偏狭(へんきょう)な教義と戒律で信者を縛(しば)る
その結果発生した児童虐待(ぎゃくたい)事件
前回は、一般的な社会生活に支障をきたす程の教えを説く、新興宗教団体・「エホバの証人」(ものみの塔聖書冊子教会)について、特に幼い少年の命が失われた事件を取り上げて、その常軌を逸(いっ)した教義を紹介し、邪教たる所以(ゆえん)について述べた。
今回も「エホバの証人」の教え故(ゆえ)の、現実生活や社会の中で摩擦を生じた事例を紹介して、教団の実態を衝(つ)いていきたい。
さて、「エホバの証人」が明確に禁止していること、あるいはふさわしくないとして、遠回しに禁止している事項は、じつに多くある。
その一端を示せば、前回紹介した輸血をはじめ、献血・血を含むものを食べること・大学に行くこと・正社員になること・国歌斉唱・剣道や柔道などの武術・騎馬戦・誕生日・節分や七夕などの行事参加・警察官や自衛隊員になること・「エホバの証人」を脱会した人(家族であっても)と交友すること・戦いや恋愛ものの漫画や映画を観ること・先祖崇拝・選挙投票の禁止など、多技(たき)にわたる。この他の、例えば喫煙や自殺が禁止であることは世間一般にも理解できると思うが、右に挙げたような禁止事項 (ふさわしくないといわれる事項)は、私たちが生活する上で大小さまざまな支障をきたすものだろう。特に、多感な時期である学校生活において、こうした様々な制約があると友達ができにくくなり、コミュニケーションもうまくとれなくなるのは、 当然のことといえる。
また、大学に行くことや正社員になることをふさわしくないとする理由は、そうしたことよりも伝道活動、 すなわち「エホバの証人」の布教を優先しろ、ということらしい。
まさしく非道徳的な教え、としか言いようがない。実際、インターネットを閲覧してみると、「エホバの証人」に入会し、一般常識を外れた制約下に置かれた人や、「エホバの証人」信者の二世として生まれた人の、異常な体験談が数多くアップされている。そのなかでも、「エホバの証人」信者二世による体験談に多いのが「体罰」である。
それらの体験談等によると、「エホバの証人」は一九六四年以降、信者の子どもたちに対し、鞭(むち)や鞭に類する物などを用いてて行なう「体罰」を推奨(すいしょう)してきたという。
この体罰は、子供の様(しつけ)という大義名分によるもので、「エホバの証人」が開催する大会や集会の講演などでは、体罰は子供の命を救うもの、といった趣旨の指導があったという。
さらには、「エホバの証人」の集会が開かれる王国会館(※ 「エホバの証人」が集会場所として使用する施設の名)には“こらしめ”用の部屋がある、との証言が多く見られる。
この”こらしめ”とは、躾の名目で行なわれる「体罰」を指しているようだ。
そうした、「エホバの証人」信者による体罰の事例が、教団内部で問題になっている、と思わせるプログ記事もある。
それは二〇一六年に、関西地方で発生した事例のようだが、その内容をかいつまんで紹介すると、とある女性宅を訪問した女性信者が連れていた女児の様子を不審に思った女性が、女性信者の隙を窺(うかが)って女児の体を調べて見ると背中に虐待痕(ぎゃくたいこん)があったので、警察に連絡して保護してもらった、という。
その事実を、当該ブログのブログ主である男性信者に伝えると、男性信者はその女性信者が所属すると思われる組織の幹部に”このような問題が起きている”と善処を求めた。
するとその幹部は、女児のことを心配して男性信者に話をした女性宅をいきなり訪問。
”余計なことをするな”
と釘を刺した、というのである。
とはいえ、現在の「エホバの証人」の公式サイトや配布冊子に、体罰を推奨するような記述が見られるわけではない。
また、前述したような元信者の訴えを否定する内容のネット投稿が数多くなされてもいる。
しかし、かつて実際に起きた児童虐待死事件と、事件に対する教団・幹部の深い関わりが、動かし難(がた)い事実として『しんぶん赤旗』(一九九四年八月八日付)に報じられている。
その事件と言うのは、一九九三年十一月、四歳の男児が両親の体罰により死亡した児童虐待事件ー
