[object Object]
インターネット上に邪師が潜(ひそ)む
近年、インターネットを活用したオンライン講座やセミナー、体験型講習などが注目を浴びている。
しかし、そのような風潮に紛(まぎ)れて、邪法邪義を弘めようとする輩(やから)が跋扈(ばっこ)しているのも事実である。
ある正信会僧侶のユーチューブ動画もその一つ。
発信者は任意団体・正信会の教学部長だそうだ。
まず「ぶもっく和尚(おしょう)の法話」というチャンネル名だが、宗門ではふだん、自宗の僧侶に「和尚」という呼称は用(もち)いないため、仮にも日蓮正宗を騙(かた)る者が「和尚」を名乗っていることに違和感を覚える。
また動画のサムネイル(動画の見本画像のこと)にも不快感を抱く。
最近の動画では「日蓮最期の3日間」「日蓮だけが排他的なのか」「日蓮は誰の子か」など、わざわざ「大聖人」の尊称を除いて表記するものが見られる。
一応、 タイトルの末尾に【日蓮大聖人】とつけてはいるが、要は、再生数を稼(かせ)ぐのに不都合があるためか、サムネイルからは「大聖人」の尊称をあえて外したのであろう。
よもや、五老僧が「大聖人の弟子」と名乗るのが恐ろしくて「天台沙門(しゃもん)」と名乗ったのと同様に、堂々と日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ者として振る舞えず、謗法に与同(よどう)し、世間に迎合(げいごう)したのではあるまいな。
堂々と謗施(ぼうせ)を受けて恥じぬ姿
さらに驚くのは動画の収益化だ。
約一年前には「収益化の予定はありません」と宣言していたが、その舌の根の乾かぬ昨年七月に、「動画を挙(あ)げ始めてからずっと目標にしてきたある企画を発表させていただきます」として、「早朝唱題会とメンバーシップはじめます」と題した動画を上げている。
そこでは何と、次の三種の料金プランと特典内容が提示されていた。
① 「和尚のファン」 (会員限定の動画が視聴できる)・・・月額四九〇円
②「和尚の唱題仲間」 (①の特典に加えて、早朝唱題会への参加)・・月額二九九〇円
③「和尚の大檀那」(②の特典に加えて、限定チャットルームへの参加)・・
月額六〇〇〇円
として、「和尚の大檀那になってくださった方のことは、私は一生忘れません」と嘯(うそぶ)く。また、ご丁寧に入会方法の説明動画まで紹介している。呆(あき)れて物が言えないとはこのことである。
そもそも同チャンネルの視聴者が全員、正信会員である訳がない。コメント欄を一瞥(いちべつ)しても、日蓮宗の檀徒や他宗の僧俗、創価学会員、さらには和尚を日蓮正宗の僧侶と誤認してしまったらしい法華講員(?)までいる始末だ。既に和尚は「この料金は私は御供養であるというふうに捉(とら)えております」と言う。 であるならば、彼ら視聴者が支払う料金は「謗施」そのものではないか。奇(く)しくも収益化発表後の正信会機関紙には、
「謗法の供養を受けないことの実践が大切なのです」(継命(けいみょう)令和五年十月十五日号)
との文があるが、教学部長のこの有り様を見て、今の正信会僧はどうとも思わないのか。ぜひとも見解を知りたいものである。
蟹(かに)の足だらけの唱題会
ちなみに唱題会を有料にする理由について和尚は、
「無料で誰でも入れると、否定的な方からコメント・批判され、一緒に唱題する皆さんの心が乱されて台無しにされてしまうため (趣意)」と言い訳している。しかし、大聖人が、
「何(いか)に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にを(堕)つべし。 うるし(漆)千ぱい(杯)に蟹(かに)の足一つ入れたらんが如し。『毒気深入(どっけじんにゅう)、失本心故(しっぽんしんこ)』とは是(これ)なり」(御書 一〇四〇㌻)
と仰せのように、この唱題会は、異流義の題目に謗法者の題目が入り雑(まじ)る功徳なきもの。もとより「台無し」 である。
そもそも修行の方軌である唱題行は、謗施による僧侶の金儲(もう)けのためにするようなことではない。
このように「毒気深入、失本心故」した、名聞名利の邪師への執着を折伏し、正信会員を本門戒壇の大御本尊のもとへお連れすることが、我ら日蓮正宗僧俗の使命である。
(令和六年二月一日 大白法 第一一一八号)
