浅井昭衛が本尊授与(じゅよ)の日時を明(あ)かせぬ理由
「松本能化(のうけ)から授与された!?」のはいつだ?
浅井昭衛よ、顕正会の公式見解を表明せよ!
浅井昭衛が、六月度の総幹部会で、顕正会所有の本尊について、「松本能化からの授与」である、と述べた。またしても、死人(元
僧侶・松本日仁)に口無しを盾(たて)に、自らの本尊偽造の大罪を糊塗(こと)しようと、謀 (たばか)りを繰り出したのである。
ようやく成(な)した弁明(べんめい)も反論の体(てい)なさず
これまでニセ本尊に関する追及に対し、ひたすら黙(だんま)りを決め込んできた浅井だが、この期(ご)に及んで言及せざるを得なくなったのは、本宗僧俗か
らの厳しい追及に、幹部から末端に至るまで、全く反論できずに「サンドバッグ状態」が続いていたからだ。
現に、顕正会教学部長の坪田敏は本尊論になると逃げ回り、副部長の浅野恭浩に至っては、およそ人とも思えぬ悪口雑言を吐き散らし、それをSNS上で拡散されてもお構いなし。 最近では本尊論から道走(とんそう)する醜態(しゅうたい)を各方面で晒(さら)すことが、本部職員としての常態となっている。
彼等ばかりではない。そもそも顕正会内ではニセ本尊の話はタブー。『顕正新聞』には「ニセ本尊」のワードも封印されているほどだ。
元顕正会員の中には、本尊について疑問を呈しただけで除名処分を受け、日蓮正宗に入信した方も少なくない。それもこれも、顕正会の「無二の師匠」たる
浅井昭衛が、ニセ本尊疑惑について一言の弁明もできずに黙りを続けてきたからである。
だからこそ、「宗旨の根幹である本尊について、堂々と話せ」と言いつつ、オンライン法論から遁走した浅野、「ニセ本尊について(法論を)やろうぜ」と
啖呵(たんか)を切っておきながら逃げ回る、『顕正新聞』発行人の小沼貴寛らをはじめ、誰一人としてまともな反論ができない窮状(きゅうじょう)が続いたと
いえよう。
そこで耐えかねた浅井が、今回、再び「松本能化からの授与」説を強調して、事態の沈静化を図ったのである。
しかし、日蓮正宗から、道理・文証を示して公式に「ニセ本尊」と断じられている故に、今回の弁明もまったく反論にはなっていない。
すでに平成十九年、浅井の「地方会館に安置し奉る大幅 (たいふく)の日布上人の御形木御本尊を、松本尊能化に願い出て授与された」(年表参照)
との言い逃れに対し、日蓮正宗では
「顕正会の会館に安置される日布上人の形木本尊と称するものは、時の御法主上人の許可もなく、勝手にコピーされたニセ本尊」
(『顕正会破折Q&A』 九三頁)
と、木っ端微塵(こっぱみじん)に粉砕している。
正規の「本尊下附」があり得(え)ない理由
これに対し、もし本当に
「松本能化から授与された」のであれば、歪曲(わいきよく)武勇伝を驚くほど克明に綴(つづ) る浅井のこと、「授与された」 日時を一言で明言できるはず。 しかし、それすらできないのは、どの日時を提示しても、辻褄(つじつま)が合わなくなることを、浅井自身がよくよく承知しているからだ。
昭和四十九年当時、浅井は自ら、解散処分を受けたことで、妙縁寺出入り禁止、御本尊下附禁止となったとして、
「この斗(たたか)いは長いことではないので、その間妙縁寺の出入りをこちらで御遠慮申し上げ、(松本)御能師に御迷惑がかからぬようにしていきたい」
「晴れてことが解決したら全員揃(そろ)って妙縁寺に集まり、合同で御本尊を頂戴(ちょうだい)する儀式を行おう」
「解散させられても、末寺で御本尊を下げてくれなくても、折伏はできる。(中略)御本尊をお下げしないのは宗務院が悪い」(年表参照)
などと、まったく無反省の発言を繰り返していた。
その後、信徒除名処分となり、永久に日蓮正宗の御本尊下附を許されなくなった浅井は、”遙拝勤行”なるニセ勤行をあみ出したが、今になって、当時から「本尊がどうしても必要だった」というのも、実際の発言と照らして明らかな矛盾(むじゅん)である。
