過去の顕正新聞に、
「『富士大石寺』を冠し戦えるのは顕正会のみ」(顕正新聞 平成二十六年二月十五日付)
との見出しが躍っていた。
はてさて、「富士大石寺」は日蓮正宗総本山であり、顕正会が冠すること自体はおかしいのだがー。
正々堂々と「富士大石寺」を名乗れるのは、我々宗内僧俗である。どういう意図か知らないが、「富士」を「冨士」と書き換えて、大石寺を名乗るのは、実にややこしく迷惑千万。もし、自分たちこそ日蓮大聖人の正義を受持して弘めていると勘違いしているのであれば、彼らは、
「かゝる日蓮を用(もち)ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし。」
(御書 一0六六㌻)
の咎(とが)を、日夜重ねていることになる。
魂胆が透(す)けて見える似非(えせ)教団
顕正会は、法人格は「顕正会」として取得しながらも、看板を「冨士大石寺顕正会」と掲げ、まるで日蓮正宗総本山大石寺と関係のある教団のように装っている。
これをニセ札に例えて考えてみよう。ニセ札(顕正会)は、正規のお金(日蓮正宗)に似せて悪用するところに罪がある。
見るからに玩具と判れば、悪用もしない。つまり、あくどい魂胆が透けて見える ”似て非なるもの”が最も悪というわけだ。
また世間には「あやかり商法」なるワザがある。これは、ある商品やサービスが、あたかも他の人気商品や世間の流行、大型イベントと関連があるかのように宣伝して販売する方法だ。
擬(まが)い物を廃絶せよ
『大石寺』を冠することで、宗門に似せ、宗門に便乗して生き残ろうとでもしているようだ。
顕正会を知らない人は、疑うことなく大石寺と同一視してしまう。
宗門への誹謗(ひぼう)中傷だけでなく、この「擬似(ぎじ)」という点でも、宗門を貶(おとし)める顕正会は罪が深い。
彼らはどうして宗門に擬するのか。その真意は、首魁(しゅかい)の浅井昭衛本人に聞かないと判らないが、布教において、宗門に”寄生”するかのように存在していることは事実である。
大聖人の御一代をまことしやかに語り、大石寺の歴史を我が事のように話す。
そうして、人々を誑惑(おうわく)していくのが彼らの常套(じょうとう)手段なのだ、その策略のせいで、世間には日蓮正宗と顕正会が同じように見えてしまうことがあるかも知れない。
しかし実は、大石寺を誹謗するのだから、似ているどころか、全く正反対の別物である。
顕正会は、大聖人の教えとは真逆(まぎゃく)、対極にある存在だ。
七百五十年に及ぶ宗門史において、血脈相伝の正義に背反(はいはん)して破門された集団が、一時、宗門に寄生して己義を構えた例はいくつかある。
だが、それらはすべて、時の流れと共に消え去った。
顕正会も、結局は謗法者・浅井の悪名だけを三世に残して、やがて歴史から消え去る運命である。
福運尽き、果てる顕正会
浅井が信徒として宗門にいた期間は二十数年ほど、そのうち、心から信じて信仰した時期は一体どのくらいあったであろうか。
大聖人は、『四条金吾殿御返事』に、
『夫(それ)運きはまりぬれば兵法(ひょうほう)もいらず。果報つきぬれば所従(しょじゅう)もしたがはず。』(同 一四0七㌻)
と示されている。
福運がなくなれば兵法も役に立たず、果報が尽きれば、周囲の人も従わなくなる。遠い昔に浅井が正法に触れた福運や果報は、とっくに底をついている。その浅井から、人は離れていく。
大聖人の仰せは、正しく歴史が証明している。これが邪教顕正会の末路だ。
たた、我々が手を拱(こまね)き、正しいことを発信しなければ、浅井の謀略によって大石寺の悪いイメージが一人歩きし、やがて、固定観念として世間で定着する恐れがある。
そこで、我々は強(し)いて折伏を行じ、顕正会の正体を自白のもとに晒(さら)し、顕正会員を救うのみならず、人々の勘違いや先入観を払拭(ふっしょく)し、唯一正しい仏法は日蓮正宗大石寺をおいて他にないことを弘めていこう。
