僧侶に葬儀と仏塔建立(ぶっとうこんりゅう)を命じた釈尊(しゃくそん)
戸田会長の盛大(せいだい)な葬儀は何と弁明(べんめい)?
『創価新報』(九月十六日号)が「化義で荒稼ぎ 卑劣な宗門の実態」と題し、日蓮正宗宗門による葬儀・戒名・位牌·塔婆供養・法要を不要であると緋誘(ひ
ぼう)している。
平成三年以降、創価学会は、何としても日蓮正宗の化儀化法を否定し、会員を正宗寺院から切り離そうとして、 「葬儀に僧侶など不要」「戒名は、故人の成仏・不成仏とは無間係な、無用の長物」等と主張してきた。
また池田大作は、かつて、葬義に御僧侶が必要ない理由として、
「仏教の原点である釈尊の時代、僧侶は葬儀などするべきではないと考えられていた。 釈尊自身の葬儀も在家が行った。これは歴史的事実である」(『聖教新聞』(平成四年九月二十七日付)
と述べていた。はたして、本当にそのような事実があったのか。
その根拠となる、釈尊が入滅する直前の様子を述べた経典の内容には、次のようにある。
弟子の阿難 (あなん) が釈尊に対して「諸仏の御遺体に対して、私達はどのようにしたらよいのでしょうか」と質問をしたところ、釈尊は「お前たちは諸仏の遺骨の供養(崇拝)に関わる必要はない」と説かれるが(※「遺体」ではなく、あくまで「遺骨」について)阿難が遺体の取り扱いについて重ねて問うと、釈尊は(遺体)を火葬にすること、そして仏塔·宝塔を造り(つく)り供養すべきこと」を説かれた”
(『ブッダ最後の旅』中村元訳・要旨)のである。池田大作は、この内容のうち「遺骨」に関するすることのみを切り文して取り上げ、歪曲(わいきょ
く)したのである。
つまり、「お前たち (弟子達)は諸仏の遺骨の供養(崇拝)に関わる必要はない」との部分を、「釈尊は、自身の葬儀の一切を在家の人々に任せよと命じた」とすり替えたのである。
そのために池田は、「諸仏」を「釈尊」と限定し、「遺骨の供養」を「葬儀の一切」と置き換えている。
だが、 経典では、在家の者に葬儀を任せた、などとはけっして述べられていない。 現に、釈尊の御遺体を火葬する時には、五百人の修行僧が礼拝したのであ
る。また、阿難が重ねて問うた時の答えとして、釈尊が(遺体は)火葬にしなさい、仏塔を造り供養しなさい」
と、在家の者にではなく、弟子(僧侶)である阿難に対し、葬儀に関する遺言をされていることは、誰の目にも一目瞭然(いちもくりようぜん)である。
また、ここでは同時に、仏塔を造って供養すること、つまり起塔供養(塔婆供養も含まれる)について説かれていることにも、 注目すべきであろう。
結局、こうして、よくよく調べてみると、池田大作が言っているこどが、またまた大嘘であったことがわかるのである。
「釈尊の時代、僧侶は葬儀などするべきではない」
とか
「釈尊自身の葬儀も在家が行なった」
などと言い切っているものの、まったくそのような歴史的事実は存在しないのである。(詳細『富士学報二十四号』「仏陀最後の教え」)
また、末法における宗祖日蓮大聖人の御葬儀においても、『宗祖御遷化記録』で分かるように、日興上人をはじめ御弟子を中心とした葬儀であったことは、周知のとおりだ。どこに、在家のみの葬儀が存在するというのだろうか。
学会が、本宗の葬儀を否定したいのだったら、まず、”御僧侶が葬儀の導師をしてはならないこと"また”在家のみの葬儀でなければならないこと”等を裏
付ける金言や教義があるのか、それを説明してもらいたい。
それもできずに「僧侶が導師をする葬儀は邪義である」などと会員を証(たぶら)かしていることは、まさに謗法というべきであろう。
そもそも、創価学会第二代会長戸田城聖氏をはじめ、学会破門以前の学会員の死去に際しては、皆、宗門の導師曼荼羅を奉掲し、御僧侶の導師によって葬儀
を執行されていたではないか。それをどう説明するのか。
先に述べたごとく、釈尊も大聖人も、「在家のみの葬儀」などとは一言も仰せられていないし、在家のみの葬儀が行なわれた、などという事実もない。
また、学会が不要とする『戒名』とは、元来は御授戒の時に授かる「法名」であり、大聖人の御父が「妙日」、御母が「蓮」、南条時光殿は「大行」という戒名を、それぞれ大聖人から授けられている。この戒名が後に、死亡時に与えられるようになっていったのである。