また浅井は、本尊を松本日仁から受け取ったという時期を「松本能化が妙縁寺を退出する時」と明言(年表参照)しているが、その時期、松本はすでに妙縁寺
住職を罷免(ひめん)、さらに濱斥(ひんせき) 処分により日蓮正宗の僧籍を剥奪(はくだつ)され、住職はおろか僧侶でも何でもない立場である。
日蓮正宗と無関係になった松本と浅井との間で譲渡された本尊など、まず、真正・偽造を問わず、いずれも正当性がない。言うまでもなく、御本尊に関しては、授与等の一切が時の御法主上人御一人の権能とされ、御法主上人の許可なく余人が私(わたくし) することは許されていないからである。
しかも、「大幅の日布上人の御形木御本尊」など、日蓮正宗で下附していた事実すらない。 まぎれもないニセモノである。
学会のニセ本尊を批判(ひはん)できぬ顕正会
かつて創価学会が発行した日寛上人本尊も、時の御法主上人の許可なく、宗門と無関係になった元僧侶が、破門団体に提供し、変造コピーして配布したニセ本尊である。日顕上人は、そのような資格のない輩(やから)が勝手に作ってばらまく本尊について
「大聖人を悪用する、邪心・魔心によって作られた本尊は魔性が入ったものであり、形は日寛上人の本尊ながら、その心に魔が入っておること、 邪神の神社における神札と同じ」(『創価学会の偽造本尊義を破す』一四七頁)
と喝破(かっぱ)されている。
浅井が全国の会館に祀(まつ)る日布上人大幅形木本尊は、この学会ニセ本尊と同轍(どうてつ)である。
それがわかっている顕正会では、学会のニセ本尊を「学会版」と称するものの、それに正当性がないことについては一切触れることができない。学会の大御本尊放棄は糾弾できても、学会のニセ本尊作成については一切論じられず、その本尊を見せられても、真贋(しんがん)を判断することすらできないのだ。
かくて、宗門が学会ニセ本尊を厳しく糾弾していることを熟知している浅井は、口が裂けても自ら本尊を作ったとは公言できず、隠蔽(いんぺい)するしか
術(すべ)がない。下手に説明すると、本尊偽造が白日のもとに晒されてしまうからこそ、「松本能化からの授与」であるとしてゴマカシ続け、ヤブヘビになる
のを恐れて「授与された」日時も明言できないのだ。
顕正会幹部らの言(い)い訳(わけ)も支離滅裂(しりめつれつ)!
その結果、尻拭いをする浅野らが現場で迷走し失態を繰り返すことになる。
浅野は、広説寺講頭・中田紀一氏とのSNSのやりとりの中で、
「(顕正会の本尊は)日蓮正宗から下附された御本尊なんだから(本物だ)」(令和三年十一月十三日)
と送信し、さらに直接対峙(たいじ)した際、 中田氏からの
「顕正会の本尊は日蓮正宗から下附されたのか?」
との追及に、あっさり、日蓮正宗から下附されたものと答えた上で、
「浅井先生が、『顕正会の本尊は日蓮正宗から下附された』と言っていたら、どうする?」(令和四年二月十六日)
と得意のハッタリで茶を濁した(つもり)。この発言は結果的に浅井に責任転嫁する大失態なのだが、浅野はそれにも気付いていない。
さらに浅野は、直後の会合で、登壇して
「(解散処分後) 御本尊下附も禁止」(『顕正新聞』令和四年五月二十五日号)
された、と発言し、解散処分後は日蓮正宗からの御本尊下附がないことを認めてしまった。その直前には、
「『日蓮正宗は、顕正会に本尊を下付していない』だって?嘘だよ、嘘(笑) 大嘘(笑)」
と言っていた本人が、その大嘘を自ら否定する錯乱ぶりには呆(あき)れて物が言えない。その後、中田氏からオンライン法論を促すも、結局、遁走したまま現在に至るが、浅野が「宗旨の根幹である本尊について、堂々と話せ」ないのは、完敗を認めた証左である。
本尊の真贋もわからない連中が教学部委員とは聞いて呆れるが、いつまでも子供だましの中身のない論争に付き合っていられるほど、日蓮正宗僧俗も暇(ひま)まではない。
浅井昭衛および城衛よ、彼らの迷走を止めさせ、現場で建設的な本尊の議論が展開できるよう、いい加減
「松本能化から授与された」という日時を明言したらどうだ?
