遥拝勤行は「広布最終段階の姿」!?
「遥拝勤行」に名を借りた浅井昭衛の謀(たばか)り
顕正会で行われている遥拝(ようはい)勤行とは、
「信心の修行はまず朝晩の遥拝勤行から始まります。遥拝勤行とは、富士大石寺にまします戒壇の大御本尊を、はるか遠くから、眼前にまします思いを以て拝みまいらせることであります。この遥拝勤行を、誇りと確信を以て実践してほしい。すなわち御在世の信行を今に移すという誇り、功徳において全く同じという確信に立って実践することが大切であります」
(『冨士』昭和五十九年十一月号)
また、
「遥拝勤行とは、富士大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を、わが家より遥(はる)かに拝みまいらせる勤行であり、その功徳は御本尊の御前で行う勤行と全く同じである。遥拝勤行において大切なことは、我が家と戒壇の大御本尊といかに距離があろうとも、眼前に大御本尊まします、直接拝みまいらせる、との思いに立つことである。信心に距離は関係ない。もし信心がなければ眼前に御本尊がましますとも通ずることはなく、もし信心があれば、千万里を隔(へだ)てるとも直ちに御本尊を通じて大功徳を生ずるのである。ゆえに大聖人は、身延より千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し、『譬えば、天月は四万由旬なれども大地の地には須臾(しゅゆ)に影存かび、雷門の鼓(つづみ)は千万里遠けれども打てば須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをば(御座)せども、心は此の国に来たれり、乃至、御面(かお)を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ』(千日尼御前御返事)と仰せ下されている。『心こそ大切に候へ』と。まさに日蓮大聖人を恋慕渇仰し奉る信心こそ大切なのである」
(基礎教学書 一 一三頁)と説明されている。
さらに、
遥拝勤行こそ、末法三毒強盛の凡夫を、直接、戒壇の大御本尊に繋(つな)ぎまいらせる秘術であり、広布最終段階の信行の姿なのです」
(「顕正新聞」平成三十年十一月五日号)
とも言っている。
本来、本宗における「遥拝」とは、代々の御法主上人が丑寅勤行の終了後、総本山客殿の西側に設置される遥拝所より、本門戒壇の大御本尊を拝する化義のことを指す。この定義を根本とし、広義として、御受戒を受けて日蓮正宗に帰依した信徒が、大石寺に向かって勤行をすることをも意味する。つまり入信したものの、御本尊を自宅に安置できる環境が整うまでの期間、あくまでも暫定的に大石寺に向かって朝夕の勤行を行うことも「遥拝」と呼称される。
浅井はかつて五座三座の重要性を熱弁
それが「五座の形はあり得ない」に変遷(へんせん)
近年、顕正会に入会した会員は、かつて顕正会でも本宗の化義に従い、五座三座の勤行を行っていた、という過去をほとんど知らない。会長の浅井昭衛は、当時
「勤行の上げ方は化義に属する。化義は時代によって多少変わって来る事もある。現今の五座の勤行も方便・寿量の両品を読誦して、お題目を上げるという基本は現在世から変わらなくても」云々(『冨士』昭和三十九年七月号)
「日蓮正宗七百年の伝統は、化義化法純然として大聖人仰せのままに実践して来た事にある。ゆえに日興上人は、
『富士の流儀いささかも先師の御弘通に違せざる事』と宣言遊ばしたのです。
仏法に己義を交えば由々しきひが事であります」
(『御遺命守護の戦い』四十七頁)と述べていた。
しかし、
「広く大衆を教化し実践せしむる時においては、五座の形はあり得ない。(中略)私は、この五座の勤行と言うのは、広宣流布を待つ総本山の化義、ひたすら時を待たれる歴代先師上人の、尊い御所作であると思っています」(『顕正新聞』平成十年六月十五日号)と、何の教義的根拠もなく、
「五座の形はあり得ない」として勤行を改変するに至ったのである。
御本尊を頂戴(ちょうだい)していた阿仏房夫婦
これでは「遥拝勤行」の文証にはならぬ
次に浅井は、遥拝勤行を正当化する根拠として、『千日尼御前御返事』を引用し、「信心に距離は関係ない」として、学会の「大聖人直結さながらの邪義を吐いている。実際に、法論においても遥拝勤行の文証提示を要求すると、かの『千日尼御前御返事』の御文を提示する会員が多い。
まず同抄の対告衆である千日尼は、阿仏房の妻である佐渡の女性檀越 であるが、『阿仏房御書』に、
「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩はうまれかわり給ひてや日蓮を御とぶら(訪)ひ給ふか。不思議なり不思議なり。此の御志をば日蓮はしらず上行菩薩の御出現の力にまか(委)せたてまつ(奉)り候ぞ、別の故はあるべからず、あるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ」(御書 七九三頁)
とあるように、阿仏房・千日尼には、大聖人から御本尊を下付されている事実がある。現存する大聖人の御真筆御本尊の中にも、夫婦に授与されたとの伝承を待つ御本尊が二幅残っている。
つまり、阿仏房夫婦は遥拝ではなく、御本尊を目に当たりに拝した勤行をしていたのであり、かの御文は、遥拝勤行を正当化する文証になり得ないのである。
