真言(しんごん)の現証で後継(あとつ)ぎなくした伊藤真乗
それを逆手(さかて)に亡子(ぼうし)の霊言(れいげん)で”金儲け!!
「真如苑の教祖・伊藤真乗」について破折していきたい。
邪教・真如苑の誕生
まず、伊藤真乗が真如苑を設立するまでを見てみよう。
真乗は、明治三十九年(一九〇六年)三月、山梨県北巨摩群長坂町秋田の農家の二男として生まれ、名を文明といった。
生家の伊藤家には『甲陽流病筮(ぜい)抄』という易書(えきしょ)が伝わっており、これを小学校に通うころから父に教えられ、二十三歳のときは東京・小石川にあった「大日本易占同志会」に研究生として入会し、一年かけて所定のコースを修めた。昭和七年、二十七歳で、いとこにあたる内田友司(ともし)と結婚し、このころから易による鑑定や人生相談をはじめるなど、真乗は幼少期より、中国儒教から派生した易や占術の影響を色濃く受けていた。
一方、妻の友司は、神がかりになったり、霊能師である伯母の油井玉恵から相承を受けるなど、邪宗教に深く関わっていた。
昭和十一年、真乗らは真言宗。成田山新勝寺と深い交流をもち、大日大聖不動明王を本尊として「立照閣」を設立する。
昭和十三年には、東京・立川の現総本部の地に真澄寺を建立し、教団名を立照閣から真言宗醍醐(だいご)派「立川不動尊教会」へと変更。
このころ、真乗は京都にある真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺三宝院で得度し、昭和十六年には大阿闍梨(あじゃり)位をもらい。文明を改めて「真乗」と改名した。さらに宗教法人令公布に伴い、「まこと教団」へと改称するが、前回の小欄で記述したように傷害事件問題を起こし、翌年、再び教団名を「真如苑」と改める。
顕著な真言宗系の現証
さて、前述のとおり真乗が真如苑を設立した土壌には、真言宗の影響が大きいが、それは誇法の現証としても如実に現われている。
まず、真言宗と関わりを密にしはじめた昭和十一年に、三歳の長男が風邪をこじらせて急死する。 昭和二十七年七月には、十五歳の二男・友一がカリエスで闘病生活の末、死亡。さらに昭和四十二年八月、関西本部巡教中に妻の友司が五十五歳で急死。昭和四十四年には真乗の再婚問題をめぐり、伊藤家内に利権争いが生じ、三女の真砂子が自殺未遂事件を起こし、長女と次女が教団を離脱してしまう。
平成元年七月、八十二歳をもって真乗が死去した後、三女の真砂子が苑主となり、四女の真玲がそれを補佐して教団を運営しているが、いまなお後継者問題を抱えている。
現在は次期代表とされている者が伊藤家との血縁がないために、信者内で賛否両論が巻き起こっているという。
ここまで顕著に現証が出ればお分かりだろう。つまり、教団継承の頼みの綱である息子達が相次いで死亡し、さらに妻の急死や長女、次女の離脱など、本来、教団を受け継ぐべき者が次々と死亡したり、問題を起こして教団を去ってしまう有り様は、まさに、その家の大黒柱として活躍すべき人材が不幸になるという、典型的な真言宗の罰の現証である。
真言宗では密教である大日経の最勝を説く一方、法華経を大日経や華厳経よりも劣る無意味な経と断じ、また、大日如来に比べれば釈尊は草履(ぞうり) 取りにも劣る、と下(くだ) す宗派である。
衆生救済の根本の仏と法を打ち倒しているために
大聖人は「真言亡国」と破折され、真言の悪法に縁すれば、大事な柱が倒れ、亡家・亡国の悲惨な報(むく)いを受けることを指摘されている。
霊能者になれる核心!?
