顕正会の「本尊偽造問題」について、宗門側から厳しく指摘されて久しい。
それは、顕正会会長。浅井昭衛が、疑惑に弁明できず、逃げ回り続けて久しいということでもある。弁明できないどころか、八月には鳥取会館が建築されたと聞くから、また新たな「偽造本尊」が作製されたのだろう。
顕正会員にこの点を指摘すると、「御本尊のことは軽々に話せない。 浅井先生の指導によるものだ」との逃げ口上に終始するのが常のようだ。
しかし、古来、御本尊の権能は、血脈付法の御法主上人貌下にのみ具(そな)わる。当然のことながら浅井にその資格はない。浅井も、もともとはその認識だったから、顕正会に保存する本尊の出自(しゅつじ)を
「総本山から妙縁寺に下付された御本尊を松本日仁(元僧侶) から託された」
などとしていたのである。
思いつきの指導
皮肉にも、この発言が足かせとなって、現在、反論不能に陥(おちい)っているのだ。 浅井は、その場しのぎの思いつきで発言しているから、矛盾(むじゅん)や自語相違のオンパレードだ。
最近の例を一つ。駅前で配布したり手当たり次第に投函される顕正新聞によれば、八月度の総幹部会での発言で浅井は、
『遥拝勤行と広告文で必ず広宣流布が成る』の大確信を、月々日々に強めております。この遥拝勤行こそ (中略) 広宣流布最終段階の信行なのであります」(顕正新聞令和二年九月五日付)
と最近の主張を繰(く)り返す一方で、全国各地への会館建築と本尊安置を進め、さらに本尊を下付して自宅拠点を増やしていくとの方針も示している。
「本尊がなくてもいい、遥拝動行こそが正しい」としつつ、「新しく(偽造)本尊を下付していこう」と言う矛盾。 相変わらずいい加減だなあという感想を懐(いだ)くが、そもそも会内にはこの矛盾を指摘する者はいないのであろうか。他にも、総本山第六十六世日達上人、第六十七世日顕上人を貶(おとし)めようと、
「邪法の神父 (完工式にローマ法王庁外交官が出席したこと。破折済み)で穢(けが)した偽戒壇・正本堂に、戒壇の大御本尊を遷(うつ)し奉ったのである。この恐れ多さは言語を絶する」(同)
などと、あたかも自分は当初から正本堂建設に反対していたかのように装い、難癖をつけている。実際には、
「いよいよ意義重大なる正本堂が建立される事になります。(中略)全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんか」(冨士 昭和四十年七月号)
と顕正会は嬉々として御供養に参加し、完成後は二度も御開扉を願い出ている。
「当時はまだ証惑が顕著ではなかった」(同 昭和六十一年八月号)
と後で言い訳をしたが、自語相違以外の何ものでもなかろう。
「偽造本尊疑惑」釈明への布石?
またさらに、両上人を、このような師敵対をして、どうして御本尊を書写する資格があるのか。大聖人様に背(そむ)き奉っては、 恐れ多くて書写できないのではないかと私は思う」(顕正新聞 令和二年九月五日付)
などと批判している。不遜(ふそん)にも血脈付法の御法主上人貌下に、「どうして御本尊を書写する資格があるのか」「恐れ多くて書写できないのではないかと私は思う」と暴言を吐く浅井は、自分の立場を何と思っているのだろうか。まるで、自分には御本尊に関する特別な権限でもあるかのような言い振りである。今後、「自分には本尊を作製する権限がある」などと言い出しかねない。
第二祖日興上人は『富士一跡門徒存知事』に、
「御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み、不信の輩(やから)に授与して軽賤(きょうせん)する由(よし)諸方に其の聞こえ有り、所謂(いわゆる)日向·日頂·日春等なり」
(御書 一八七二㌻)
と仰せである。濫(みだ)りに本尊を作製し授与する者に対し、右の厳しい御指南の存することを指摘しておく。
「偽造本尊」に手を染めようとする浅井ら顕正会こそ、日蓮大聖人並びに日興上人に背く「師敵対」の大謗法である。
