に住んでいて、創価学会に入っていたのですが、私と妹で連絡を取り合い、副講頭夫妻にも協力を頂いて姪を折伏したところ、その姪も創価学会を辞めて日蓮正宗に帰伏することができました。
私は今、毎月の御講に参詣することが、嬉しくてしかたありません。また、折伏をしていると、楽しくてしかたありません。折伏は仏様のお手伝いをさせていただいている、という気持ちで、毎日を過ごしています。
また、仕事の面でも、会社の社長や周りの人達が諸天善神となって守ってくれているのではないか、と感じるほど、大きく状況が変わりました。
正しい法のもと、正しい修行をすること、特に折伏の実践には大きな功徳がある、という教えは本当なのだ、と実感しております。
私は、これからもさらに罪障消滅のために折伏に邁進し、自分がかつて体験した謗法の恐ろしさと、正法の有り難さを通じて、一人でも多くの人に正法を語っていくことを決意しております。
(慧妙 平成二十九年 一月十六)
四十坊健
自分が誰だか、わからない!?
私は、昭和四十二年十一月、十七歳の時に、友人の勧めで創価学会を通じて日蓮正宗に入信しました。
それ以来、「自分は正しいことをしているのだ」と固く信じ、懸命に学会活動をしてきました。
平成三年に創価学会が日蓮正宗から破門された時も、まったく創価学会に疑問を持つことなく、それどころか、学会の宗門誹謗・御法主上人誹謗を鵜呑(うの)みにし、御法主上人猊下を呼び捨てにして罵(ののし)るほどになっていました。
それから七年ほどが過ぎたころ、謗法による仏罰の現証が、徐々に私の身に現れてきました。それは、今にして思えば、
学会の”ニセ本尊”に交換した時期でもありました。
ある日突然、仕事に身が入らないというか、仕事にやる気がなくなってしまい、勤務中に何度も休暇を取らなければいられない
状態になってしまいました。
そして、その状態は日を追うごとに重くなり、休暇の回数も増えていったのです。
何日か経過したところ、社長に呼ばれ、「おかしいから、とにかく一度、病院に行って診てもらえ」と言われ、病院に行ったところ
鬱(うつ)病と診断されました。
私は、学会から渡されたニセ本尊に向かって、
「病気が治りますように」
と祈りながら一心不乱に題目を唱えていきました。
しかし、良くなるどころか、病状は悪くなる一方で、何日も仕事を休むようになり、ついには会社を解雇されてしまいました。
そのような状況になりながらも、学会にどっぷり浸(つ)かっていた私は、これが仏罰の現証であるとは思いもよらず、「まだお題目が足りないのだ」と自分を責め続けました。
すると、とうとう私の身に最終段階ともいうべき形で仏罰が現れてきました。
平成二十二年の春、当時は土木作業の会社に再就職していたのですが、急に十日間も無断欠勤をしてしまったのです。
「ようだ」というのは、私自身、今でもその十日間の記憶が全くないのです。
その十日間の出来事を後から聞きますと、最初のうちは職場の仲間が、朝、様子を見に来てくれたのですが、まるで初対面の人に接するような態度で接し、全く生気も感じられず、翌日も、その次の日も同じような態度なので、皆、気持ち悪がって、そのうち誰も来なくなったのだそうです。
私は、職場の仲間が来てくれたことすら全く憶えていないのですが、その中でも姉や妹には電話をしていたようです。その電話では、
「自分は誰なのか?」
「あなたとは、どういう関係なのか?」
と聞いていたそうです。そして、まもなく私の行方がわからなくなってしまい、姉達は必死に捜してくれたそうですが、結局、捜し当てることができなかったということです。
私が我に返ったのは、自宅の風呂場でした。気づいた時、私は、風呂場でバケツに水を張り、カッターナイフで自分の腕を切っていたのです。
皮肉なことに、あまりの痛さに正気を取り戻し、十日ぶりに我に返ることができた私は、なぜこんなことをしているのか、また、自分に何が起こっているのか判断できないまま、しばらく茫然(ぼうぜん)とした後、会社の社長に連絡して、助けに来てもらいました。そしてこのような状態になって初めて、
「もしかしたら、創価学会は間違っているかもしれない」
と思うようになりました。
そのように思えたのは、以前のように近所の法華講員から折伏されていたおかげだと思います。
そして、平成二十二年、私はやっと、創価学会を脱会し、深妙寺にて勧誡を受けることができました。
日蓮大聖人様は、
