立正大学(東京都品川区大崎)の日蓮教学研究所から発刊された『日蓮宗読本』という書籍がある。
ご案内のように読本とは
「とくほん」と読み、 『広辞苑』には、
「①絵本に対して、読み物の本。
②もと学校で、国語科の講読教授に用いた教科書の称。国語教科書。
③転じて、広く教科書、あるいは入門書など」
と説明している。
つまり『日蓮宗読本』は、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗が自門の教義・信条の概略を入門書としてまとめ、それを広く一般に配布して教線の拡大に役立てようとしたものと言えよう。
同書は昭和三十二年に初版本が発刊されていて、日蓮宗宗会の全面的な協賛を得て刊行の準備に取りかかったことや、巻頭に日蓮
宗管長の「序」を載(の)せていることなどからも、日蓮宗が自信をもって発刊した書であることが推測できる。
この『日蓮宗読本』の細部にわたる検討は別の機会に譲(ゆず)ることとして、ここでは宗旨の根本命脈である「本尊」に関する記述を、
かいつまんで紹介しよう。
「本尊」に五種の形態
同書によれば、日蓮大聖人が示された「本尊」の形態には、
①首題(しゅだい)本尊
②釈迦一尊
③ 大曼荼羅(まんだら)
④一尊四士(いっそんしし)
⑤ 二尊四士(にそんしし)
という五種類があるとしている。
①の「首題本尊」とは、
南無妙法蓮華経の首題だけをお書きになったもの。
②の「釈迦一尊」とは、
弘長元(一二六一)年、大聖人が四十歳の時、伊豆配流中に感得された立像(りゅうぞう)の釈尊。
③の「大曼荼羅」とは、紙幅(しふく)の大漫荼羅御本尊のこと。
④の「一尊四士」とは、中央に釈尊(一尊)の仏像を、左右に上行・無辺行(むへんぎょう)等の四菩薩(四士)の像を造って安置するもの。
⑤の「二尊四士」とは、④の「一尊」の場所に、釈尊と多宝如来(たほうにょらい)(二尊)の仏像を安置し、四菩薩の像を安置して脇士(きょうじ)とするもの。
これら五種類の「本尊」を挙(あ)げたあと、
「①の首題本尊は③の大曼荼羅の図顕以後は未完成のものとしてその姿を没し、図顕も授与もされていない。 ②の釈迦一尊は宗祖の随身の本尊であり、⑤の二尊四士は一尊四士の別体とも見られるが、宗祖の取扱いは一尊四士を主とせられたようである」(日蓮宗読本一五四㌻)
と述べて、「本尊」の中心をなすものは、法本尊としての大漫荼羅と、人(にん)本尊としての一尊四士であると結論づけている。
「......が至当であると思う」
さらに同書では、大漫荼羅本尊と一尊四士を比較検討したあと、
「この二種の本尊は宗祖がみずから本尊として教示され、図顕されたもの
であるから、並存(へいぞん)すべきであるが、信行上もしくは宗制上いずれかに決定する必要があった場合には祖書の教示をうかがい、三秘の構成にてらし、本宗の行の特性を考えて一尊四士を本尊と奠定(てんてい)(さだめること)するのが至当であると思う」(同一五八㌻・傍線は筆者)
と述べているが、本当にこれでいいのだろうか。
この文は「本門の本尊」を述べる項の結論部分に当たるが、ことに傍線を付した箇所などは、宗旨の根幹をなす本尊すら定まっていない実情を、如実に物語っているといえよう。
出世の本懐(ほんがい)は大漫荼羅本尊
末法の御本仏たる大聖人の出世の本懐は、大漫荼羅本尊の御顕発、なかんずく本門戒壇の大御本尊の御顕示にあるのであって、けっして一尊四士等の仏像造立(ぞうりゅう)にあるのではない。にもかかわらず、身延派等の日蓮宗において造像本尊を主張するのは、一にかかって不相伝の故である。
「御抄を心肝に染め極理(ごくり)を師伝して」(御書 一八八四㌻)
とは第二祖日興上人の遺誡(ゆいかい)であるが、極理は師伝しなければ判らないのである。
真の正法正義を知る本宗僧俗は、我が身の福徳に謝すると共に、本尊にすら迷う人々を一人でも多く救っていかなければならない。