その『戒名』の意義について、日有上人の『化儀抄』第六条に
「仏事追善の引導の時の廻向(えこう) の事、私の心中有るべからず、経を読みて此の経の功用に依って当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏得道疑
いなし、乃至法界平等利益」(聖典九七四貢)
と示されている
この御文について、第五十九世日享上人は、
「亡霊への廻向には、其導師たるもの少しも私の意志を挟むべからず、御経の功用に任すべし、此時は蓋し、戒名に意義ありと意得べしとなり」(富要集一巻一七七頁)
と仰せられ、第六十六世日達上人も、
「追福作善の法事、あるいは葬式の引導の回向には、導師をなす人は、虚心坦懐いささかも私心を持ってはいけません。 ただ読経唱題して、『妙法経力即身成仏』の功用にまかせる時、その亡者を戒名によせて、その亡者の無始以来の謗法罪障を消滅し、即身成仏は疑いないのであります」
(日達上人全集一輯四巻五一一頁)
と仰せられている。
つまり、故人の無始以来の罪障を消滅させ、即身成仏へと導く上で、戒名には大事な役割があるのである。
重ねていうが、御僧侶を呼ばない葬儀、戒名の無い葬儀、信徒だけで行なう葬儀が『日蓮大聖人の仏法の本義に則った葬儀』というのであれば、御書あるいは経典より文証を挙げて、明確に答えるべきである。
御金言に
「よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し」
(御書一三一四頁)
と仰せのとおり、御本尊(よき法)と、御本尊への信心(よき檀那)、そして御僧侶の導師 (よき師)、このすべてが揃(そろ)って、初めて成仏を叶えていただく
ことができるのである。この三つを揃えて執行されてきた正宗の葬儀を、説弁(きべん)を弄(ろう)して誹謗し、勝手に作り上げた友人葬なるものは、堕地獄の最直道である、と知るべきである
(慧妙 令和二年十二月一日)
戸田会長の盛大(せいだい)な葬儀は何と弁明(べんめい)?
『創価新報』(九月十六日号)が「化義で荒稼ぎ 卑劣な宗門の実態」と題し、日蓮正宗宗門による葬儀・戒名・位牌·塔婆供養・法要を不要であると緋誘(ひ
ぼう)している。
平成三年以降、創価学会は、何としても日蓮正宗の化儀化法を否定し、会員を正宗寺院から切り離そうとして、 「葬儀に僧侶など不要」「戒名は、故人の成仏・不成仏とは無間係な、無用の長物」等と主張してきた。
また池田大作は、かつて、葬義に御僧侶が必要ない理由として、
「仏教の原点である釈尊の時代、僧侶は葬儀などするべきではないと考えられていた。 釈尊自身の葬儀も在家が行った。これは歴史的事実である」(『聖教新聞』(平成四年九月二十七日付)
と述べていた。はたして、本当にそのような事実があったのか。
その根拠となる、釈尊が入滅する直前の様子を述べた経典の内容には、次のようにある。
弟子の阿難 (あなん) が釈尊に対して「諸仏の御遺体に対して、私達はどのようにしたらよいのでしょうか」と質問をしたところ、釈尊は「お前たちは諸仏の遺骨の供養(崇拝)に関わる必要はない」と説かれるが(※「遺体」ではなく、あくまで「遺骨」について)阿難が遺体の取り扱いについて重ねて問うと、釈尊は(遺体)を火葬にすること、そして仏塔·宝塔を造り(つく)り供養すべきこと」を説かれた”
(『ブッダ最後の旅』中村元訳・要旨)のである。池田大作は、この内容のうち「遺骨」に関するすることのみを切り文して取り上げ、歪曲(わいきょ
く)したのである。
つまり、「お前たち (弟子達)は諸仏の遺骨の供養(崇拝)に関わる必要はない」との部分を、「釈尊は、自身の葬儀の一切を在家の人々に任せよと命じた」とすり替えたのである。
そのために池田は、「諸仏」を「釈尊」と限定し、「遺骨の供養」を「葬儀の一切」と置き換えている。
だが、 経典では、在家の者に葬儀を任せた、などとはけっして述べられていない。 現に、釈尊の御遺体を火葬する時には、五百人の修行僧が礼拝したのであ