「法華を心得たる人、木絵(もくえ)二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、(中略)鬼入りて人の命をうばふ。
鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪功徳者(だつくどくしゃ)といふ」(御書 六三八頁)
と仰せられていますが、私が必死に手を合わせ一心に題目を唱えていた対象物は、まさに、「法華を心得たる人」たる御法主上人の開眼も御許可もなく、創価学会が勝手に作った、「命を奪う鬼」や「功徳を奪う魔」の入った”ニセ本尊”だったのです。
私は、その”ニセ本尊”によって、正常な精神状態を奪われ、危うく命さえも奪われそうになってしまったのです。
鬱病の完治と正信の喜び
さて創価学会という謗法団体から脱出し、正法に復帰できたとはいえ、長い間、学会員として謗法を犯してきた罪障は、なかったことにはできず、それからさらに五年もの間、鬱病に悩まされ続けました。しかし、その間、法華講の同志の方々が何度も私を励ましてくれたおかげで、少しずつ勤行もできるようになり、それに伴って、病状も薄紙(うすがみ)を剥(は)ぐように改善されてきました。
そして、平成二十七年、ついに担当医から、
「すっかり完治しました」
と言い渡されたのです。私は、嬉しさのあまり、病院からまっすぐ深妙寺に参詣し、御本尊様に御礼のお題目をあげました。お題目を唱えながら、
「この御恩は、折伏でお返ししていこう」
と心の底から思いました。
すると、どうでしょう。
翌日からは、勤行が楽しく、お題目も真剣にあげられるようになったではありませんか。それからは、
「とにかく折伏をさせていただきたい」との一念で、御本尊様に祈る日が続きました。
そうした中、同年の十月十日、母の二十三回忌の法要を深妙寺で行うことになり、姉二人と妹一人の姉弟四人が久しぶりに揃いました。
姉と妹は皆、未入信です。法要が終わって帰りかけた時、御住職が「来年の二十二日に仏法講演会がありますので、ぜひ参加してください」と言われ、全身にパンフレットを渡してくださいました。その時は、妙観講の方々が折伏の応援に来てくれることになっていて、その際に新来者を対象とした『仏法講演会』が予定されていたのです。
私は、『まずは姉妹から正法に導こう』と思い、同じ室蘭に住んでいる一番上の姉と妹を仏法講演会に連れてくることにしました。
姉については「入信もできるかも」と期待しましたが、妹については、家が浄土真宗で、しかも若い頃に、”阿含宗”という新興宗教を熱心に信仰していたこともあり、「入信は難しいかもしれない」と思いながら、仏法講演会の当日を迎えました。
結局、前日まで「必ず行く」と言っていた姉は、急に体調を崩して来られなくなり、妹一人だけの参加になってしまいました。
ところが驚いたことに、妹がその場で入信を決意し、涙を流しながら御受戒を受けたのです。一緒に話をしてくれた妙観講の方も喜んでくれ、何よりも私は、御本尊様の仏力・法力のすごさを心から感じることができました。
妹は、一か月半後の十二月に晴れて御本尊様をお迎えすることができ、さらには折伏にも励み、昨年の七月には二名の方を正法に導くことができました。
そして一番上の姉のほうも、何度もお寺に連れていき、御住職に何時間もかけて折伏していただいた結果、ついに心から納得し、御受戒を受けることができました。
あとは遠方に住んでいる二番目の姉を折伏しようと思っています。おもしろいことに、その二番目の姉の娘(私にとっては姪)が私の近所に住んでいて、創価学会に入っていたのですが、私と妹で連絡を取り合い、副講頭夫妻にも協力を頂いて姪を折伏したところ、その姪も創価学会を辞めて日蓮正宗に帰伏することができました。
私は今、毎月の御講に参詣することが、嬉しくてしかたありません。また、折伏をしていると、楽しくてしかたありません。折伏は仏様のお手伝いをさせていただいている、という気持ちで、毎日を過ごしています。
また、仕事の面でも、会社の社長や周りの人達が諸天善神となって守ってくれているのではないか、と感じるほど、大きく状況が変わりました。
正しい法のもと、正しい修行をすること、特に折伏の実践には大きな功徳がある、という教えは本当なのだ、と実感しております。
私は、これからもさらに罪障消滅のために折伏に邁進し、自分がかつて体験した謗法の恐ろしさと、正法の有り難さを通じて、一人でも多くの人に正法を語っていくことを決意しております。
(慧妙 平成二十九年 一月十六)