”人師論師は不要”の根拠が『日興遺誡遺文(ゆいかいもきもん)』だって!?
指弾(しだん)され反省した主張を、平成二年に再び
前回は、昭和五十二年の教義逸脱問題において、宗門より指摘されたうちの一番目、「戸田会長の悟達」について述べた。
今回は、二番目、「大聖人直結、血脈・途中の人師論師不要」についてである。
「大聖人直結、血脈・途中の人師論師不要」の文証として、池田大作は、日興上人の『日興遺誡遺文』の、
「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」(御書一八八四頁)
を挙げている。そして、この文を利用し、
「『先師の御弘通』の『先師』とは、御本仏日蓮大聖人のことであります。したがって『日蓮大聖人の御弘通』 そのままにということになるのであります。 すなわち日蓮大聖人の正真正銘の門下であるならば、日蓮大聖人の振る舞いとその精神を根本にすべきなのであります。それは、途中の人師、論師ではないということなのであります。 途中の人師、論師が根本ではないということは、人師、論師の場合には、いろいろな時代背景のもとに、生きのびなければならなかったがゆえに、令法久住を願って、さまざまな知恵をめぐらした場合があるからであります」(『聖教新聞』昭和五十二年二月十七日付)
と発言したのである。 一見すると見落としがちであるが、よく読めば「大聖人直結」「御法主上人不要論」や「過去に御法主上人が大聖人の御聖意に違背した」などの思惑を読み解くことができよう。これが池田の、宗門を蔑(ないがし)ろにし、会員を誑惑(おうわく)する奸策(かんさく)であることは、明白である。日蓮大聖人の御聖意は、
『日蓮一期弘法付嘱書』『身延山付嘱書』の二箇相承等に明らかなごとく、第二祖日興上人へ付嘱され、日興上人より第三祖日目上人へ、そして現御法主日如上人に付嘱されている(※当時は六十六世日達上人の御代である)。
そもそも、大聖人直結を主張するのであれば、日興上人の『日興遺誡置文』を文証としている時点で「直結」論が崩れているではないか。
また、日興上人は日目上人へ『日興跡条々事』に御示しのごとく、相承あそばされているのである。
創価学会では、昭和五十三年六月当時、教義逸脱問題を収束せんがために、『聖教新聞』紙上に、
「日蓮大聖人の仏法の正統の流れは、第二祖日興上人、第三祖日目上人、そして第六十六世の現御法主日達上人猊下の御内証に流れていることは、いうまでもない。(中略)唯授一人、遣使還告(けんしげんごう)であられる御法主上人猊下を通して大聖人への直結は当然であると拝したい」
(『聖教新聞』掲載「教学上の基本問題について」=通称「六・三〇」)
との発表を出した。これは、周知の事実である。これ以降、平成二年の慢心スピーチまで、池田は、
「日興上人がおられましたがゆえに、富士の清流は七百年の苦難の歴史にもいささかも穢(けが)されることなく、総本山御歴代の御法主上人により一器から一器へと法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)されてきたのでございます」
(『広布と人生を語る』三巻七一頁)
と発言している。これも事実である。しかし、池田の野望が消滅したわけではなく、池田は虎視眈々(こしたんたん)とその時を待ち続けていた。 そして、平成二年以降において、慢心スピーチをはじめ、池田の謗法発言・行為が顕著になったのである。だが大聖人の御聖意は、唯授一人の鉄則をもって歴代の御法主上人に御相承あそばされ、現在は御当代日如上人が我々を導いてくださっている。これが全てである。
最後に、池田の指導を引いて終わりとする。
「昨今、こともあろうに、唯授一人の血脈付法を否定せんとする一部の輩(やから)の策謀(さくぼう)がみられることは、御開山上人の厳格・清浄な正法護持の御精神に照らして、断じてあるまじき所業であります。」(同前七二頁)
創価学会は、まさに、あるまじき所業の団体なのである。
(慧妙 令和五年11月1日号)
