安部元首相殺害で浮上したカルト教団問題
旧統一教会だけに注目が集まるが
放置に寄与(きよ)した宗教勢力の存在も問題
安倍晋三元総理の射殺という、衝撃的事件から約二ヶ月が経(た)った。
事件直後は、容疑者の犯行の動機が某宗教団体への逆恨みであった、という点
に注目が集まったが、やがて、「某宗教団体」が旧統一教会であることや、その旧統一教会の異常な実態、与
党議員との深い関係などが明らかになるにつれ、そちらに注目が移り変わり、
連日、各局のワイドショーなどで批判されるようになった。その影響の大きさは、
いまや岸田政権の支持率が下降するほどである。
フランス議会の「カルト」の定義
創価学会や顕正会の実態(じったい)も該当(がいとう)
いま騒がれているポイントは、カルト教団の洗脳の恐ろしさ、及びカルト教団と政治の歪(ゆが)んだ関係にある。
そこで、まず「カルト教団」の定義から考えてみる。
「カルト」とは狂信的集団のことで、その危険性について国民議会で議論してきたフランスでは、一九九五年に、通常の宗教とカルト
(フランスでは「セクト」と呼ぶ)を見分ける国際的指針として、「セクト構成要件の十項目」を採択している。それは、
① 精神の不安定化―構成員の精神を不安定化させる
②法外な金銭的要求―多額の寄付や集金をさせられる
③住み慣れた生活環境からの断絶ー社会から隔絶した組織の中に囲い込まれる
④肉体的保全の損傷―時には心身への暴力的抑圧を加える
⑤子供の囲い込み―子供への洗脳教育を施す
⑥反社会的な言説―終末論的な説や反社会的な言葉を多用する
⑦公秩序の攪乱(かくらん)―集団行動や脅迫などで秩序を乱す
⑧裁判沙汰の多さー多数の訴訟を起こされたり、自らも嫌がらせ訴訟を数多く起こす
⑨従来の経済回路からの逸脱一財力を使った買収や裏工作
⑩公権力への浸透の試み―司法・立法・行政の中に影響力を浸透させる
というものである。
これらを見るかぎり、「カルト」としての危険性を孕(はら)んでいるのが、旧統一教会ばかりではないことがわかる。ちなみにフランス国民議会では、二〇〇一年、人権や基本的自由を侵害する傾向のある団体を取り締まりの対象とする「反セクト法」が採択され、統一協会、サイエントロジー、エホバの証人、創価学会、崇教真光などの現地法人がセクト(カルト)に当たるものとされた。
これはフランスの現地法人を対象としたものだから、そのまま全てが他国に当てはまるとはいえないが、少なくとも本紙(慧妙)読者であれば、創価学会や顕正会の実態がかなりの項目に該当する、との実感を持つであろう。
日本でも沸(わ)き上がったカルト規制の声
それを止(と)めたのは創価学会ら宗教団体
そもそも日本では、一九九〇年代前半に、統一協会への入信・脱会が社会問題となったことをきっかけに、「マインド・コントロール(洗脳)」の危険性が叫ばれるようになり、さらに、一九九五年のオウム真理教による地下鉄サリン事件を機に「カルト」への警戒が訴えられ、宗教団体や信者による逸脱的・違法行為を監視すべく、統一教会やオウム以外の他教団へも、この言葉の適用が検討されてきた。
しかし、その後、約三十年が経過しているにもかかわらず、カルト教団による1 マインド・コントロール間題はいっこうに解決していないことが、今回の安倍氏殺害をきっかけに改めて判明した。
政府・社会ともに、この問題にまともに向き合ってこなかったどころか、旧統一協会と多くの与党議員とがズブズブの関係に陥(おちい)っていることまで露呈(ろてい)された。
議員の見識を糺(ただ)していく必要性はもちろんのことだが、より問題視すべきは、カルト問題の解決に消極的で、国会や議会など公(おおやけ)の場での「宗教」に関する論議をできるだけ遠ざけ、国民の目を逸(そ)らせるよう暗躍してきたのが、創価学会・公明党に他ならない、という点である。
オウムによる地下鉄サリン事件後に、宗教法人法改正についての議論が巻き起こった時、真っ先に異を唱えたのが創価学会の議員たち(当時、公明党は新進党に入り込んでいた)で、創価学会を先頭に多くの宗教団体が、こぞって法改正に反対した。
結局、法改正には至らず、いつのまにか、宗教法人の認証に関する適正化の議論もなされなくなっていった。
