「家族葬」と等(ひと)しかった浅井昭衛の葬儀
掛(か)けられた導師曼陀羅(どうしまんだら)にも重大疑惑(ぎわく)!?
先月十六日に死去した浅井昭衛の葬儀は、参列者を幹部に限定して行なわれ
た。 昨今、世間では、規模の大小に関わらず、身内以外の弔問を受けない葬儀を「家族葬」というが、浅井の葬儀は、離反の心配がない「身内」のみの、言わば「家族葬」で行なわれたのである。
生前、臨終の相を事あるごとに持ち出し、
「臨終は一生の総決算であり、その臨終の相に、その人が未来に受けるべき果報(結果と報[むく〕い)が現われる。だから臨終は人生の最大事なのである」(広告文)とまで言い立てていた張本人の葬儀が、内々の「家族葬」とは。なるほど、謀(たばか)りの人生だった浅井昭衛らしい最期と言えよう。しかも、あれだけ日達上人・日顕上人の御臨終の相について、捏造(ねつぞう)
をもって誹謗(ひぼう)中傷を繰り返してきた 「浅井先生」なら、当然、万人に公開できる死相だったはずだが?
息子の城衛は、なぜ幹部に限定し、全会員にお別れをさせなかったのか。一般会員の中には「浅井先生に直接お別れしたいのに、なぜ、臨終の相を見せてもらえないのか」と不満を抱いた者も少なくなかったようだ。
察するに、日頭上人に対して「死化粧をしていた。悪臭が漂っていた」などと、大謗法の悪言を吐いて死んでいった父親の死相を、会員に見せるわけにはいかなかったのだろう。 正法を誹謗し、血脈付法の御法主上人に誹毀謗(ひきざんぼう)の限りを尽くしてきた浅井昭衛の赴(おもむ)く先は
「入阿鼻獄」
(法華経一七六頁)
しかないからである。
加えて、奇しくも、先の法論で、日顕上人の素晴らしい臨終の妙相を多くの僧俗が拝したことを小川正豪御尊師から指摘された、顕正会教学部長・坪田が「第三者の証言でなければ証拠にならない」と頓珍漢な言い訳を吐いた映像が、ネット上で拡散される中での浅井の急逝。 その後の追悼大法会なる茶番で、 「(浅井が)見事な臨終の妙相だった」などと、いくら「身内」が証言しても、それは全く証拠にならないという、何とも後味の悪い結末。
これまた浅井らしい矛盾(むじゅん)だらけの終焉(しゅうえん)である。
しかるに、大聖人の仏法は、 現世を無視して死後の世界のみにすがりつくような、偏狭な教えではない。
『最蓮房御返事』には
「後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得」(御書六四ニ頁)
と、後生の成仏は疑いないが、その証拠に、今生においても最高の果報をいただいて幸せになれる、と仰せられている。
今生において一生のうちに成仏することから一生成仏といい、
「功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり。(中略)功徳(おおきなるさいわい)とは即身成仏なり、又六根清浄なり」(『御義口伝』御書一七七五頁)
と仰せのごとく、今生において六根清浄の果報を得ることが即身成仏なのである。近年の顕正会では、成仏の意義をはき違え、死後のみに固執し、不成仏の相を成仏の相と信じ込まされた末端会員は、今生での仕事や家庭をおざなりにして、闇雲に勧誘活動に没頭させられている。それはあたかも、ひたすら後生のみを願い、いずれ極楽浄土に行けるのだから、現世のことはさておき、南無阿弥陀仏と唱えて臨終を迎えればいいという、念仏の教えに酷似(こくじ)している。