哀(あわ)れな顕正会員を救(すく)うは我らの使命
愚かな顕正会員は、宗門から「それはニセ本尊だ」と糾弾された後も、毎度、会館で(日布上人の大幅形木本尊と称する) ニセ本尊を拝まされているが、その心境はいかばかりか。ニセ本尊を道理と実態の上から指弾されても、「私たちは、そう思っていません」と自らの疑念を必死で打ち消そうとする姿は、じつに哀れである。これを盲信、盲従という。池田センセーが浅井センセーになっただけで、異流義は同じ穴のムジナだと、自ら証明しているに他ならないのだ。
大聖人御遺命の広宣流布は、真正なる御本尊を流布し、大御本尊の功徳に浴する人々が増えることで成就(じょうじゅ)する。 「広告文」なるチラシを闇雲に配布・投函し、会員が何人増えようが、信仰の根幹が出所不明のニセ本尊というデタラメな宗教では、成仏どころか深い罪障を積み、本門戒壇の大御本尊から遠ざかるばかりである。
第六十五世日淳上人の「本尊が正しければその宗教は正しく、反対に正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である」(『大日蓮』昭和二十五年四月)
との御指南に照らせば、浅井昭衛は邪教を弘める法者である。しかも故人を悪用して事実を歪曲し、自らのニセ本尊作成の大謗法を隠蔽する大悪人である。
この浅井のような大謗法の輩を破折し、それに与(くみ)する人々を正法に導くことこそ、大聖人の弟子檀那としての大使命であることは言うまでもない。
顕正会員には、本記事に触れることができたならば、顕正会ニセ本尊の事実から目を背(そむ)けないでほしい。まずは、自らの成仏のためにも一日も早く
覚醒(かくせい)し、速やかに正法に帰依することを願うばかりである。
(慧妙 令和五年八月十六日号)
「松本能化(のうけ)から授与された!?」のはいつだ?
浅井昭衛よ、顕正会の公式見解を表明せよ!
浅井昭衛が、六月度の総幹部会で、顕正会所有の本尊について、「松本能化からの授与」である、と述べた。またしても、死人(元
僧侶・松本日仁)に口無しを盾(たて)に、自らの本尊偽造の大罪を糊塗(こと)しようと、謀 (たばか)りを繰り出したのである。
ようやく成(な)した弁明(べんめい)も反論の体(てい)なさず
これまでニセ本尊に関する追及に対し、ひたすら黙(だんま)りを決め込んできた浅井だが、この期(ご)に及んで言及せざるを得なくなったのは、本宗僧俗か
らの厳しい追及に、幹部から末端に至るまで、全く反論できずに「サンドバッグ状態」が続いていたからだ。
現に、顕正会教学部長の坪田敏は本尊論になると逃げ回り、副部長の浅野恭浩に至っては、およそ人とも思えぬ悪口雑言を吐き散らし、それをSNS上で拡散されてもお構いなし。 最近では本尊論から道走(とんそう)する醜態(しゅうたい)を各方面で晒(さら)すことが、本部職員としての常態となっている。
彼等ばかりではない。そもそも顕正会内ではニセ本尊の話はタブー。『顕正新聞』には「ニセ本尊」のワードも封印されているほどだ。
元顕正会員の中には、本尊について疑問を呈しただけで除名処分を受け、日蓮正宗に入信した方も少なくない。それもこれも、顕正会の「無二の師匠」たる
浅井昭衛が、ニセ本尊疑惑について一言の弁明もできずに黙りを続けてきたからである。
だからこそ、「宗旨の根幹である本尊について、堂々と話せ」と言いつつ、オンライン法論から遁走した浅野、「ニセ本尊について(法論を)やろうぜ」と
啖呵(たんか)を切っておきながら逃げ回る、『顕正新聞』発行人の小沼貴寛らをはじめ、誰一人としてまともな反論ができない窮状(きゅうじょう)が続いたと
いえよう。
そこで耐えかねた浅井が、今回、再び「松本能化からの授与」説を強調して、事態の沈静化を図ったのである。
しかし、日蓮正宗から、道理・文証を示して公式に「ニセ本尊」と断じられている故に、今回の弁明もまったく反論にはなっていない。