(大白法 第一〇四〇号 令和二年十一月一日)
それは、顕正会会長。浅井昭衛が、疑惑に弁明できず、逃げ回り続けて久しいということでもある。弁明できないどころか、八月には鳥取会館が建築されたと聞くから、また新たな「偽造本尊」が作製されたのだろう。
顕正会員にこの点を指摘すると、「御本尊のことは軽々に話せない。 浅井先生の指導によるものだ」との逃げ口上に終始するのが常のようだ。
しかし、古来、御本尊の権能は、血脈付法の御法主上人貌下にのみ具(そな)わる。当然のことながら浅井にその資格はない。浅井も、もともとはその認識だったから、顕正会に保存する本尊の出自(しゅつじ)を
「総本山から妙縁寺に下付された御本尊を松本日仁(元僧侶) から託された」
などとしていたのである。
思いつきの指導
皮肉にも、この発言が足かせとなって、現在、反論不能に陥(おちい)っているのだ。 浅井は、その場しのぎの思いつきで発言しているから、矛盾(むじゅん)や自語相違のオンパレードだ。
最近の例を一つ。駅前で配布したり手当たり次第に投函される顕正新聞によれば、八月度の総幹部会での発言で浅井は、
『遥拝勤行と広告文で必ず広宣流布が成る』の大確信を、月々日々に強めております。この遥拝勤行こそ (中略) 広宣流布最終段階の信行なのであります」(顕正新聞令和二年九月五日付)
と最近の主張を繰(く)り返す一方で、全国各地への会館建築と本尊安置を進め、さらに本尊を下付して自宅拠点を増やしていくとの方針も示している。
「本尊がなくてもいい、遥拝動行こそが正しい」としつつ、「新しく(偽造)本尊を下付していこう」と言う矛盾。 相変わらずいい加減だなあという感想を懐(いだ)くが、そもそも会内にはこの矛盾を指摘する者はいないのであろうか。他にも、総本山第六十六世日達上人、第六十七世日顕上人を貶(おとし)めようと、
「邪法の神父 (完工式にローマ法王庁外交官が出席したこと。破折済み)で穢(けが)した偽戒壇・正本堂に、戒壇の大御本尊を遷(うつ)し奉ったのである。この恐れ多さは言語を絶する」(同)
などと、あたかも自分は当初から正本堂建設に反対していたかのように装い、難癖をつけている。実際には、
「いよいよ意義重大なる正本堂が建立される事になります。(中略)全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんか」(冨士 昭和四十年七月号)
と顕正会は嬉々として御供養に参加し、完成後は二度も御開扉を願い出ている。
「当時はまだ証惑が顕著ではなかった」(同 昭和六十一年八月号)
と後で言い訳をしたが、自語相違以外の何ものでもなかろう。
「偽造本尊疑惑」釈明への布石?
またさらに、両上人を、このような師敵対をして、どうして御本尊を書写する資格があるのか。大聖人様に背(そむ)き奉っては、 恐れ多くて書写できないのではないかと私は思う」(顕正新聞 令和二年九月五日付)
などと批判している。不遜(ふそん)にも血脈付法の御法主上人貌下に、「どうして御本尊を書写する資格があるのか」「恐れ多くて書写できないのではないかと私は思う」と暴言を吐く浅井は、自分の立場を何と思っているのだろうか。まるで、自分には御本尊に関する特別な権限でもあるかのような言い振りである。今後、「自分には本尊を作製する権限がある」などと言い出しかねない。
第二祖日興上人は『富士一跡門徒存知事』に、
「御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み、不信の輩(やから)に授与して軽賤(きょうせん)する由(よし)諸方に其の聞こえ有り、所謂(いわゆる)日向·日頂·日春等なり」
(御書 一八七二㌻)
と仰せである。濫(みだ)りに本尊を作製し授与する者に対し、右の厳しい御指南の存することを指摘しておく。
「偽造本尊」に手を染めようとする浅井ら顕正会こそ、日蓮大聖人並びに日興上人に背く「師敵対」の大謗法である。
(大白法 第一〇四〇号 令和二年十一月一日)