加えて、ニセ本尊であることを追及されてもなお、妄信的にそれを拝み、悪業を積み重ねた結果、大聖人仰せの六根清浄・一生成仏とはますます乖離(かいり)する人生を余儀なくされている。こうしたことは、顕正会を脱会した大勢の人たちの証言によっても明らかである。
さて、十一月五日号の『顕正新聞』の紙面だが、祭壇の大きさで浅井の功績をアピールしたかったのか、なんと二面の上半分を使って祭壇全体を写し、本尊の形まで掲載してしまった。顕正会本尊の破折材料を自ら提供する大失態を犯すとは、浅井昭衛という大黒柱を失って、城衛らが全く制御不能になっていることを物語っている。当該写真下には、
「第五五世・日布上人の導師曼荼羅」とのキャプション表記が見られるが、浅井が生前、松本日仁から「葬儀のときに困るでしょう」と言われて渡されたという、「日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木(六幅)」のうちの一幅が掛かっていたことになる。
そもそも、葬儀の時にしか掛けない導師曼荼羅に、御形木などあるのか。宗門の老僧の誰にお尋ねしても、誰も聞いたことがないという。
しかも、僧侶資格のない松本から、信徒除名になった浅井に渡された本尊だというから、不正に譲渡された本尊でもあることは言うまでもない。
さらに言えば、これまで、この本尊を会員の葬儀で実際に使用した、という話を聞いたことがないばかりか、ある顕正会幹部は、
「葬儀の本尊は日布上人の本尊で、右上に『現当二世』と書いてあった」と証言したという。
本尊に無知な会員がうっかり口を滑らせたことで、存在自体すら怪しいことが明らかになったが、はたして、この形木導師本尊を浅井の葬儀で実際に使用したのか、浅井城衛に直接問い糾(ただ)してみたいものだ。
いずれにしても、出所不明の本尊を用い、資格のない在家が葬儀の導師をするなど、大聖人の仏法・化儀に違背(いはい)する大謗法の所行であり、学会の友
人葬と全く同様、浅井昭衛の堕地獄は必定である。
浅井城衛よ。父親の成仏を真に願うならば、これ以上、顕正会員を正法に迷わせ、罪障を積ませるべきではない。一刻も早く顕正会を解散してニセ本尊を回収し、深く反省懺悔して、御法主上人にお詫び申し上げるべきである。
それこそが、無間地獄を彷徨(さまよ)う浅井昭衛が切望していることであろう。
(慧妙 令和五年十一月十六日号)
掛(か)けられた導師曼陀羅(どうしまんだら)にも重大疑惑(ぎわく)!?
先月十六日に死去した浅井昭衛の葬儀は、参列者を幹部に限定して行なわれ
た。 昨今、世間では、規模の大小に関わらず、身内以外の弔問を受けない葬儀を「家族葬」というが、浅井の葬儀は、離反の心配がない「身内」のみの、言わば「家族葬」で行なわれたのである。
生前、臨終の相を事あるごとに持ち出し、
「臨終は一生の総決算であり、その臨終の相に、その人が未来に受けるべき果報(結果と報[むく〕い)が現われる。だから臨終は人生の最大事なのである」(広告文)とまで言い立てていた張本人の葬儀が、内々の「家族葬」とは。なるほど、謀(たばか)りの人生だった浅井昭衛らしい最期と言えよう。しかも、あれだけ日達上人・日顕上人の御臨終の相について、捏造(ねつぞう)
をもって誹謗(ひぼう)中傷を繰り返してきた 「浅井先生」なら、当然、万人に公開できる死相だったはずだが?