真如苑の特徴のひとつに、創価学会にも匹敵すると言われる巨額の資金があげられ、真如苑は派手な買い物をする教団としても有名である。
二〇〇〇年代に入り、突如、東京の武蔵村山市と立川市にまたがる日産自動車工場の跡地(約一〇五万平方メートル) を約七百三十九億円で購入し、その後も東京都千代田区の旧ダイヤモンドホテルを約八十億円で購入するほか、アメリカでオークションにかけられた運慶作といわれる大日如来像を十四億円で落札するなど、たびたび世間を騒がせるほどの買い物をし、その資金力に注目を集めた。
実際、教団の年間収入は推定四百五十五億円に上る。 そして、所有不動産の資産額は、国内の宗教施設で実に約二千五百四十四億円。本拠地のある立川市内だけでも約一千二百十二億円に達する。
この巨額な財力を支えているのが「接心」と言われる金儲けシステムである。
接心とは、信者が教団の施設に赴き、「霊能者」と呼ばれる上級の信者から、悩みに対するアドバイスを受けるという、いわば一種のカウンセリング的なものであり、教団は定期的にこれを行なうよう励行している。
この接心はとくに若者や女性に人気があり、信者に受け入れられやすいこと、また指導する「霊能者」は、修行を積み霊位を上げれば誰でもそれに就(つ) けるという点が特徴である。
接心と深い関係にあるのが、早死にした真乗の息子達である。
息子達の死は教団内に大きな動揺を生んだために、真乗は信徒らに対して「息子は皆の苦しみを身代わりになって受けて死んだのだ」と弁明して、会員の不信を払拭(ふっしょく)しようとした。 それ以来、真如苑では、真乗の二人の息子を「両童子」と呼び、霊界の両童子が信者の苦しみを身代わりとなって引き受けてくれるとしている。これを「抜苦代受」と呼ぶ。そして、この死んだ息子たちには救済者としての役割が与えられ、教団の修行活動の中で重要な役割を担(にな) うようになる。
すなわち、長男次男は他界して霊界との道交を開いた、として、この息子達の霊と感応した上級の信者が「霊能者」となって、信者と対座して「霊言」を伝え、問題を解決したり、 心を浄めたりするとして、息子達を利用した修行を打ち立てた。 それが接心である。
真言宗系の現罰も、真乗にかかれば、 人類の罪を背負ったキリストの臆罪(しょくざい) のように賛美され、信徒の病気が治ったり苦難から救済されるのは、この二人の働きによるもの、として崇(あが)められるのだから呆れてしまう。
そもそも、仏教では本来、個々の行為に因果の理を説くものであって、善悪の因の果報を、他人が身代わりとなって受けることなどできない。
故に因果を無視した「抜苦代受」が邪説であることは言うまでもない。
大聖人は
「真言宗は現世利益の祈祷(きとう)を主とし、魔術的な祈祷による少々の通力や効験を奇特とし、自宗が勝れる所以としている。しかし彼らの力は外道の仙術にも遠く及ばず、ましてや正法誹謗(ひぼう)による阿鼻地獄の苦しみから免れる力などない。所詮、真言宗の末流は一切衆生を堕地獄に導く悪知識であり、絶対に近づいてはならない」(御書三六六頁取意)
と、 真言宗の害毒について警鐘を鳴らされている。
現在の真如苑は、街 (まち)の清掃活動などの社会奉仕を活発に行なうことで、地域社会との融和をはかり、宗教色を薄めながらさらなる教団拡大を狙っている。しかしながら、その内実は、所詮、儒教と真言宗の祈祷を融合した邪義をもって会員たちから金を貪(むさぼ)り取り、教団を拡大している新興宗教に他ならない。
真如苑などの邪義邪宗に騙(だま)された多くの人を折伏し、一刻も早く正法に導いていうことが、本宗僧俗に課せられた使命である。
(慧妙 令和二年五月一日)
それを逆手(さかて)に亡子(ぼうし)の霊言(れいげん)で”金儲け!!
「真如苑の教祖・伊藤真乗」について破折していきたい。
邪教・真如苑の誕生
まず、伊藤真乗が真如苑を設立するまでを見てみよう。
真乗は、明治三十九年(一九〇六年)三月、山梨県北巨摩群長坂町秋田の農家の二男として生まれ、名を文明といった。
生家の伊藤家には『甲陽流病筮(ぜい)抄』という易書(えきしょ)が伝わっており、これを小学校に通うころから父に教えられ、二十三歳のときは東京・小石川にあった「大日本易占同志会」に研究生として入会し、一年かけて所定のコースを修めた。昭和七年、二十七歳で、いとこにあたる内田友司(ともし)と結婚し、このころから易による鑑定や人生相談をはじめるなど、真乗は幼少期より、中国儒教から派生した易や占術の影響を色濃く受けていた。
一方、妻の友司は、神がかりになったり、霊能師である伯母の油井玉恵から相承を受けるなど、邪宗教に深く関わっていた。
昭和十一年、真乗らは真言宗。成田山新勝寺と深い交流をもち、大日大聖不動明王を本尊として「立照閣」を設立する。
昭和十三年には、東京・立川の現総本部の地に真澄寺を建立し、教団名を立照閣から真言宗醍醐(だいご)派「立川不動尊教会」へと変更。
このころ、真乗は京都にある真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺三宝院で得度し、昭和十六年には大阿闍梨(あじゃり)位をもらい。文明を改めて「真乗」と改名した。さらに宗教法人令公布に伴い、「まこと教団」へと改称するが、前回の小欄で記述したように傷害事件問題を起こし、翌年、再び教団名を「真如苑」と改める。
顕著な真言宗系の現証
さて、前述のとおり真乗が真如苑を設立した土壌には、真言宗の影響が大きいが、それは誇法の現証としても如実に現われている。
まず、真言宗と関わりを密にしはじめた昭和十一年に、三歳の長男が風邪をこじらせて急死する。 昭和二十七年七月には、十五歳の二男・友一がカリエスで闘病生活の末、死亡。さらに昭和四十二年八月、関西本部巡教中に妻の友司が五十五歳で急死。昭和四十四年には真乗の再婚問題をめぐり、伊藤家内に利権争いが生じ、三女の真砂子が自殺未遂事件を起こし、長女と次女が教団を離脱してしまう。
平成元年七月、八十二歳をもって真乗が死去した後、三女の真砂子が苑主となり、四女の真玲がそれを補佐して教団を運営しているが、いまなお後継者問題を抱えている。
現在は次期代表とされている者が伊藤家との血縁がないために、信者内で賛否両論が巻き起こっているという。
ここまで顕著に現証が出ればお分かりだろう。つまり、教団継承の頼みの綱である息子達が相次いで死亡し、さらに妻の急死や長女、次女の離脱など、本来、教団を受け継ぐべき者が次々と死亡したり、問題を起こして教団を去ってしまう有り様は、まさに、その家の大黒柱として活躍すべき人材が不幸になるという、典型的な真言宗の罰の現証である。
真言宗では密教である大日経の最勝を説く一方、法華経を大日経や華厳経よりも劣る無意味な経と断じ、また、大日如来に比べれば釈尊は草履(ぞうり) 取りにも劣る、と下(くだ) す宗派である。
衆生救済の根本の仏と法を打ち倒しているために
大聖人は「真言亡国」と破折され、真言の悪法に縁すれば、大事な柱が倒れ、亡家・亡国の悲惨な報(むく)いを受けることを指摘されている。
霊能者になれる核心!?
