とかく悪質な邪宗教では、信者の心や行動を巧(たく)みに操(あや)って教線の拡大を図る。 いわゆる、マインドコントロールである。
本来マインドコントロールとは、スポーツ選手などが、心を平静に保ったり集中力を高めたりするため、自らの心理状態を制御·調
整するセルフ·コントロールを意味していた。しかし、近年では、他人の思想。行動·感情·情報などを支配する意味を指すことが多くなった。
これは平成七年に起こったオウム真理教の凶悪事件によるところが大きい。 マスコミは、罪を犯した信者の心理状態を示す恰好の言葉として多用した。
ある宗教団体にマインドコントロールされていた被害者は、当時の状況をこう証言する。
「浴槽にコップ一杯ずつの赤い水を入れられているうち、ある日、真っ赤なお湯になってもお風呂だと思って入っている状態」。
これがマインドコントロールだ。 自分自身では異常な状態を全く認識できないところに、 その怖ろしさがある。
脱・浅井フィルター
さて、顕正会はどうか。会員たちは会長である浅井昭衛の言いなりだ。 浅井が、やれ「御遺命破壊」だ、やれ「国立戒壇」だと
喚(わめ)けば、何の疑いもなくこれに盲従する。浅井のせいで、自ら日蓮大聖人の仰せ(御書)を拝すことも、本門戒壇の大御本尊を内拝させていただくこともできない。
哀れな顕正会員は、浅井の考えを通してしか、仏法の正否を判断することができないのである。
言うに及ばず、会員たちは浅井にマインドコントロールされている。彼らを正法に帰依せしめるために、まずは何としても「浅井」というフィルターを取り除かなくてはならない。
「依法不依人(えほうふえにん)」の訓誠
浅井フィルターのかかった彼らは、浅井を通して大聖人を見る。故に、それはもはや大聖人の教えではない。浅井の教え ”浅井教”である。
寺院へやって来る顕正会員は、自分たちこそ大聖人の弟子檀那だと豪語するが、件(くだん)の理田から浅井の弟子であって、浅井の操り人形であることを知るべきだ。
大聖人は諸御書に、湿梁経の「依法不依人」の文を引かれている。
これは仏法を正しく修行するには、必ず法に依るべきであり、人に依ってはならないとの誠(いまし)めである。幹部会などで登壇する会員は、
一様に”先生のために…”
とか,
”先生にお応えする覚悟です”
などと言うが、これぞまさに人に依った間違った姿である。
正しく法に依るとは、本門戒壇の大御本尊と血脈法水在(ましま)す本宗の信仰に帰依することである。
大聖人が、
「血脈の次第 日蓮日興」(御書 一六七五㌻))
と仰せの本宗相伝の血脈仏法に依らず、我見に執(とら)われた浅井の邪義をどれほど真撃(しんし)に学んだとしても、残念ながら未来永劫に亘(わた)って成仏は不可能なのである。
顕正会員の折伏を
マインドコントロールは、仕かけられている側に自覚がない。自分はマインドコントロールされていると、本人は夢にも思っていない。
自覚がないため、抜け出すには周囲の働きかけが不可欠であり、そのきっかけを与え続けることが重要と言える。
どんな状態に陥っていたとしても、心の奥底には正常な部分 (仏性) が残っているはず。
これまでに、数多くの顕正会員が脱会して本宗に帰依していることが何よりの証拠だ。
我々の飽くなき折伏で、彼らが救われる可能性は大いにある。
過日、法義研錯委員会の編纂による『顕正会破折Q&A』が発刊された。
例えば、顕正会員に、その項目一つずつを丁寧に読み聞かせて、こちらの質問に答えてもらおう。 自分の頭で考えさせるきっかけになれば、それも一歩前進だ。
いずれにせよ、それらの破折書を大いに活用し、浅井の毒に冒(おか)された顕正会員たちを勇猛果敢に折伏して、貴重な時間を
失っている彼らに、本来の人生を取り戻させていこう。