指弾(しだん)され反省した主張を、平成二年に再び
前回は、昭和五十二年の教義逸脱問題において、宗門より指摘されたうちの一番目、「戸田会長の悟達」について述べた。
今回は、二番目、「大聖人直結、血脈・途中の人師論師不要」についてである。
「大聖人直結、血脈・途中の人師論師不要」の文証として、池田大作は、日興上人の『日興遺誡遺文』の、
「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」(御書一八八四頁)
を挙げている。そして、この文を利用し、
「『先師の御弘通』の『先師』とは、御本仏日蓮大聖人のことであります。したがって『日蓮大聖人の御弘通』 そのままにということになるのであります。 すなわち日蓮大聖人の正真正銘の門下であるならば、日蓮大聖人の振る舞いとその精神を根本にすべきなのであります。それは、途中の人師、論師ではないということなのであります。 途中の人師、論師が根本ではないということは、人師、論師の場合には、いろいろな時代背景のもとに、生きのびなければならなかったがゆえに、令法久住を願って、さまざまな知恵をめぐらした場合があるからであります」(『聖教新聞』昭和五十二年二月十七日付)
と発言したのである。 一見すると見落としがちであるが、よく読めば「大聖人直結」「御法主上人不要論」や「過去に御法主上人が大聖人の御聖意に違背した」などの思惑を読み解くことができよう。これが池田の、宗門を蔑(ないがし)ろにし、会員を誑惑(おうわく)する奸策(かんさく)であることは、明白である。日蓮大聖人の御聖意は、
『日蓮一期弘法付嘱書』『身延山付嘱書』の二箇相承等に明らかなごとく、第二祖日興上人へ付嘱され、日興上人より第三祖日目上人へ、そして現御法主日如上人に付嘱されている(※当時は六十六世日達上人の御代である)。
そもそも、大聖人直結を主張するのであれば、日興上人の『日興遺誡置文』を文証としている時点で「直結」論が崩れているではないか。
また、日興上人は日目上人へ『日興跡条々事』に御示しのごとく、相承あそばされているのである。
創価学会では、昭和五十三年六月当時、教義逸脱問題を収束せんがために、『聖教新聞』紙上に、
「日蓮大聖人の仏法の正統の流れは、第二祖日興上人、第三祖日目上人、そして第六十六世の現御法主日達上人猊下の御内証に流れていることは、いうまでもない。(中略)唯授一人、遣使還告(けんしげんごう)であられる御法主上人猊下を通して大聖人への直結は当然であると拝したい」
(『聖教新聞』掲載「教学上の基本問題について」=通称「六・三〇」)
との発表を出した。これは、周知の事実である。これ以降、平成二年の慢心スピーチまで、池田は、
「日興上人がおられましたがゆえに、富士の清流は七百年の苦難の歴史にもいささかも穢(けが)されることなく、総本山御歴代の御法主上人により一器から一器へと法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)されてきたのでございます」
(『広布と人生を語る』三巻七一頁)
と発言している。これも事実である。しかし、池田の野望が消滅したわけではなく、池田は虎視眈々(こしたんたん)とその時を待ち続けていた。 そして、平成二年以降において、慢心スピーチをはじめ、池田の謗法発言・行為が顕著になったのである。だが大聖人の御聖意は、唯授一人の鉄則をもって歴代の御法主上人に御相承あそばされ、現在は御当代日如上人が我々を導いてくださっている。これが全てである。
最後に、池田の指導を引いて終わりとする。
「昨今、こともあろうに、唯授一人の血脈付法を否定せんとする一部の輩(やから)の策謀(さくぼう)がみられることは、御開山上人の厳格・清浄な正法護持の御精神に照らして、断じてあるまじき所業であります。」(同前七二頁)
創価学会は、まさに、あるまじき所業の団体なのである。
(慧妙 令和五年11月1日号)
池田の問題発言を掲載した『聖教新聞』(昭和52年2月17日付)