(慧妙 令和元年 五月一日号)
「遥拝勤行」に名を借りた浅井昭衛の謀(たばか)り
顕正会で行われている遥拝(ようはい)勤行とは、
「信心の修行はまず朝晩の遥拝勤行から始まります。遥拝勤行とは、富士大石寺にまします戒壇の大御本尊を、はるか遠くから、眼前にまします思いを以て拝みまいらせることであります。この遥拝勤行を、誇りと確信を以て実践してほしい。すなわち御在世の信行を今に移すという誇り、功徳において全く同じという確信に立って実践することが大切であります」
(『冨士』昭和五十九年十一月号)
また、
「遥拝勤行とは、富士大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を、わが家より遥(はる)かに拝みまいらせる勤行であり、その功徳は御本尊の御前で行う勤行と全く同じである。遥拝勤行において大切なことは、我が家と戒壇の大御本尊といかに距離があろうとも、眼前に大御本尊まします、直接拝みまいらせる、との思いに立つことである。信心に距離は関係ない。もし信心がなければ眼前に御本尊がましますとも通ずることはなく、もし信心があれば、千万里を隔(へだ)てるとも直ちに御本尊を通じて大功徳を生ずるのである。ゆえに大聖人は、身延より千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し、『譬えば、天月は四万由旬なれども大地の地には須臾(しゅゆ)に影存かび、雷門の鼓(つづみ)は千万里遠けれども打てば須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをば(御座)せども、心は此の国に来たれり、乃至、御面(かお)を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ』(千日尼御前御返事)と仰せ下されている。『心こそ大切に候へ』と。まさに日蓮大聖人を恋慕渇仰し奉る信心こそ大切なのである」
(基礎教学書 一 一三頁)と説明されている。
さらに、
遥拝勤行こそ、末法三毒強盛の凡夫を、直接、戒壇の大御本尊に繋(つな)ぎまいらせる秘術であり、広布最終段階の信行の姿なのです」
(「顕正新聞」平成三十年十一月五日号)
とも言っている。
本来、本宗における「遥拝」とは、代々の御法主上人が丑寅勤行の終了後、総本山客殿の西側に設置される遥拝所より、本門戒壇の大御本尊を拝する化義のことを指す。この定義を根本とし、広義として、御受戒を受けて日蓮正宗に帰依した信徒が、大石寺に向かって勤行をすることをも意味する。つまり入信したものの、御本尊を自宅に安置できる環境が整うまでの期間、あくまでも暫定的に大石寺に向かって朝夕の勤行を行うことも「遥拝」と呼称される。
浅井はかつて五座三座の重要性を熱弁
それが「五座の形はあり得ない」に変遷(へんせん)
近年、顕正会に入会した会員は、かつて顕正会でも本宗の化義に従い、五座三座の勤行を行っていた、という過去をほとんど知らない。会長の浅井昭衛は、当時
「勤行の上げ方は化義に属する。化義は時代によって多少変わって来る事もある。現今の五座の勤行も方便・寿量の両品を読誦して、お題目を上げるという基本は現在世から変わらなくても」云々(『冨士』昭和三十九年七月号)
「日蓮正宗七百年の伝統は、化義化法純然として大聖人仰せのままに実践して来た事にある。ゆえに日興上人は、
『富士の流儀いささかも先師の御弘通に違せざる事』と宣言遊ばしたのです。
仏法に己義を交えば由々しきひが事であります」
(『御遺命守護の戦い』四十七頁)と述べていた。
しかし、
「広く大衆を教化し実践せしむる時においては、五座の形はあり得ない。(中略)私は、この五座の勤行と言うのは、広宣流布を待つ総本山の化義、ひたすら時を待たれる歴代先師上人の、尊い御所作であると思っています」(『顕正新聞』平成十年六月十五日号)と、何の教義的根拠もなく、
「五座の形はあり得ない」として勤行を改変するに至ったのである。
御本尊を頂戴(ちょうだい)していた阿仏房夫婦
これでは「遥拝勤行」の文証にはならぬ
次に浅井は、遥拝勤行を正当化する根拠として、『千日尼御前御返事』を引用し、「信心に距離は関係ない」として、学会の「大聖人直結さながらの邪義を吐いている。実際に、法論においても遥拝勤行の文証提示を要求すると、かの『千日尼御前御返事』の御文を提示する会員が多い。
まず同抄の対告衆である千日尼は、阿仏房の妻である佐渡の女性檀越 であるが、『阿仏房御書』に、
「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩はうまれかわり給ひてや日蓮を御とぶら(訪)ひ給ふか。不思議なり不思議なり。此の御志をば日蓮はしらず上行菩薩の御出現の力にまか(委)せたてまつ(奉)り候ぞ、別の故はあるべからず、あるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ」(御書 七九三頁)
とあるように、阿仏房・千日尼には、大聖人から御本尊を下付されている事実がある。現存する大聖人の御真筆御本尊の中にも、夫婦に授与されたとの伝承を待つ御本尊が二幅残っている。
つまり、阿仏房夫婦は遥拝ではなく、御本尊を目に当たりに拝した勤行をしていたのであり、かの御文は、遥拝勤行を正当化する文証になり得ないのである。
(慧妙 令和元年 五月一日号)