釈尊は何をもって法を説いてたのかと言えば、”言葉”である。
釈尊は菩提樹下で悟りを開いた直後、人々にこの悟りを説くことをためらっていた。そこに梵天という神様が現われ、「どうか悟りの内容を説いてください」と、釈尊に何度もお願いした。
釈尊は悩んだ挙げ句、ついに法を説くことを決意する。
仏の眼目「法華経」には
悟りの内容を”説く”ということは、人々のこれまでの信仰を否定することであり、多くの反発が予想された。
それでも”説く”という決断は、仏の一切衆生救済という大慈悲心の発露に他ならない。
釈尊は悟りを開いてから四十二年間、方便の教えを説いて衆生の機根を調(ととの)え、ついに自身の本意である
法華経を説いた。
法華経の開経である『無量義経』に、
「四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経 二三㌻)
とあるのは、法華経が他経に優れていることを示す仏の金言である。
「如来の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信ぜよ」と
また、法華経本門『寿量品』の冒頭には、「如来の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信ぜよ」との経文がある。
地涌の菩薩の出現に疑いの心を生じた弥勒(みろく)等の聴衆が、釈尊に対して菩薩涌出の因縁を説くことを強く願った。
これを受けて釈尊が、繰り返して誡めて言ったのが、
「汝等当(なんじらまさ)に、如来の誠諦の語を信解すべし」(同 四二八㌻)
という言葉である。
釈尊出生の本懐たる法華経の、まさに中心である『寿量品』の冒頭に、釈尊が宣(の)べたのは
「仏(自身)の真実の言葉である本門寿量品の教えを信ぜよ」という誡めなのだ。
空海の創作した空理空論の教義
翻(ひるがえ)って真言宗の祖・空海は、釈尊が言語や文字で顕(あきら)かにといた”顕教(けんぎょう)”(法華経などの諸経)を方便と蔑(さげす)み、目に見えず言語化もできない大日如来の秘密の教えである”密教”(大日経)を最も優れた教えとする。
真言宗は、大日如来の奥深い悟りは言葉や文字では表現できず、有資格者にしか理解できないので、言語を介さずに、身密(手に印を結ぶ)・口密(陀羅尼(だらに)を唱える)・意密(心に大日如来を思い描く)という修法(三密加持)によって大日の悟りを会得するのだと主張する。
だが実際には、真言宗の教義や修法は、文字や言葉で受け継がれているではないか。
それに”言語を介さない”という悟りの真贋(しんがん)を、誰が、どのように判断するのか。「秘密」という便利な言葉のもと、あらゆる教義や修法は勝手に創作し放題ではないか。
「仏の悟りは言葉で表現できない」と言えば一見もっともらしいが、これが「仏の言葉を無視してよい」という根拠にはならない。
釈尊は「私の真実の言葉である法華経を信ぜよ」と説き、「大日如来などの方便の教えを捨てよ」と誡められている。仏の言葉に反して行う真言の修法は、仏教ではない。
高野山、成田山新勝寺等々、どれも立派な仏閣を構えてはいるが、真言宗は全くもって仏法ではないのである。
”文証”なき真言宗の祖
我が宗祖日蓮大聖人は、その御生涯を通して法華経の一字一句を色読(しきどく)(身をもって読む)され、釈尊から法華弘通を託された地涌の菩薩の上首、上行菩薩(内証本仏)であることを証明された。
その大聖人は、
「抑(そもそも)大日の三部を密教と云ひ、法華経を顕教と云ふ事、金言の出る所を知らず」(御書 六一一㌻)
と、空海が立てた、密教が顕教より優れるという教判を、経論に全く根拠のない邪説と喝破(かっぱ)されている。
仏の言葉を無視して、法華経を” 戯論(けろん)”と下す空海の思いつきは、所詮外道(げどう)の邪義である。
我々は、どこまでも仏の金言に依(よ)り、平成三十三年の大佳節に向かって真言宗の誑惑(おうわく)を粉砕していこう。
