厚生労働省は本年四月、令和二年(昨年)の自殺者数が二万千八十一人(前年比九百十二人増)だったと発表した。
平成二十二年からの十年間は減少傾向が続いていたが、新型コロナウイルスの感染拡大が影響してか増加に転じたと、新聞各紙が報じていた。
女性と若者で自殺者増の傾向との特徴も言われているが、例えば、アルバイト先がなく、お金を手にできないため食べるのに困った大学生も大勢いる。さりとて故郷の両親には頼れないと悩んだり、この先学業を続けられるのかと、心細さや将来への閉塞感で生きづらさを感じているだろう。
また、日々の報道の中、医師や看護師が「自分も罹患(りかん)するかも知れない」「自分が感染を拡げてしまったら」「仕事で新型コロナウ
イルス患者と接触せざるを得ないため、我が子が差別を受ける」と、不安や悩みを抱える心情を吐露していた。
懸命に医療を施(ほどこ)しても目の前で患者が亡くなっていくという職場に長時間勤務することで、心身が疲弊しないわけがない。
挙(あ)げればきりがないが、このたびのコロナ禍(か)は百年に一度という大きな禍(わざわい)であり、様々な立場の人々が、一様でない理由で苦しみを感じているのだ。 自ら「助けて」と声をあげられずに孤立する人、八方塞(ふさ)がりに感じている人が、どれだけいることだろう。
このような、多くの人が苦しみを感じている状況にあって、元来の目的である、人々を救うことのできる真の宗教は何だろうか。
今生きる世界を忌避(きひ)する教え
ちなみに、日本一の信徒数を誇る浄土宗・浄土真宗は、
「厭離穢土(えんりえど)·欣求(ごんぐ) 浄土(じょうど)」
といって、穢(けが)れた国土であるこの裟婆世界を厭(いと)い離れ、阿弥陀仏の住む極楽浄土に往生(おうじょう)(生まれ変わる) すべきことを説く。
これは、「私たちが生きる娑婆世界は悩み苦しみが多く、そこに生きる我々の命もまた汚れている。 だから、穢れた我が身と娑婆世界は諦(あきら)めて、死んだ後に極楽浄土に生まれ変わろう。そのために南無阿弥陀仏を唱えよう」
というものだ。
そんな浄土系寺院も、支え合ってコロナ禍を乗り越えましょうなどとメッセージを出しているらしい。
とんでもないことだ。真っ向から大きな困難にぶつかり心身共にボロボロの状態で、極楽浄土を渇仰して念仏を唱えでもしたら、心底この世が嫌になって生気を失うに決まっている。
「娑婆即寂光」の法華経
対して、仏の説く正しい教えはどうだろう。
法華経の教えは念仏と正反対だ。『寿量品』には、
「我常在此(がじょうざいし)。裟婆世界(しゃばせかい)。説法教化(せっぽうきょうけ)(我常(つね)に比の娑婆世界に在(あ)って、説法教化す)」(法華経 四三一㌻)
と、 裟婆世界こそ釈尊が常に住む仏国土と説く。
法華経『寿量品』の肝心である御本尊を信じ「南無妙法蓮華経」を唱えれば、我が身に仏の境界を得、苦しみの多いこの裟婆世界がそのまま
「寂光土 (仏の国土)」
となるという教えだ。
白蓮華は、汚泥の中から茎(くき)を伸ばし白く美しい花を咲かせる。汚泥の如き娑婆世界に生きる我々の命も、ふだんは汚れている。
しかしひとたびこの御本尊に縁すれば、汚泥にまみれず蓮華が咲き香るように、凡夫の拙(つたない)い命に隠れていた仏の尊い命が現われてくる。
そもそも釈尊が仏法を説いた目的は、現実に生きて苦しみに直面する人を救うことではないか。「今の人生は諦めてください」という念仏の "往生",は、断じて釈尊の本心ではない。
日蓮大聖人は『立正安国論』に、人々が正法に帰依(きえ)すれば、
「三界(この世界) は皆仏国なり (中略)十方(この世界) は悉(ことごと)く宝土なり」(御書 二五〇㌻)
と、仏国土が顕現することを明言されている。
今が折伏を行ずべき時
言うまでもなく悪世末法の今、人々を幸せにする真の宗教は白蓮正宗のみ。
これを人々に伝えられるのは、そのことを知っている我々、日蓮正宗僧谷だけだ。
御法主日如上人貌下の御指南のもと、地涌の菩薩の眷属としての尊い使命を自覚し、人々が苦しんでいる今こそ、我々は “折伏"を
行ずる時と心得るべきだ。