こうして創価学会・公明党は、自らがカルト教団であると指弾されることを恐れ、宗教について国民的な議論が巻き起こることを回避するよう働きかけ、結果的に、カルト教団の存続・蔓延(まんえん)に長年加担してきたものといえる。
選挙活動を仏道修行だとする学会
そのカルト的危険性に今こそ警鐘(けいしょう)を
このたびの旧統一教会問題について、公明党の山口代表は
「宗教団体の政治活動は憲法上保障されている」
と語り、
北側副代表は、旧統一教会との関係が取り沙汰される自民党の萩生田政調会長に対し、
「社会的な問題が指摘される団体との関係について、政治家は慎重でなければならない」
と批判した。彼らは、あくまでも創価学会は旧統一協会のような反社会的な団体とは異なり、カルト教団ではない、と言いたげであるが、多くの公明党議員が内心では、政治と宗教の問題としていずれ創価学会が俎上(そじょう)に載せられるのではないか、との不安を抱いているようにも思われる。
というのは、選挙協力で自民党議員に恩を売って、自分たちの思想にそった政策の実現につなげようとする旧統一協会信者らの活動と同様、創価学会員は「選挙活動が仏道修行であり、そこに功徳がある」との指示に従い集票マシーンと化し、その努力によって当選した公明党議員たちは、創価学会に都合の良い政策を実際に実現してきたからだ。
また、創価学会のカルト性について、さらに言えば、高額の「財務」をする者を熱心な信者と称して煽(あお)る実態があった。
旧統一協会の献金にしろ、貢(みつ)がれた金銭の多寡(たか)で信仰の度合いや救いの程度に差を設けるような教団は、フランス国民議会の指標に照らしても「カルト」と呼ぶべきだろう。
その他、過去に学会が引き起こした言論出版妨害事件や、脱会者に対する圧迫、日蓮正宗に対する膨大(ぼうだい)なハラスメント訴訟等々、学会にカルト性がないなどと言うことはできない。
いかに彼らが、反社会的な団体と見なされぬよう画策しようとも、その弊害(へいがい)が国家社会にまで及ぶことを思えば、 正法を信仰する我々こそ、 異流
義に堕した彼らを救うべく、破邪顕正の折伏に励み、広く社会にも警鐘を鳴らしていくべきであろう。
(慧妙 令和四年九月一日号)
旧統一教会だけに注目が集まるが
放置に寄与(きよ)した宗教勢力の存在も問題
安倍晋三元総理の射殺という、衝撃的事件から約二ヶ月が経(た)った。
事件直後は、容疑者の犯行の動機が某宗教団体への逆恨みであった、という点
に注目が集まったが、やがて、「某宗教団体」が旧統一教会であることや、その旧統一教会の異常な実態、与
党議員との深い関係などが明らかになるにつれ、そちらに注目が移り変わり、
連日、各局のワイドショーなどで批判されるようになった。その影響の大きさは、
いまや岸田政権の支持率が下降するほどである。
フランス議会の「カルト」の定義
創価学会や顕正会の実態(じったい)も該当(がいとう)
いま騒がれているポイントは、カルト教団の洗脳の恐ろしさ、及びカルト教団と政治の歪(ゆが)んだ関係にある。
そこで、まず「カルト教団」の定義から考えてみる。
「カルト」とは狂信的集団のことで、その危険性について国民議会で議論してきたフランスでは、一九九五年に、通常の宗教とカルト
(フランスでは「セクト」と呼ぶ)を見分ける国際的指針として、「セクト構成要件の十項目」を採択している。それは、
① 精神の不安定化―構成員の精神を不安定化させる
②法外な金銭的要求―多額の寄付や集金をさせられる
③住み慣れた生活環境からの断絶ー社会から隔絶した組織の中に囲い込まれる
④肉体的保全の損傷―時には心身への暴力的抑圧を加える
⑤子供の囲い込み―子供への洗脳教育を施す
⑥反社会的な言説―終末論的な説や反社会的な言葉を多用する
⑦公秩序の攪乱(かくらん)―集団行動や脅迫などで秩序を乱す
⑧裁判沙汰の多さー多数の訴訟を起こされたり、自らも嫌がらせ訴訟を数多く起こす
⑨従来の経済回路からの逸脱一財力を使った買収や裏工作
⑩公権力への浸透の試み―司法・立法・行政の中に影響力を浸透させる
というものである。
これらを見るかぎり、「カルト」としての危険性を孕(はら)んでいるのが、旧統一教会ばかりではないことがわかる。ちなみにフランス国民議会では、二〇〇一年、人権や基本的自由を侵害する傾向のある団体を取り締まりの対象とする「反セクト法」が採択され、統一協会、サイエントロジー、エホバの証人、創価学会、崇教真光などの現地法人がセクト(カルト)に当たるものとされた。