すでに平成十九年、浅井の「地方会館に安置し奉る大幅 (たいふく)の日布上人の御形木御本尊を、松本尊能化に願い出て授与された」(年表参照)
との言い逃れに対し、日蓮正宗では
「顕正会の会館に安置される日布上人の形木本尊と称するものは、時の御法主上人の許可もなく、勝手にコピーされたニセ本尊」
(『顕正会破折Q&A』 九三頁)
と、木っ端微塵(こっぱみじん)に粉砕している。
正規の「本尊下附」があり得(え)ない理由
これに対し、もし本当に
「松本能化から授与された」のであれば、歪曲(わいきよく)武勇伝を驚くほど克明に綴(つづ) る浅井のこと、「授与された」 日時を一言で明言できるはず。 しかし、それすらできないのは、どの日時を提示しても、辻褄(つじつま)が合わなくなることを、浅井自身がよくよく承知しているからだ。
昭和四十九年当時、浅井は自ら、解散処分を受けたことで、妙縁寺出入り禁止、御本尊下附禁止となったとして、
「この斗(たたか)いは長いことではないので、その間妙縁寺の出入りをこちらで御遠慮申し上げ、(松本)御能師に御迷惑がかからぬようにしていきたい」
「晴れてことが解決したら全員揃(そろ)って妙縁寺に集まり、合同で御本尊を頂戴(ちょうだい)する儀式を行おう」
「解散させられても、末寺で御本尊を下げてくれなくても、折伏はできる。(中略)御本尊をお下げしないのは宗務院が悪い」(年表参照)
などと、まったく無反省の発言を繰り返していた。
その後、信徒除名処分となり、永久に日蓮正宗の御本尊下附を許されなくなった浅井は、”遙拝勤行”なるニセ勤行をあみ出したが、今になって、当時から「本尊がどうしても必要だった」というのも、実際の発言と照らして明らかな矛盾(むじゅん)である。
また浅井は、本尊を松本日仁から受け取ったという時期を「松本能化が妙縁寺を退出する時」と明言(年表参照)しているが、その時期、松本はすでに妙縁寺
住職を罷免(ひめん)、さらに濱斥(ひんせき) 処分により日蓮正宗の僧籍を剥奪(はくだつ)され、住職はおろか僧侶でも何でもない立場である。
日蓮正宗と無関係になった松本と浅井との間で譲渡された本尊など、まず、真正・偽造を問わず、いずれも正当性がない。言うまでもなく、御本尊に関しては、授与等の一切が時の御法主上人御一人の権能とされ、御法主上人の許可なく余人が私(わたくし) することは許されていないからである。
しかも、「大幅の日布上人の御形木御本尊」など、日蓮正宗で下附していた事実すらない。 まぎれもないニセモノである。
学会のニセ本尊を批判(ひはん)できぬ顕正会
かつて創価学会が発行した日寛上人本尊も、時の御法主上人の許可なく、宗門と無関係になった元僧侶が、破門団体に提供し、変造コピーして配布したニセ本尊である。日顕上人は、そのような資格のない輩(やから)が勝手に作ってばらまく本尊について
「大聖人を悪用する、邪心・魔心によって作られた本尊は魔性が入ったものであり、形は日寛上人の本尊ながら、その心に魔が入っておること、 邪神の神社における神札と同じ」(『創価学会の偽造本尊義を破す』一四七頁)
と喝破(かっぱ)されている。
浅井が全国の会館に祀(まつ)る日布上人大幅形木本尊は、この学会ニセ本尊と同轍(どうてつ)である。
それがわかっている顕正会では、学会のニセ本尊を「学会版」と称するものの、それに正当性がないことについては一切触れることができない。学会の大御本尊放棄は糾弾できても、学会のニセ本尊作成については一切論じられず、その本尊を見せられても、真贋(しんがん)を判断することすらできないのだ。
かくて、宗門が学会ニセ本尊を厳しく糾弾していることを熟知している浅井は、口が裂けても自ら本尊を作ったとは公言できず、隠蔽(いんぺい)するしか
術(すべ)がない。下手に説明すると、本尊偽造が白日のもとに晒されてしまうからこそ、「松本能化からの授与」であるとしてゴマカシ続け、ヤブヘビになる
のを恐れて「授与された」日時も明言できないのだ。
顕正会幹部らの言(い)い訳(わけ)も支離滅裂(しりめつれつ)!