息子の城衛は、なぜ幹部に限定し、全会員にお別れをさせなかったのか。一般会員の中には「浅井先生に直接お別れしたいのに、なぜ、臨終の相を見せてもらえないのか」と不満を抱いた者も少なくなかったようだ。
察するに、日頭上人に対して「死化粧をしていた。悪臭が漂っていた」などと、大謗法の悪言を吐いて死んでいった父親の死相を、会員に見せるわけにはいかなかったのだろう。 正法を誹謗し、血脈付法の御法主上人に誹毀謗(ひきざんぼう)の限りを尽くしてきた浅井昭衛の赴(おもむ)く先は
「入阿鼻獄」
(法華経一七六頁)
しかないからである。
加えて、奇しくも、先の法論で、日顕上人の素晴らしい臨終の妙相を多くの僧俗が拝したことを小川正豪御尊師から指摘された、顕正会教学部長・坪田が「第三者の証言でなければ証拠にならない」と頓珍漢な言い訳を吐いた映像が、ネット上で拡散される中での浅井の急逝。 その後の追悼大法会なる茶番で、 「(浅井が)見事な臨終の妙相だった」などと、いくら「身内」が証言しても、それは全く証拠にならないという、何とも後味の悪い結末。
これまた浅井らしい矛盾(むじゅん)だらけの終焉(しゅうえん)である。
しかるに、大聖人の仏法は、 現世を無視して死後の世界のみにすがりつくような、偏狭な教えではない。
『最蓮房御返事』には
「後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得」(御書六四ニ頁)
と、後生の成仏は疑いないが、その証拠に、今生においても最高の果報をいただいて幸せになれる、と仰せられている。
今生において一生のうちに成仏することから一生成仏といい、
「功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり。(中略)功徳(おおきなるさいわい)とは即身成仏なり、又六根清浄なり」(『御義口伝』御書一七七五頁)
と仰せのごとく、今生において六根清浄の果報を得ることが即身成仏なのである。近年の顕正会では、成仏の意義をはき違え、死後のみに固執し、不成仏の相を成仏の相と信じ込まされた末端会員は、今生での仕事や家庭をおざなりにして、闇雲に勧誘活動に没頭させられている。それはあたかも、ひたすら後生のみを願い、いずれ極楽浄土に行けるのだから、現世のことはさておき、南無阿弥陀仏と唱えて臨終を迎えればいいという、念仏の教えに酷似(こくじ)している。
加えて、ニセ本尊であることを追及されてもなお、妄信的にそれを拝み、悪業を積み重ねた結果、大聖人仰せの六根清浄・一生成仏とはますます乖離(かいり)する人生を余儀なくされている。こうしたことは、顕正会を脱会した大勢の人たちの証言によっても明らかである。
さて、十一月五日号の『顕正新聞』の紙面だが、祭壇の大きさで浅井の功績をアピールしたかったのか、なんと二面の上半分を使って祭壇全体を写し、本尊の形まで掲載してしまった。顕正会本尊の破折材料を自ら提供する大失態を犯すとは、浅井昭衛という大黒柱を失って、城衛らが全く制御不能になっていることを物語っている。当該写真下には、
「第五五世・日布上人の導師曼荼羅」とのキャプション表記が見られるが、浅井が生前、松本日仁から「葬儀のときに困るでしょう」と言われて渡されたという、「日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木(六幅)」のうちの一幅が掛かっていたことになる。
そもそも、葬儀の時にしか掛けない導師曼荼羅に、御形木などあるのか。宗門の老僧の誰にお尋ねしても、誰も聞いたことがないという。
しかも、僧侶資格のない松本から、信徒除名になった浅井に渡された本尊だというから、不正に譲渡された本尊でもあることは言うまでもない。
さらに言えば、これまで、この本尊を会員の葬儀で実際に使用した、という話を聞いたことがないばかりか、ある顕正会幹部は、
「葬儀の本尊は日布上人の本尊で、右上に『現当二世』と書いてあった」と証言したという。
本尊に無知な会員がうっかり口を滑らせたことで、存在自体すら怪しいことが明らかになったが、はたして、この形木導師本尊を浅井の葬儀で実際に使用したのか、浅井城衛に直接問い糾(ただ)してみたいものだ。
いずれにしても、出所不明の本尊を用い、資格のない在家が葬儀の導師をするなど、大聖人の仏法・化儀に違背(いはい)する大謗法の所行であり、学会の友
人葬と全く同様、浅井昭衛の堕地獄は必定である。
浅井城衛よ。父親の成仏を真に願うならば、これ以上、顕正会員を正法に迷わせ、罪障を積ませるべきではない。一刻も早く顕正会を解散してニセ本尊を回収し、深く反省懺悔して、御法主上人にお詫び申し上げるべきである。
それこそが、無間地獄を彷徨(さまよ)う浅井昭衛が切望していることであろう。
(慧妙 令和五年十一月十六日号)
「顕正新聞」(11月5日号)は、迂闊にも浅井の祭壇の全体写真を掲載!