これはフランスの現地法人を対象としたものだから、そのまま全てが他国に当てはまるとはいえないが、少なくとも本紙(慧妙)読者であれば、創価学会や顕正会の実態がかなりの項目に該当する、との実感を持つであろう。
日本でも沸(わ)き上がったカルト規制の声
それを止(と)めたのは創価学会ら宗教団体
そもそも日本では、一九九〇年代前半に、統一協会への入信・脱会が社会問題となったことをきっかけに、「マインド・コントロール(洗脳)」の危険性が叫ばれるようになり、さらに、一九九五年のオウム真理教による地下鉄サリン事件を機に「カルト」への警戒が訴えられ、宗教団体や信者による逸脱的・違法行為を監視すべく、統一教会やオウム以外の他教団へも、この言葉の適用が検討されてきた。
しかし、その後、約三十年が経過しているにもかかわらず、カルト教団による1 マインド・コントロール間題はいっこうに解決していないことが、今回の安倍氏殺害をきっかけに改めて判明した。
政府・社会ともに、この問題にまともに向き合ってこなかったどころか、旧統一協会と多くの与党議員とがズブズブの関係に陥(おちい)っていることまで露呈(ろてい)された。
議員の見識を糺(ただ)していく必要性はもちろんのことだが、より問題視すべきは、カルト問題の解決に消極的で、国会や議会など公(おおやけ)の場での「宗教」に関する論議をできるだけ遠ざけ、国民の目を逸(そ)らせるよう暗躍してきたのが、創価学会・公明党に他ならない、という点である。
オウムによる地下鉄サリン事件後に、宗教法人法改正についての議論が巻き起こった時、真っ先に異を唱えたのが創価学会の議員たち(当時、公明党は新進党に入り込んでいた)で、創価学会を先頭に多くの宗教団体が、こぞって法改正に反対した。
結局、法改正には至らず、いつのまにか、宗教法人の認証に関する適正化の議論もなされなくなっていった。
こうして創価学会・公明党は、自らがカルト教団であると指弾されることを恐れ、宗教について国民的な議論が巻き起こることを回避するよう働きかけ、結果的に、カルト教団の存続・蔓延(まんえん)に長年加担してきたものといえる。
選挙活動を仏道修行だとする学会
そのカルト的危険性に今こそ警鐘(けいしょう)を
このたびの旧統一教会問題について、公明党の山口代表は
「宗教団体の政治活動は憲法上保障されている」
と語り、
北側副代表は、旧統一教会との関係が取り沙汰される自民党の萩生田政調会長に対し、
「社会的な問題が指摘される団体との関係について、政治家は慎重でなければならない」
と批判した。彼らは、あくまでも創価学会は旧統一協会のような反社会的な団体とは異なり、カルト教団ではない、と言いたげであるが、多くの公明党議員が内心では、政治と宗教の問題としていずれ創価学会が俎上(そじょう)に載せられるのではないか、との不安を抱いているようにも思われる。
というのは、選挙協力で自民党議員に恩を売って、自分たちの思想にそった政策の実現につなげようとする旧統一協会信者らの活動と同様、創価学会員は「選挙活動が仏道修行であり、そこに功徳がある」との指示に従い集票マシーンと化し、その努力によって当選した公明党議員たちは、創価学会に都合の良い政策を実際に実現してきたからだ。
また、創価学会のカルト性について、さらに言えば、高額の「財務」をする者を熱心な信者と称して煽(あお)る実態があった。
旧統一協会の献金にしろ、貢(みつ)がれた金銭の多寡(たか)で信仰の度合いや救いの程度に差を設けるような教団は、フランス国民議会の指標に照らしても「カルト」と呼ぶべきだろう。
その他、過去に学会が引き起こした言論出版妨害事件や、脱会者に対する圧迫、日蓮正宗に対する膨大(ぼうだい)なハラスメント訴訟等々、学会にカルト性がないなどと言うことはできない。
いかに彼らが、反社会的な団体と見なされぬよう画策しようとも、その弊害(へいがい)が国家社会にまで及ぶことを思えば、 正法を信仰する我々こそ、 異流
義に堕した彼らを救うべく、破邪顕正の折伏に励み、広く社会にも警鐘を鳴らしていくべきであろう。
(慧妙 令和四年九月一日号)
かつて起きたカルト規制の動きは、創価学会などが反対してなし崩しに