東京都杉並区の一角に立正佼成会の街がある。そこは教団が経営する病院、学校、図書館などが建ち並び、その中でも大聖堂はひときわ目を引く。インターネットで堂内の画像を見ると、前方中央に大きな釈尊の立像(りゅうぞう)が安置してあり、何とも言えない不気味さだ。
この立正佼成会は庭野日敬(にわのにっきょう)を教祖とし、長沼妙佼(みょうこう)を脇祖(わきそ)として崇(あが)める。
庭野は、易学や方位学などを学び、修験道(しゅうけんどう)も経験した後に霊友会へ入会。長沼は、天理教に入っていたが庭野に誘われて霊友会へ入会。そんな彼女は、自称霊能力者でもあった。
こうして二人は、久保角太郎と霊能力者の小谷喜美の教えのもと、霊友会の活動を始めるが、小谷に不信が募(つの)り二人は脱会。その後、二人を含め数十人によって大日本立正交成会を設立した。これが後の立正佼成会である。
当初は、村山日襄なる者が会長であったが引退し、庭野が会長、長沼が副会長に就任して、さらに教勢を拡大する。 その内容は、法華経を依経として先祖供養を前面に強調。
女性霊能力者を活用しての布教活動だった。 だがこれらは、ほぼ霊友会の二番煎じであった。 脱会理由を小谷にこじつけ、自分たちが思うようにしたかっただけの印象を受ける。
本尊迷乱
そんな立正佼成会は、長沼の霊感によって、本尊を何度も変えるという迷乱を繰(く)り返す。
①霊友会の本尊に守護神として毘少門天(びしゃもんてん)を加える。
②中央に南無妙法運蓮華経、その左右に「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」「異体同心」と書いた旗。
③その旗を掛け軸にして、大日如来を加えたもの。
④庭野が「久遠実成(くおんじつじょう)大恩教王釈迦牟尼(むに)世尊」と書いたもの。
⑤「日蓮聖人の曼陀羅」と称して、庭野が書き写したもの。
そして、昭和三十二年に長沼が死ぬと、翌年、庭野が「今までは方便の時代であり、今こそ、久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊を本尊とすべきである」と宣言し、後に大聖堂を建てて釈尊像を祀(まつ)ることとなる。
このように、根幹である本尊が霊感などによってコロコロ変わった、仏教とは無縁の邪教だ。
その立正佼成会の特徴として、入会してもそれまでの宗教はそのまま認める、
というものがある。これは庭野が「教義は違っても目指すものは一つ」「信ずるところを異(こと)にする宗教も究極において一致する」とし
て万教同根(ばんきょうどうこん)を唱え、平和のためにすべての教と協力していく、それが法華経に説かれる一仏乗である、という邪義から来ている。
それは一仏乗ではありません
しかし、一仏乗とは、一切衆生を成仏へ導く法華経を乗り物に響(たと)えた表現であって、主義-主張の異なる邪教同士が協力することを言うものではない。法華経には、
「余経の一偈(いちげ)をも受けざれ」(法華経 一八三)
と説かれ、法華経以外の受持を戒(いまし)められている。 さらに言えば、釈尊は当時の外道に対して、仲良くされるどころか、徹底的に破折されているではないか。
万教同根。一仏乗など言葉巧(たく)みに謳(うた)っているが
ざっくり言えば、お互いの利害を優先しただけのこと。そんな宗教に一仏乗を語る資格などはない。
折伏こそ平和への道
天災、疫病など、人々の不幸の原因は、 すべて誤った宗教にある。
立正佼成会のように、他宗の信仰を否定しないで協力していくことなど、絶対に平和への道ではない。不幸の原因が誤った宗教にあると知れば、それを糾(ただ)すことが、仏教で説かれる慈悲ではないか。
日蓮大聖人が、
「汝(なんじ)早く信仰の寸心(すんしん)を改めて速(すみ)やかに実乗の一善に帰(き)せよ。然(しか)れば則ち三界は皆仏国なり」(御書 二五〇)
と御示しのように、誤った宗教を捨て、実乗の一善である日蓮大聖人の教えに帰依させることが、人々の幸せや平和への直道であると知るべきである。