(大白法 第一一一九号 2月16日)
ご案内のように読本とは
「とくほん」と読み、 『広辞苑』には、
「①絵本に対して、読み物の本。
②もと学校で、国語科の講読教授に用いた教科書の称。国語教科書。
③転じて、広く教科書、あるいは入門書など」
と説明している。
つまり『日蓮宗読本』は、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗が自門の教義・信条の概略を入門書としてまとめ、それを広く一般に配布して教線の拡大に役立てようとしたものと言えよう。
同書は昭和三十二年に初版本が発刊されていて、日蓮宗宗会の全面的な協賛を得て刊行の準備に取りかかったことや、巻頭に日蓮
宗管長の「序」を載(の)せていることなどからも、日蓮宗が自信をもって発刊した書であることが推測できる。
この『日蓮宗読本』の細部にわたる検討は別の機会に譲(ゆず)ることとして、ここでは宗旨の根本命脈である「本尊」に関する記述を、
かいつまんで紹介しよう。
「本尊」に五種の形態
同書によれば、日蓮大聖人が示された「本尊」の形態には、
①首題(しゅだい)本尊
②釈迦一尊
③ 大曼荼羅(まんだら)
④一尊四士(いっそんしし)
⑤ 二尊四士(にそんしし)
という五種類があるとしている。
①の「首題本尊」とは、
南無妙法蓮華経の首題だけをお書きになったもの。
②の「釈迦一尊」とは、
弘長元(一二六一)年、大聖人が四十歳の時、伊豆配流中に感得された立像(りゅうぞう)の釈尊。
③の「大曼荼羅」とは、紙幅(しふく)の大漫荼羅御本尊のこと。
④の「一尊四士」とは、中央に釈尊(一尊)の仏像を、左右に上行・無辺行(むへんぎょう)等の四菩薩(四士)の像を造って安置するもの。
⑤の「二尊四士」とは、④の「一尊」の場所に、釈尊と多宝如来(たほうにょらい)(二尊)の仏像を安置し、四菩薩の像を安置して脇士(きょうじ)とするもの。
これら五種類の「本尊」を挙(あ)げたあと、
「①の首題本尊は③の大曼荼羅の図顕以後は未完成のものとしてその姿を没し、図顕も授与もされていない。 ②の釈迦一尊は宗祖の随身の本尊であり、⑤の二尊四士は一尊四士の別体とも見られるが、宗祖の取扱いは一尊四士を主とせられたようである」(日蓮宗読本一五四㌻)
と述べて、「本尊」の中心をなすものは、法本尊としての大漫荼羅と、人(にん)本尊としての一尊四士であると結論づけている。
「......が至当であると思う」
さらに同書では、大漫荼羅本尊と一尊四士を比較検討したあと、
「この二種の本尊は宗祖がみずから本尊として教示され、図顕されたもの
であるから、並存(へいぞん)すべきであるが、信行上もしくは宗制上いずれかに決定する必要があった場合には祖書の教示をうかがい、三秘の構成にてらし、本宗の行の特性を考えて一尊四士を本尊と奠定(てんてい)(さだめること)するのが至当であると思う」(同一五八㌻・傍線は筆者)
と述べているが、本当にこれでいいのだろうか。
この文は「本門の本尊」を述べる項の結論部分に当たるが、ことに傍線を付した箇所などは、宗旨の根幹をなす本尊すら定まっていない実情を、如実に物語っているといえよう。
出世の本懐(ほんがい)は大漫荼羅本尊
末法の御本仏たる大聖人の出世の本懐は、大漫荼羅本尊の御顕発、なかんずく本門戒壇の大御本尊の御顕示にあるのであって、けっして一尊四士等の仏像造立(ぞうりゅう)にあるのではない。にもかかわらず、身延派等の日蓮宗において造像本尊を主張するのは、一にかかって不相伝の故である。
「御抄を心肝に染め極理(ごくり)を師伝して」(御書 一八八四㌻)
とは第二祖日興上人の遺誡(ゆいかい)であるが、極理は師伝しなければ判らないのである。
真の正法正義を知る本宗僧俗は、我が身の福徳に謝すると共に、本尊にすら迷う人々を一人でも多く救っていかなければならない。
(大白法 第一一一九号 2月16日)