(大白法 第九九五号 平成三十年十二月十六日)
釈尊は菩提樹下で悟りを開いた直後、人々にこの悟りを説くことをためらっていた。そこに梵天という神様が現われ、「どうか悟りの内容を説いてください」と、釈尊に何度もお願いした。
釈尊は悩んだ挙げ句、ついに法を説くことを決意する。
仏の眼目「法華経」には
悟りの内容を”説く”ということは、人々のこれまでの信仰を否定することであり、多くの反発が予想された。
それでも”説く”という決断は、仏の一切衆生救済という大慈悲心の発露に他ならない。
釈尊は悟りを開いてから四十二年間、方便の教えを説いて衆生の機根を調(ととの)え、ついに自身の本意である
法華経を説いた。
法華経の開経である『無量義経』に、
「四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経 二三㌻)
とあるのは、法華経が他経に優れていることを示す仏の金言である。
「如来の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信ぜよ」と
また、法華経本門『寿量品』の冒頭には、「如来の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信ぜよ」との経文がある。
地涌の菩薩の出現に疑いの心を生じた弥勒(みろく)等の聴衆が、釈尊に対して菩薩涌出の因縁を説くことを強く願った。
これを受けて釈尊が、繰り返して誡めて言ったのが、
「汝等当(なんじらまさ)に、如来の誠諦の語を信解すべし」(同 四二八㌻)
という言葉である。
釈尊出生の本懐たる法華経の、まさに中心である『寿量品』の冒頭に、釈尊が宣(の)べたのは
「仏(自身)の真実の言葉である本門寿量品の教えを信ぜよ」という誡めなのだ。
空海の創作した空理空論の教義
翻(ひるがえ)って真言宗の祖・空海は、釈尊が言語や文字で顕(あきら)かにといた”顕教(けんぎょう)”(法華経などの諸経)を方便と蔑(さげす)み、目に見えず言語化もできない大日如来の秘密の教えである”密教”(大日経)を最も優れた教えとする。
真言宗は、大日如来の奥深い悟りは言葉や文字では表現できず、有資格者にしか理解できないので、言語を介さずに、身密(手に印を結ぶ)・口密(陀羅尼(だらに)を唱える)・意密(心に大日如来を思い描く)という修法(三密加持)によって大日の悟りを会得するのだと主張する。
だが実際には、真言宗の教義や修法は、文字や言葉で受け継がれているではないか。
それに”言語を介さない”という悟りの真贋(しんがん)を、誰が、どのように判断するのか。「秘密」という便利な言葉のもと、あらゆる教義や修法は勝手に創作し放題ではないか。
「仏の悟りは言葉で表現できない」と言えば一見もっともらしいが、これが「仏の言葉を無視してよい」という根拠にはならない。
釈尊は「私の真実の言葉である法華経を信ぜよ」と説き、「大日如来などの方便の教えを捨てよ」と誡められている。仏の言葉に反して行う真言の修法は、仏教ではない。
高野山、成田山新勝寺等々、どれも立派な仏閣を構えてはいるが、真言宗は全くもって仏法ではないのである。
”文証”なき真言宗の祖
我が宗祖日蓮大聖人は、その御生涯を通して法華経の一字一句を色読(しきどく)(身をもって読む)され、釈尊から法華弘通を託された地涌の菩薩の上首、上行菩薩(内証本仏)であることを証明された。
その大聖人は、
「抑(そもそも)大日の三部を密教と云ひ、法華経を顕教と云ふ事、金言の出る所を知らず」(御書 六一一㌻)
と、空海が立てた、密教が顕教より優れるという教判を、経論に全く根拠のない邪説と喝破(かっぱ)されている。
仏の言葉を無視して、法華経を” 戯論(けろん)”と下す空海の思いつきは、所詮外道(げどう)の邪義である。
我々は、どこまでも仏の金言に依(よ)り、平成三十三年の大佳節に向かって真言宗の誑惑(おうわく)を粉砕していこう。
(大白法 第九九五号 平成三十年十二月十六日)