いわゆる正信会が仲間割れの果てに大分裂したことは、これまでも触れてきた。言い分は互いにあろうが、所詮はどちらも大謗法の輩(やから)であることに違いないので、双方の言い分を検証したとて始まるまい。
そんな中、一方の宗教法人正信会が発行する機関紙「妙風」(本年七月一日付)
に、捨て置けない謗言(ぼうげん)が載った。
「宗門ではある時代から、本門戒壇の御本尊こそ大聖人出世の本懐であり、完極の御本尊にしてこの御本尊から末寺の御本尊へ、各家庭の御本尊へと御利益が行き渡って成仏もできる、として来た」(該紙)
だが、熱原法難の真っ只中(ただなか)および前後の大聖人御真蹟御書たる十月一日の『聖人御難事』、同十二日の『伯者(ほうき)殿御返事』、同十七日の『聖人等御返事』、十一月六日の『竜門御書』にも、この大聖人出世の本懐という御本尊に関する記述はまったくないのである。これは果たして何を物語るのだろうか」(同)
かつては総本山大石寺を渇仰恋慕(かつごうれんぼ)した僧俗だったであろうに、正境に縁しないため毒気が深く染(し)み入り信仰の筋道を見失っていることを、まことに哀れに思う。
現在、正信会僧俗らは総本山へ参詣できないため、これを正当化せんと企(たくら)んでの言であろうが、これでは本門戒壇の大御本尊への信仰を否定した創価学会と変わりないではないか
「宗・開・三祖の原点に還(かえ)って法門を見直そうという気運が芽生えていった」(同)
などと大仰(おおぎょう)な言葉の結末が、創価学会と同じ着地点とは ··…。
以信代慧(いしんだいえ)のできない彼らがいくら言葉を連ねようと、正鵠(せいこく)を射ることはない。
歴代上人の御教示
御開山日興上人は『日興跡条々事』に
「日興が身に宛(あ)て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之(これ)を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」(御書 一八八三㌻)
と書き置かれている。この「弘安二年の大御本尊」を何と心得るか。既に日興上人の時代から、本門戒壇の大御本尊を格別に取り扱われていた何よりの証左(しょうさ)ではないか。
総本山第十四世日主上人は『日興跡條々事示書』に、
「大石寺は御本尊を以て遺状と成され候、是れ則(すなわ)ち別付嘱唯授一人の意なり。 大聖より本門戒壇の御本尊、興師より正応の御本尊法体御付嘱なり」(歴代法主全書)
と、戒壇の大御本尊が唯授一人血脈相承の御法体(ごほったい)であると明かされている。
加えて、第二十六世日寛上人は、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟(くきょう)の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(御書文段 一九七㌻)
「三大秘法を合(がっ)すれば則ち但(ただ)一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦(また)は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(六巻抄八二㌻)
と御教示され、同旨の御指南は枚挙に暇がない。
邪教団の二の舞
本門戒壇の大御本尊が、日蓮大聖人出世の本懐であることは明白である。
「妙風」では、弘安二年十月前後の御書に、本門戒壇の大御本尊に関する記述がないことをもって「これは果たして何を物語るのだろうか」などともったいぶるが、大聖人は『聖人御難事』に、
「出世の本懐」(御書一三九六 ㌻)
との言葉を使われ、御自身もその時が到来しつつあることを明示されている。
本門戒壇の大御本尊を否定せんとする目論見(もくろみ)は、邪教団の常套(じょうとう)手段である。
その二番煎(せん)じに落ちぶれた正信会。積む大謗法の罪過を篤(とく)と考えるがよい。
なお、第六十七世日顕上人が教学部長時代に、本門戒壇の大御本尊を「偽物」と語っていたなどとも誹謗を重ねているが、そのネタは、創価学会が歪曲(わいきょく)した讒言(ざんげん)であり、根拠薄弱な取るに足らないものである。既に宗門から完膚なく破折されていることを教えておく。
本門戒壇の大御本尊を否定して、いったい何を広宣流布しようというのかくだらないことを言っている暇があるなら、直(ただ)ちに自らの悪業を侮い改めよ
