創価新報の本年一月号には同号からリニューアル
(発刊を月二回から一回に減らした)したと謳(うた)っている。しかし内容は相も変わらず怨念・憎悪に満ちた
宗門誹謗(ひぼう)の記事が目立つ。
繰り返される妄説
さて、同号には「法華講救済のために」と題する新連載を設け、一回目として
「御本尊に関する難くせ」なる文章を掲載している。
要約すると、御本尊について御書には、法主の許可・開眼が必要と書かれていないのだから、創価学会が作製・授与しても問題ない、という趣旨。
何のことはない。 今まで通り、破折され尽くした妄説を懲(こ)りずに繰(く)り返す、学会の所業の正当化ではないか。「嘘も百回言えば本当になる」を地でいく行為であるが、嘘の回数が足りないと感じているのだろう。
『二セ本尊』は恐ろしい毒薬
学会は、御本尊の開眼を作り話と誹謗するが、
「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」
(御書 六三八㌻)
とあるように、日蓮大聖人御自身が開眼を重視されていた御書は数多く拝することができる。
この「法華を心得たる人」が、大御本尊の御内証を一身に所持あそばす血脈付法の御法主上人猊下であることは、『本因妙抄』の、
「比の血脈(けちみゃく)並びに本尊の大事は(中略)塔中相承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」(同 一六八四㌻)
との明白な文証が示す通りである。
学会では、当文を後から追加した文などと嘯(うそぶ)く。
しかし、かつて池田大作は、
同抄と並んで両巻抄と称される『百六箇抄』の同様部を、
「すべて大聖人の金口(こんく)と拝する(趣意)」(大白蓮華昭和五十二年一月号)
と指導していた。いかに邪義を構えても、御法主上人猊下による開眼のない学会の『ニセ本尊』には、大聖人の御魂魄(こんぱく)は住されない。
それどころか、悪鬼神が入りこんだ魔札(まふだ)である。
学会員は、昔の戸田会長時代の、 次の指導をよくよく肝に銘じるべきだ。
「われわれがいた✓いている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これまた生身の御本仏様であります。(中略)
これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対になしえないところであり、た✓日蓮正宗のみのもつ深秘(じんぴ)の法門であります。邪宗がいくら日蓮正宗の御本尊をマネテ作ってみたところが、それこそ馬の骨なのであります。否、恐しい毒薬の働きをもつのであります」(同 昭和三十一年七月号)
血脈相伝に基づく深義
総本山第五十九世日亨上人が、
「曼荼羅(まんだら)書写本尊授与の事は·宗門第一尊厳の化儀なり」
と御指南の如く、御本尊に関する一切の権能(けんのう)は、御法主上人にのみ存する。 故に本宗では、古来そのすべてが御法主上人猊下に対し奉る師弟相対の信心に基づいて執(と)り行われてきたのだ。
御先師日顕上人は、学会の邪義に対して、
「こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義(しょうぎ)をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります」
(創価学会の偽造本尊義 を破す 五九㌻)
と、 開眼に関する甚深の御指南をあそばされた。この血脈付法の深義たるや、無解無信の池田大作では、その片鱗(へんりん)すら窺(うかが)うことはできないものである。
大聖人以来、正しく伝えられてきた御本尊に関する大事を敢(あ)えて無視し、仏法破壊の無資格者が勝手に作製·頒布(はんぷ)したものである故に、我らは断固として『ニセ本尊』と破折するのだ。
本宗僧俗は” 恐ろしい毒薬”たる『ニセ本尊』の害毒で苦しむ多くの学会員を救うべく、粘り強く折伏を行ずるのみである。学会員よ、真に救済されるべきはあなたたちなのだ。
(大白法 第一〇二六号 令和二年四月一日)
(発刊を月二回から一回に減らした)したと謳(うた)っている。しかし内容は相も変わらず怨念・憎悪に満ちた
宗門誹謗(ひぼう)の記事が目立つ。
繰り返される妄説
さて、同号には「法華講救済のために」と題する新連載を設け、一回目として
「御本尊に関する難くせ」なる文章を掲載している。
要約すると、御本尊について御書には、法主の許可・開眼が必要と書かれていないのだから、創価学会が作製・授与しても問題ない、という趣旨。
何のことはない。 今まで通り、破折され尽くした妄説を懲(こ)りずに繰(く)り返す、学会の所業の正当化ではないか。「嘘も百回言えば本当になる」を地でいく行為であるが、嘘の回数が足りないと感じているのだろう。
『二セ本尊』は恐ろしい毒薬
学会は、御本尊の開眼を作り話と誹謗するが、
「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」
(御書 六三八㌻)
とあるように、日蓮大聖人御自身が開眼を重視されていた御書は数多く拝することができる。
この「法華を心得たる人」が、大御本尊の御内証を一身に所持あそばす血脈付法の御法主上人猊下であることは、『本因妙抄』の、
「比の血脈(けちみゃく)並びに本尊の大事は(中略)塔中相承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」(同 一六八四㌻)
との明白な文証が示す通りである。
学会では、当文を後から追加した文などと嘯(うそぶ)く。
しかし、かつて池田大作は、
同抄と並んで両巻抄と称される『百六箇抄』の同様部を、
「すべて大聖人の金口(こんく)と拝する(趣意)」(大白蓮華昭和五十二年一月号)
と指導していた。いかに邪義を構えても、御法主上人猊下による開眼のない学会の『ニセ本尊』には、大聖人の御魂魄(こんぱく)は住されない。
それどころか、悪鬼神が入りこんだ魔札(まふだ)である。
学会員は、昔の戸田会長時代の、 次の指導をよくよく肝に銘じるべきだ。
「われわれがいた✓いている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これまた生身の御本仏様であります。(中略)
これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対になしえないところであり、た✓日蓮正宗のみのもつ深秘(じんぴ)の法門であります。邪宗がいくら日蓮正宗の御本尊をマネテ作ってみたところが、それこそ馬の骨なのであります。否、恐しい毒薬の働きをもつのであります」(同 昭和三十一年七月号)
血脈相伝に基づく深義
総本山第五十九世日亨上人が、
「曼荼羅(まんだら)書写本尊授与の事は·宗門第一尊厳の化儀なり」
と御指南の如く、御本尊に関する一切の権能(けんのう)は、御法主上人にのみ存する。 故に本宗では、古来そのすべてが御法主上人猊下に対し奉る師弟相対の信心に基づいて執(と)り行われてきたのだ。
御先師日顕上人は、学会の邪義に対して、
「こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義(しょうぎ)をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります」
(創価学会の偽造本尊義 を破す 五九㌻)
と、 開眼に関する甚深の御指南をあそばされた。この血脈付法の深義たるや、無解無信の池田大作では、その片鱗(へんりん)すら窺(うかが)うことはできないものである。
大聖人以来、正しく伝えられてきた御本尊に関する大事を敢(あ)えて無視し、仏法破壊の無資格者が勝手に作製·頒布(はんぷ)したものである故に、我らは断固として『ニセ本尊』と破折するのだ。
本宗僧俗は” 恐ろしい毒薬”たる『ニセ本尊』の害毒で苦しむ多くの学会員を救うべく、粘り強く折伏を行ずるのみである。学会員よ、真に救済されるべきはあなたたちなのだ。
(大白法 第一〇二六号 令和二年四月一日)