我々は、無慈悲の言葉に騙(だま)されている立正佼成会の会員たちに対し、仏の説くところをそのまま正直に伝え、折犬していかなくてはならない。
この立正佼成会は庭野日敬(にわのにっきょう)を教祖とし、長沼妙佼(みょうこう)を脇祖(わきそ)として崇(あが)める。
庭野は、易学や方位学などを学び、修験道(しゅうけんどう)も経験した後に霊友会へ入会。長沼は、天理教に入っていたが庭野に誘われて霊友会へ入会。そんな彼女は、自称霊能力者でもあった。
こうして二人は、久保角太郎と霊能力者の小谷喜美の教えのもと、霊友会の活動を始めるが、小谷に不信が募(つの)り二人は脱会。その後、二人を含め数十人によって大日本立正交成会を設立した。これが後の立正佼成会である。
当初は、村山日襄なる者が会長であったが引退し、庭野が会長、長沼が副会長に就任して、さらに教勢を拡大する。 その内容は、法華経を依経として先祖供養を前面に強調。
女性霊能力者を活用しての布教活動だった。 だがこれらは、ほぼ霊友会の二番煎じであった。 脱会理由を小谷にこじつけ、自分たちが思うようにしたかっただけの印象を受ける。
本尊迷乱
そんな立正佼成会は、長沼の霊感によって、本尊を何度も変えるという迷乱を繰(く)り返す。
①霊友会の本尊に守護神として毘少門天(びしゃもんてん)を加える。
②中央に南無妙法運蓮華経、その左右に「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」「異体同心」と書いた旗。
③その旗を掛け軸にして、大日如来を加えたもの。
④庭野が「久遠実成(くおんじつじょう)大恩教王釈迦牟尼(むに)世尊」と書いたもの。
⑤「日蓮聖人の曼陀羅」と称して、庭野が書き写したもの。
そして、昭和三十二年に長沼が死ぬと、翌年、庭野が「今までは方便の時代であり、今こそ、久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊を本尊とすべきである」と宣言し、後に大聖堂を建てて釈尊像を祀(まつ)ることとなる。
このように、根幹である本尊が霊感などによってコロコロ変わった、仏教とは無縁の邪教だ。
その立正佼成会の特徴として、入会してもそれまでの宗教はそのまま認める、
というものがある。これは庭野が「教義は違っても目指すものは一つ」「信ずるところを異(こと)にする宗教も究極において一致する」とし
て万教同根(ばんきょうどうこん)を唱え、平和のためにすべての教と協力していく、それが法華経に説かれる一仏乗である、という邪義から来ている。
それは一仏乗ではありません
しかし、一仏乗とは、一切衆生を成仏へ導く法華経を乗り物に響(たと)えた表現であって、主義-主張の異なる邪教同士が協力することを言うものではない。法華経には、
「余経の一偈(いちげ)をも受けざれ」(法華経 一八三)
と説かれ、法華経以外の受持を戒(いまし)められている。 さらに言えば、釈尊は当時の外道に対して、仲良くされるどころか、徹底的に破折されているではないか。
万教同根。一仏乗など言葉巧(たく)みに謳(うた)っているが
ざっくり言えば、お互いの利害を優先しただけのこと。そんな宗教に一仏乗を語る資格などはない。
折伏こそ平和への道
天災、疫病など、人々の不幸の原因は、 すべて誤った宗教にある。
立正佼成会のように、他宗の信仰を否定しないで協力していくことなど、絶対に平和への道ではない。不幸の原因が誤った宗教にあると知れば、それを糾(ただ)すことが、仏教で説かれる慈悲ではないか。
日蓮大聖人が、
「汝(なんじ)早く信仰の寸心(すんしん)を改めて速(すみ)やかに実乗の一善に帰(き)せよ。然(しか)れば則ち三界は皆仏国なり」(御書 二五〇)
と御示しのように、誤った宗教を捨て、実乗の一善である日蓮大聖人の教えに帰依させることが、人々の幸せや平和への直道であると知るべきである。
我々は、無慈悲の言葉に騙(だま)されている立正佼成会の会員たちに対し、仏の説くところをそのまま正直に伝え、折犬していかなくてはならない。