(大白法令和二年十月一日)
そんな中、一方の宗教法人正信会が発行する機関紙「妙風」(本年七月一日付)
に、捨て置けない謗言(ぼうげん)が載った。
「宗門ではある時代から、本門戒壇の御本尊こそ大聖人出世の本懐であり、完極の御本尊にしてこの御本尊から末寺の御本尊へ、各家庭の御本尊へと御利益が行き渡って成仏もできる、として来た」(該紙)
だが、熱原法難の真っ只中(ただなか)および前後の大聖人御真蹟御書たる十月一日の『聖人御難事』、同十二日の『伯者(ほうき)殿御返事』、同十七日の『聖人等御返事』、十一月六日の『竜門御書』にも、この大聖人出世の本懐という御本尊に関する記述はまったくないのである。これは果たして何を物語るのだろうか」(同)
かつては総本山大石寺を渇仰恋慕(かつごうれんぼ)した僧俗だったであろうに、正境に縁しないため毒気が深く染(し)み入り信仰の筋道を見失っていることを、まことに哀れに思う。
現在、正信会僧俗らは総本山へ参詣できないため、これを正当化せんと企(たくら)んでの言であろうが、これでは本門戒壇の大御本尊への信仰を否定した創価学会と変わりないではないか
「宗・開・三祖の原点に還(かえ)って法門を見直そうという気運が芽生えていった」(同)
などと大仰(おおぎょう)な言葉の結末が、創価学会と同じ着地点とは ··…。
以信代慧(いしんだいえ)のできない彼らがいくら言葉を連ねようと、正鵠(せいこく)を射ることはない。
歴代上人の御教示
御開山日興上人は『日興跡条々事』に
「日興が身に宛(あ)て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之(これ)を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」(御書 一八八三㌻)
と書き置かれている。この「弘安二年の大御本尊」を何と心得るか。既に日興上人の時代から、本門戒壇の大御本尊を格別に取り扱われていた何よりの証左(しょうさ)ではないか。
総本山第十四世日主上人は『日興跡條々事示書』に、
「大石寺は御本尊を以て遺状と成され候、是れ則(すなわ)ち別付嘱唯授一人の意なり。 大聖より本門戒壇の御本尊、興師より正応の御本尊法体御付嘱なり」(歴代法主全書)
と、戒壇の大御本尊が唯授一人血脈相承の御法体(ごほったい)であると明かされている。
加えて、第二十六世日寛上人は、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟(くきょう)の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(御書文段 一九七㌻)
「三大秘法を合(がっ)すれば則ち但(ただ)一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦(また)は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(六巻抄八二㌻)
と御教示され、同旨の御指南は枚挙に暇がない。
邪教団の二の舞
本門戒壇の大御本尊が、日蓮大聖人出世の本懐であることは明白である。
「妙風」では、弘安二年十月前後の御書に、本門戒壇の大御本尊に関する記述がないことをもって「これは果たして何を物語るのだろうか」などともったいぶるが、大聖人は『聖人御難事』に、
「出世の本懐」(御書一三九六 ㌻)
との言葉を使われ、御自身もその時が到来しつつあることを明示されている。
本門戒壇の大御本尊を否定せんとする目論見(もくろみ)は、邪教団の常套(じょうとう)手段である。
その二番煎(せん)じに落ちぶれた正信会。積む大謗法の罪過を篤(とく)と考えるがよい。
なお、第六十七世日顕上人が教学部長時代に、本門戒壇の大御本尊を「偽物」と語っていたなどとも誹謗を重ねているが、そのネタは、創価学会が歪曲(わいきょく)した讒言(ざんげん)であり、根拠薄弱な取るに足らないものである。既に宗門から完膚なく破折されていることを教えておく。
本門戒壇の大御本尊を否定して、いったい何を広宣流布しようというのかくだらないことを言っている暇があるなら、直(ただ)ちに自らの悪業を侮い改めよ
(大白法令和二年十月一日)