(大白法 第一〇五三号 令和三年五月十六日)
平成二十二年からの十年間は減少傾向が続いていたが、新型コロナウイルスの感染拡大が影響してか増加に転じたと、新聞各紙が報じていた。
女性と若者で自殺者増の傾向との特徴も言われているが、例えば、アルバイト先がなく、お金を手にできないため食べるのに困った大学生も大勢いる。さりとて故郷の両親には頼れないと悩んだり、この先学業を続けられるのかと、心細さや将来への閉塞感で生きづらさを感じているだろう。
また、日々の報道の中、医師や看護師が「自分も罹患(りかん)するかも知れない」「自分が感染を拡げてしまったら」「仕事で新型コロナウ
イルス患者と接触せざるを得ないため、我が子が差別を受ける」と、不安や悩みを抱える心情を吐露していた。
懸命に医療を施(ほどこ)しても目の前で患者が亡くなっていくという職場に長時間勤務することで、心身が疲弊しないわけがない。
挙(あ)げればきりがないが、このたびのコロナ禍(か)は百年に一度という大きな禍(わざわい)であり、様々な立場の人々が、一様でない理由で苦しみを感じているのだ。 自ら「助けて」と声をあげられずに孤立する人、八方塞(ふさ)がりに感じている人が、どれだけいることだろう。
このような、多くの人が苦しみを感じている状況にあって、元来の目的である、人々を救うことのできる真の宗教は何だろうか。
今生きる世界を忌避(きひ)する教え
ちなみに、日本一の信徒数を誇る浄土宗・浄土真宗は、
「厭離穢土(えんりえど)·欣求(ごんぐ) 浄土(じょうど)」
といって、穢(けが)れた国土であるこの裟婆世界を厭(いと)い離れ、阿弥陀仏の住む極楽浄土に往生(おうじょう)(生まれ変わる) すべきことを説く。
これは、「私たちが生きる娑婆世界は悩み苦しみが多く、そこに生きる我々の命もまた汚れている。 だから、穢れた我が身と娑婆世界は諦(あきら)めて、死んだ後に極楽浄土に生まれ変わろう。そのために南無阿弥陀仏を唱えよう」
というものだ。
そんな浄土系寺院も、支え合ってコロナ禍を乗り越えましょうなどとメッセージを出しているらしい。
とんでもないことだ。真っ向から大きな困難にぶつかり心身共にボロボロの状態で、極楽浄土を渇仰して念仏を唱えでもしたら、心底この世が嫌になって生気を失うに決まっている。
「娑婆即寂光」の法華経
対して、仏の説く正しい教えはどうだろう。
法華経の教えは念仏と正反対だ。『寿量品』には、
「我常在此(がじょうざいし)。裟婆世界(しゃばせかい)。説法教化(せっぽうきょうけ)(我常(つね)に比の娑婆世界に在(あ)って、説法教化す)」(法華経 四三一㌻)
と、 裟婆世界こそ釈尊が常に住む仏国土と説く。
法華経『寿量品』の肝心である御本尊を信じ「南無妙法蓮華経」を唱えれば、我が身に仏の境界を得、苦しみの多いこの裟婆世界がそのまま
「寂光土 (仏の国土)」
となるという教えだ。
白蓮華は、汚泥の中から茎(くき)を伸ばし白く美しい花を咲かせる。汚泥の如き娑婆世界に生きる我々の命も、ふだんは汚れている。
しかしひとたびこの御本尊に縁すれば、汚泥にまみれず蓮華が咲き香るように、凡夫の拙(つたない)い命に隠れていた仏の尊い命が現われてくる。
そもそも釈尊が仏法を説いた目的は、現実に生きて苦しみに直面する人を救うことではないか。「今の人生は諦めてください」という念仏の "往生",は、断じて釈尊の本心ではない。
日蓮大聖人は『立正安国論』に、人々が正法に帰依(きえ)すれば、
「三界(この世界) は皆仏国なり (中略)十方(この世界) は悉(ことごと)く宝土なり」(御書 二五〇㌻)
と、仏国土が顕現することを明言されている。
今が折伏を行ずべき時
言うまでもなく悪世末法の今、人々を幸せにする真の宗教は白蓮正宗のみ。
これを人々に伝えられるのは、そのことを知っている我々、日蓮正宗僧谷だけだ。
御法主日如上人貌下の御指南のもと、地涌の菩薩の眷属としての尊い使命を自覚し、人々が苦しんでいる今こそ、我々は “折伏"を
行ずる時と心得るべきだ。
(大白法 第一〇五三号 令和三年五月十六日)