その結果、尻拭いをする浅野らが現場で迷走し失態を繰り返すことになる。
浅野は、広説寺講頭・中田紀一氏とのSNSのやりとりの中で、
「(顕正会の本尊は)日蓮正宗から下附された御本尊なんだから(本物だ)」(令和三年十一月十三日)
と送信し、さらに直接対峙(たいじ)した際、 中田氏からの
「顕正会の本尊は日蓮正宗から下附されたのか?」
との追及に、あっさり、日蓮正宗から下附されたものと答えた上で、
「浅井先生が、『顕正会の本尊は日蓮正宗から下附された』と言っていたら、どうする?」(令和四年二月十六日)
と得意のハッタリで茶を濁した(つもり)。この発言は結果的に浅井に責任転嫁する大失態なのだが、浅野はそれにも気付いていない。
さらに浅野は、直後の会合で、登壇して
「(解散処分後) 御本尊下附も禁止」(『顕正新聞』令和四年五月二十五日号)
された、と発言し、解散処分後は日蓮正宗からの御本尊下附がないことを認めてしまった。その直前には、
「『日蓮正宗は、顕正会に本尊を下付していない』だって?嘘だよ、嘘(笑) 大嘘(笑)」
と言っていた本人が、その大嘘を自ら否定する錯乱ぶりには呆(あき)れて物が言えない。その後、中田氏からオンライン法論を促すも、結局、遁走したまま現在に至るが、浅野が「宗旨の根幹である本尊について、堂々と話せ」ないのは、完敗を認めた証左である。
本尊の真贋もわからない連中が教学部委員とは聞いて呆れるが、いつまでも子供だましの中身のない論争に付き合っていられるほど、日蓮正宗僧俗も暇(ひま)まではない。
浅井昭衛および城衛よ、彼らの迷走を止めさせ、現場で建設的な本尊の議論が展開できるよう、いい加減
「松本能化から授与された」という日時を明言したらどうだ?
哀(あわ)れな顕正会員を救(すく)うは我らの使命
愚かな顕正会員は、宗門から「それはニセ本尊だ」と糾弾された後も、毎度、会館で(日布上人の大幅形木本尊と称する) ニセ本尊を拝まされているが、その心境はいかばかりか。ニセ本尊を道理と実態の上から指弾されても、「私たちは、そう思っていません」と自らの疑念を必死で打ち消そうとする姿は、じつに哀れである。これを盲信、盲従という。池田センセーが浅井センセーになっただけで、異流義は同じ穴のムジナだと、自ら証明しているに他ならないのだ。
大聖人御遺命の広宣流布は、真正なる御本尊を流布し、大御本尊の功徳に浴する人々が増えることで成就(じょうじゅ)する。 「広告文」なるチラシを闇雲に配布・投函し、会員が何人増えようが、信仰の根幹が出所不明のニセ本尊というデタラメな宗教では、成仏どころか深い罪障を積み、本門戒壇の大御本尊から遠ざかるばかりである。
第六十五世日淳上人の「本尊が正しければその宗教は正しく、反対に正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である」(『大日蓮』昭和二十五年四月)
との御指南に照らせば、浅井昭衛は邪教を弘める法者である。しかも故人を悪用して事実を歪曲し、自らのニセ本尊作成の大謗法を隠蔽する大悪人である。
この浅井のような大謗法の輩を破折し、それに与(くみ)する人々を正法に導くことこそ、大聖人の弟子檀那としての大使命であることは言うまでもない。
顕正会員には、本記事に触れることができたならば、顕正会ニセ本尊の事実から目を背(そむ)けないでほしい。まずは、自らの成仏のためにも一日も早く
覚醒(かくせい)し、速やかに正法に帰依することを願うばかりである。
(慧妙 令和五年八月十六日号)
このコードをスキャンすると年表のPDFデーターにアクセスできます。