「『富士大石寺』を冠し戦えるのは顕正会のみ」(顕正新聞 平成二十六年二月十五日付)
との見出しが躍っていた。
はてさて、「富士大石寺」は日蓮正宗総本山であり、顕正会が冠すること自体はおかしいのだがー。
正々堂々と「富士大石寺」を名乗れるのは、我々宗内僧俗である。どういう意図か知らないが、「富士」を「冨士」と書き換えて、大石寺を名乗るのは、実にややこしく迷惑千万。もし、自分たちこそ日蓮大聖人の正義を受持して弘めていると勘違いしているのであれば、彼らは、
「かゝる日蓮を用(もち)ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし。」
(御書 一0六六㌻)
の咎(とが)を、日夜重ねていることになる。
魂胆が透(す)けて見える似非(えせ)教団
顕正会は、法人格は「顕正会」として取得しながらも、看板を「冨士大石寺顕正会」と掲げ、まるで日蓮正宗総本山大石寺と関係のある教団のように装っている。
これをニセ札に例えて考えてみよう。ニセ札(顕正会)は、正規のお金(日蓮正宗)に似せて悪用するところに罪がある。
見るからに玩具と判れば、悪用もしない。つまり、あくどい魂胆が透けて見える ”似て非なるもの”が最も悪というわけだ。
また世間には「あやかり商法」なるワザがある。これは、ある商品やサービスが、あたかも他の人気商品や世間の流行、大型イベントと関連があるかのように宣伝して販売する方法だ。
擬(まが)い物を廃絶せよ
『大石寺』を冠することで、宗門に似せ、宗門に便乗して生き残ろうとでもしているようだ。
顕正会を知らない人は、疑うことなく大石寺と同一視してしまう。
宗門への誹謗(ひぼう)中傷だけでなく、この「擬似(ぎじ)」という点でも、宗門を貶(おとし)める顕正会は罪が深い。
彼らはどうして宗門に擬するのか。その真意は、首魁(しゅかい)の浅井昭衛本人に聞かないと判らないが、布教において、宗門に”寄生”するかのように存在していることは事実である。
大聖人の御一代をまことしやかに語り、大石寺の歴史を我が事のように話す。
そうして、人々を誑惑(おうわく)していくのが彼らの常套(じょうとう)手段なのだ、その策略のせいで、世間には日蓮正宗と顕正会が同じように見えてしまうことがあるかも知れない。
しかし実は、大石寺を誹謗するのだから、似ているどころか、全く正反対の別物である。
顕正会は、大聖人の教えとは真逆(まぎゃく)、対極にある存在だ。
七百五十年に及ぶ宗門史において、血脈相伝の正義に背反(はいはん)して破門された集団が、一時、宗門に寄生して己義を構えた例はいくつかある。
だが、それらはすべて、時の流れと共に消え去った。
顕正会も、結局は謗法者・浅井の悪名だけを三世に残して、やがて歴史から消え去る運命である。
福運尽き、果てる顕正会
浅井が信徒として宗門にいた期間は二十数年ほど、そのうち、心から信じて信仰した時期は一体どのくらいあったであろうか。
大聖人は、『四条金吾殿御返事』に、
『夫(それ)運きはまりぬれば兵法(ひょうほう)もいらず。果報つきぬれば所従(しょじゅう)もしたがはず。』(同 一四0七㌻)
と示されている。
福運がなくなれば兵法も役に立たず、果報が尽きれば、周囲の人も従わなくなる。遠い昔に浅井が正法に触れた福運や果報は、とっくに底をついている。その浅井から、人は離れていく。
大聖人の仰せは、正しく歴史が証明している。これが邪教顕正会の末路だ。
たた、我々が手を拱(こまね)き、正しいことを発信しなければ、浅井の謀略によって大石寺の悪いイメージが一人歩きし、やがて、固定観念として世間で定着する恐れがある。
そこで、我々は強(し)いて折伏を行じ、顕正会の正体を自白のもとに晒(さら)し、顕正会員を救うのみならず、人々の勘違いや先入観を払拭(ふっしょく)し、唯一正しい仏法は日蓮正宗大石寺をおいて他にないことを弘めていこう。