真如苑の特徴のひとつに、創価学会にも匹敵すると言われる巨額の資金があげられ、真如苑は派手な買い物をする教団としても有名である。
二〇〇〇年代に入り、突如、東京の武蔵村山市と立川市にまたがる日産自動車工場の跡地(約一〇五万平方メートル) を約七百三十九億円で購入し、その後も東京都千代田区の旧ダイヤモンドホテルを約八十億円で購入するほか、アメリカでオークションにかけられた運慶作といわれる大日如来像を十四億円で落札するなど、たびたび世間を騒がせるほどの買い物をし、その資金力に注目を集めた。
実際、教団の年間収入は推定四百五十五億円に上る。 そして、所有不動産の資産額は、国内の宗教施設で実に約二千五百四十四億円。本拠地のある立川市内だけでも約一千二百十二億円に達する。
この巨額な財力を支えているのが「接心」と言われる金儲けシステムである。
接心とは、信者が教団の施設に赴き、「霊能者」と呼ばれる上級の信者から、悩みに対するアドバイスを受けるという、いわば一種のカウンセリング的なものであり、教団は定期的にこれを行なうよう励行している。
この接心はとくに若者や女性に人気があり、信者に受け入れられやすいこと、また指導する「霊能者」は、修行を積み霊位を上げれば誰でもそれに就(つ) けるという点が特徴である。
接心と深い関係にあるのが、早死にした真乗の息子達である。
息子達の死は教団内に大きな動揺を生んだために、真乗は信徒らに対して「息子は皆の苦しみを身代わりになって受けて死んだのだ」と弁明して、会員の不信を払拭(ふっしょく)しようとした。 それ以来、真如苑では、真乗の二人の息子を「両童子」と呼び、霊界の両童子が信者の苦しみを身代わりとなって引き受けてくれるとしている。これを「抜苦代受」と呼ぶ。そして、この死んだ息子たちには救済者としての役割が与えられ、教団の修行活動の中で重要な役割を担(にな) うようになる。
すなわち、長男次男は他界して霊界との道交を開いた、として、この息子達の霊と感応した上級の信者が「霊能者」となって、信者と対座して「霊言」を伝え、問題を解決したり、 心を浄めたりするとして、息子達を利用した修行を打ち立てた。 それが接心である。
真言宗系の現罰も、真乗にかかれば、 人類の罪を背負ったキリストの臆罪(しょくざい) のように賛美され、信徒の病気が治ったり苦難から救済されるのは、この二人の働きによるもの、として崇(あが)められるのだから呆れてしまう。
そもそも、仏教では本来、個々の行為に因果の理を説くものであって、善悪の因の果報を、他人が身代わりとなって受けることなどできない。
故に因果を無視した「抜苦代受」が邪説であることは言うまでもない。
大聖人は
「真言宗は現世利益の祈祷(きとう)を主とし、魔術的な祈祷による少々の通力や効験を奇特とし、自宗が勝れる所以としている。しかし彼らの力は外道の仙術にも遠く及ばず、ましてや正法誹謗(ひぼう)による阿鼻地獄の苦しみから免れる力などない。所詮、真言宗の末流は一切衆生を堕地獄に導く悪知識であり、絶対に近づいてはならない」(御書三六六頁取意)
と、 真言宗の害毒について警鐘を鳴らされている。
現在の真如苑は、街 (まち)の清掃活動などの社会奉仕を活発に行なうことで、地域社会との融和をはかり、宗教色を薄めながらさらなる教団拡大を狙っている。しかしながら、その内実は、所詮、儒教と真言宗の祈祷を融合した邪義をもって会員たちから金を貪(むさぼ)り取り、教団を拡大している新興宗教に他ならない。
真如苑などの邪義邪宗に騙(だま)された多くの人を折伏し、一刻も早く正法に導いていうことが、本宗僧俗に課せられた使命である。
(慧妙 令和二年五月一日)
真如苑は立川市に巨大施設を次々と。買収した日産村山工場跡地には「プロジェクトMURAYAMA」と銘打った再開発事業を計画