(大白法 第 一〇一八号 令和元年十二月一日)
本来マインドコントロールとは、スポーツ選手などが、心を平静に保ったり集中力を高めたりするため、自らの心理状態を制御·調
整するセルフ·コントロールを意味していた。しかし、近年では、他人の思想。行動·感情·情報などを支配する意味を指すことが多くなった。
これは平成七年に起こったオウム真理教の凶悪事件によるところが大きい。 マスコミは、罪を犯した信者の心理状態を示す恰好の言葉として多用した。
ある宗教団体にマインドコントロールされていた被害者は、当時の状況をこう証言する。
「浴槽にコップ一杯ずつの赤い水を入れられているうち、ある日、真っ赤なお湯になってもお風呂だと思って入っている状態」。
これがマインドコントロールだ。 自分自身では異常な状態を全く認識できないところに、 その怖ろしさがある。
脱・浅井フィルター
さて、顕正会はどうか。会員たちは会長である浅井昭衛の言いなりだ。 浅井が、やれ「御遺命破壊」だ、やれ「国立戒壇」だと
喚(わめ)けば、何の疑いもなくこれに盲従する。浅井のせいで、自ら日蓮大聖人の仰せ(御書)を拝すことも、本門戒壇の大御本尊を内拝させていただくこともできない。
哀れな顕正会員は、浅井の考えを通してしか、仏法の正否を判断することができないのである。
言うに及ばず、会員たちは浅井にマインドコントロールされている。彼らを正法に帰依せしめるために、まずは何としても「浅井」というフィルターを取り除かなくてはならない。
「依法不依人(えほうふえにん)」の訓誠
浅井フィルターのかかった彼らは、浅井を通して大聖人を見る。故に、それはもはや大聖人の教えではない。浅井の教え ”浅井教”である。
寺院へやって来る顕正会員は、自分たちこそ大聖人の弟子檀那だと豪語するが、件(くだん)の理田から浅井の弟子であって、浅井の操り人形であることを知るべきだ。
大聖人は諸御書に、湿梁経の「依法不依人」の文を引かれている。
これは仏法を正しく修行するには、必ず法に依るべきであり、人に依ってはならないとの誠(いまし)めである。幹部会などで登壇する会員は、
一様に”先生のために…”
とか,
”先生にお応えする覚悟です”
などと言うが、これぞまさに人に依った間違った姿である。
正しく法に依るとは、本門戒壇の大御本尊と血脈法水在(ましま)す本宗の信仰に帰依することである。
大聖人が、
「血脈の次第 日蓮日興」(御書 一六七五㌻))
と仰せの本宗相伝の血脈仏法に依らず、我見に執(とら)われた浅井の邪義をどれほど真撃(しんし)に学んだとしても、残念ながら未来永劫に亘(わた)って成仏は不可能なのである。
顕正会員の折伏を
マインドコントロールは、仕かけられている側に自覚がない。自分はマインドコントロールされていると、本人は夢にも思っていない。
自覚がないため、抜け出すには周囲の働きかけが不可欠であり、そのきっかけを与え続けることが重要と言える。
どんな状態に陥っていたとしても、心の奥底には正常な部分 (仏性) が残っているはず。
これまでに、数多くの顕正会員が脱会して本宗に帰依していることが何よりの証拠だ。
我々の飽くなき折伏で、彼らが救われる可能性は大いにある。
過日、法義研錯委員会の編纂による『顕正会破折Q&A』が発刊された。
例えば、顕正会員に、その項目一つずつを丁寧に読み聞かせて、こちらの質問に答えてもらおう。 自分の頭で考えさせるきっかけになれば、それも一歩前進だ。
いずれにせよ、それらの破折書を大いに活用し、浅井の毒に冒(おか)された顕正会員たちを勇猛果敢に折伏して、貴重な時間を
失っている彼らに、本来の人生を取り戻させていこう。
(大白法 第 一〇一八号 令和元年十二月一日)