近年、インターネットを活用したオンライン講座やセミナー、体験型講習などが注目を浴びている。
しかし、そのような風潮に紛(まぎ)れて、邪法邪義を弘めようとする輩(やから)が跋扈(ばっこ)しているのも事実である。
ある正信会僧侶のユーチューブ動画もその一つ。
発信者は任意団体・正信会の教学部長だそうだ。
まず「ぶもっく和尚(おしょう)の法話」というチャンネル名だが、宗門ではふだん、自宗の僧侶に「和尚」という呼称は用(もち)いないため、仮にも日蓮正宗を騙(かた)る者が「和尚」を名乗っていることに違和感を覚える。
また動画のサムネイル(動画の見本画像のこと)にも不快感を抱く。
最近の動画では「日蓮最期の3日間」「日蓮だけが排他的なのか」「日蓮は誰の子か」など、わざわざ「大聖人」の尊称を除いて表記するものが見られる。
一応、 タイトルの末尾に【日蓮大聖人】とつけてはいるが、要は、再生数を稼(かせ)ぐのに不都合があるためか、サムネイルからは「大聖人」の尊称をあえて外したのであろう。
よもや、五老僧が「大聖人の弟子」と名乗るのが恐ろしくて「天台沙門(しゃもん)」と名乗ったのと同様に、堂々と日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ者として振る舞えず、謗法に与同(よどう)し、世間に迎合(げいごう)したのではあるまいな。
堂々と謗施(ぼうせ)を受けて恥じぬ姿
さらに驚くのは動画の収益化だ。
約一年前には「収益化の予定はありません」と宣言していたが、その舌の根の乾かぬ昨年七月に、「動画を挙(あ)げ始めてからずっと目標にしてきたある企画を発表させていただきます」として、「早朝唱題会とメンバーシップはじめます」と題した動画を上げている。
そこでは何と、次の三種の料金プランと特典内容が提示されていた。
① 「和尚のファン」 (会員限定の動画が視聴できる)・・・月額四九〇円
②「和尚の唱題仲間」 (①の特典に加えて、早朝唱題会への参加)・・月額二九九〇円
③「和尚の大檀那」(②の特典に加えて、限定チャットルームへの参加)・・
月額六〇〇〇円
として、「和尚の大檀那になってくださった方のことは、私は一生忘れません」と嘯(うそぶ)く。また、ご丁寧に入会方法の説明動画まで紹介している。呆(あき)れて物が言えないとはこのことである。
そもそも同チャンネルの視聴者が全員、正信会員である訳がない。コメント欄を一瞥(いちべつ)しても、日蓮宗の檀徒や他宗の僧俗、創価学会員、さらには和尚を日蓮正宗の僧侶と誤認してしまったらしい法華講員(?)までいる始末だ。既に和尚は「この料金は私は御供養であるというふうに捉(とら)えております」と言う。 であるならば、彼ら視聴者が支払う料金は「謗施」そのものではないか。奇(く)しくも収益化発表後の正信会機関紙には、
「謗法の供養を受けないことの実践が大切なのです」(継命(けいみょう)令和五年十月十五日号)
との文があるが、教学部長のこの有り様を見て、今の正信会僧はどうとも思わないのか。ぜひとも見解を知りたいものである。
蟹(かに)の足だらけの唱題会
ちなみに唱題会を有料にする理由について和尚は、
「無料で誰でも入れると、否定的な方からコメント・批判され、一緒に唱題する皆さんの心が乱されて台無しにされてしまうため (趣意)」と言い訳している。しかし、大聖人が、
「何(いか)に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にを(堕)つべし。 うるし(漆)千ぱい(杯)に蟹(かに)の足一つ入れたらんが如し。『毒気深入(どっけじんにゅう)、失本心故(しっぽんしんこ)』とは是(これ)なり」(御書 一〇四〇㌻)
と仰せのように、この唱題会は、異流義の題目に謗法者の題目が入り雑(まじ)る功徳なきもの。もとより「台無し」 である。
そもそも修行の方軌である唱題行は、謗施による僧侶の金儲(もう)けのためにするようなことではない。
このように「毒気深入、失本心故」した、名聞名利の邪師への執着を折伏し、正信会員を本門戒壇の大御本尊のもとへお連れすることが、我ら日蓮正宗僧俗の使命である。
(令和六年二月一日 大白法 第一一一八号)
謗施を受けて恥じぬ正信会僧侶のYoutubeチャンネル。