る。また、阿難が重ねて問うた時の答えとして、釈尊が(遺体は)火葬にしなさい、仏塔を造り供養しなさい」
と、在家の者にではなく、弟子(僧侶)である阿難に対し、葬儀に関する遺言をされていることは、誰の目にも一目瞭然(いちもくりようぜん)である。
また、ここでは同時に、仏塔を造って供養すること、つまり起塔供養(塔婆供養も含まれる)について説かれていることにも、 注目すべきであろう。
結局、こうして、よくよく調べてみると、池田大作が言っているこどが、またまた大嘘であったことがわかるのである。
「釈尊の時代、僧侶は葬儀などするべきではない」
とか
「釈尊自身の葬儀も在家が行なった」
などと言い切っているものの、まったくそのような歴史的事実は存在しないのである。(詳細『富士学報二十四号』「仏陀最後の教え」)
また、末法における宗祖日蓮大聖人の御葬儀においても、『宗祖御遷化記録』で分かるように、日興上人をはじめ御弟子を中心とした葬儀であったことは、周知のとおりだ。どこに、在家のみの葬儀が存在するというのだろうか。
学会が、本宗の葬儀を否定したいのだったら、まず、”御僧侶が葬儀の導師をしてはならないこと"また”在家のみの葬儀でなければならないこと”等を裏
付ける金言や教義があるのか、それを説明してもらいたい。
それもできずに「僧侶が導師をする葬儀は邪義である」などと会員を証(たぶら)かしていることは、まさに謗法というべきであろう。
そもそも、創価学会第二代会長戸田城聖氏をはじめ、学会破門以前の学会員の死去に際しては、皆、宗門の導師曼荼羅を奉掲し、御僧侶の導師によって葬儀
を執行されていたではないか。それをどう説明するのか。
先に述べたごとく、釈尊も大聖人も、「在家のみの葬儀」などとは一言も仰せられていないし、在家のみの葬儀が行なわれた、などという事実もない。
また、学会が不要とする『戒名』とは、元来は御授戒の時に授かる「法名」であり、大聖人の御父が「妙日」、御母が「蓮」、南条時光殿は「大行」という戒名を、それぞれ大聖人から授けられている。この戒名が後に、死亡時に与えられるようになっていったのである。
その『戒名』の意義について、日有上人の『化儀抄』第六条に
「仏事追善の引導の時の廻向(えこう) の事、私の心中有るべからず、経を読みて此の経の功用に依って当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏得道疑
いなし、乃至法界平等利益」(聖典九七四貢)
と示されている
この御文について、第五十九世日享上人は、
「亡霊への廻向には、其導師たるもの少しも私の意志を挟むべからず、御経の功用に任すべし、此時は蓋し、戒名に意義ありと意得べしとなり」(富要集一巻一七七頁)
と仰せられ、第六十六世日達上人も、
「追福作善の法事、あるいは葬式の引導の回向には、導師をなす人は、虚心坦懐いささかも私心を持ってはいけません。 ただ読経唱題して、『妙法経力即身成仏』の功用にまかせる時、その亡者を戒名によせて、その亡者の無始以来の謗法罪障を消滅し、即身成仏は疑いないのであります」
(日達上人全集一輯四巻五一一頁)
と仰せられている。
つまり、故人の無始以来の罪障を消滅させ、即身成仏へと導く上で、戒名には大事な役割があるのである。
重ねていうが、御僧侶を呼ばない葬儀、戒名の無い葬儀、信徒だけで行なう葬儀が『日蓮大聖人の仏法の本義に則った葬儀』というのであれば、御書あるいは経典より文証を挙げて、明確に答えるべきである。
御金言に
「よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し」
(御書一三一四頁)
と仰せのとおり、御本尊(よき法)と、御本尊への信心(よき檀那)、そして御僧侶の導師 (よき師)、このすべてが揃(そろ)って、初めて成仏を叶えていただく
ことができるのである。この三つを揃えて執行されてきた正宗の葬儀を、説弁(きべん)を弄(ろう)して誹謗し、勝手に作り上げた友人葬なるものは、堕地獄の最直道である、と知るべきである
(慧妙 令和二年十二月一日)