具体的には、過食症を患(わずら)っていた男児が、夕食を無断で食べ散らかしたため、躾として父親が足で蹴(け)り、ビニールホースを鞭がわりにして尻(しり)や顔面を殴り、裸にした
上で水を浴びせ、一晩中外に放置して凍死させた、という事件である。
しかして、この躾と称した体罰が行われた背景には「エホバの証人」の教義と、夫婦が所属していた会衆(※地区組織)の長老(※指導・監督する立場の信者)夫婦の指導があったという。
この事件を傍聴(ぼうちょう)した『しんぶん赤旗』の記者は
「裁判を傍聴し、関係者の話を聞いて強く感じたのは、やはり『信仰』の重み。体罰によるしつけが、<『過食』というものに関する無知に加えて、夫婦が当時信仰していた宗教と深く関連していた>(弁護人最終弁論)からです。
すべて、ものみの塔の教義と、二人が所属していた会衆の長老夫婦の指導によるものでした。
ものみの塔は、子育てを『訓練』と位置づけ、『体罰は子供の命を救う』『細棒をもってあなたは彼をたたくべき』(教理解説書)と教えます。
おしりを打つためのムチ棒は、長老夫婦から渡されました。
ムチ棒のかわりにビニールホースを使ってもよいことや、食事を制限したり、閉じ込めたり、しめ出したりするのも同じ。すべて『少しの間家族から仲間はずれにするのは、おしりをたたくよりも効果的』(前掲書)などという教理にもとづく助言でした。しつけを急がねばならないという事情もありました。
ハルマゲドンという、この世の終わりを告げる最終戦争が迫(せま)っている。その後にくる神の楽園に生き残るにはエホバの証人として神の律法を守っておかねばならない。
子どもを正しく育てるのも、その一つだからです。『悠長 に構える時間はない。緊急を要することだと教えられた』と、夫は証言しています」と記している。
「エホバの証人」では「エホバの証人」以外の人々はサタン (悪魔)の支配下にあるから深く交わってはいけないという教えがあり、それゆえ夫婦は世間一般にありふれた悩み相談や助言を受ける機会も閉ざされていたとも言え、この事件はすべてにおいて、「エホパの証人」の教義ゆえの結果であると言えよう。
体罰にしろ、こうしたエホパの証人」以外の人との繋(つな)がりを切る教義は、果たして人々を正しく導く教えと言えるのだろうか。
また、『しんぶん赤旗』の取材に対する「エホバの証人」の対応は
「コメントを控えさせていただく」
という、木で鼻を括(くく)ったようなものだったようだが、これでは "一部の親が独自にやったこと" と信者を切って捨てたに等しく、 教団としての指導責任・監監督責任を完全に放棄したようなもの。
加えて、自らが行なってきた体罰推奨の教育・指導に対して“反省も謝罪もしない ”と言っているに等しいことになる。
まことにもって不誠実極まりない教団といえよう。
「エホバの証人」の実態は、信者を様々な制約下におき、「エホバの証人」の杜撰(ずさん)な教理に縛(しば)り付け、特に未来ある子供たちの人権をも踏みこじり、時には身心を痛めつけている宗教団体と言える。
”愛”を説きながらも、多くの家庭崩壊・虐待をもたらす「エホバの証人」の教えは、破壊的なカルト教団としての条件を満たしていると言えるだろう。
「エホバの証人」の影響で心身共に傷を負った人々が、一日も早く正法に縁し、心から大白法受持による大功徳に浴して生活ができるように、私たちの折伏弘通の使命は重要だ。
(慧妙令和二年 七月一日号)
その結果発生した児童虐待(ぎゃくたい)事件
前回は、一般的な社会生活に支障をきたす程の教えを説く、新興宗教団体・「エホバの証人」(ものみの塔聖書冊子教会)について、特に幼い少年の命が失われた事件を取り上げて、その常軌を逸(いっ)した教義を紹介し、邪教たる所以(ゆえん)について述べた。
今回も「エホバの証人」の教え故(ゆえ)の、現実生活や社会の中で摩擦を生じた事例を紹介して、教団の実態を衝(つ)いていきたい。
さて、「エホバの証人」が明確に禁止していること、あるいはふさわしくないとして、遠回しに禁止している事項は、じつに多くある。
その一端を示せば、前回紹介した輸血をはじめ、献血・血を含むものを食べること・大学に行くこと・正社員になること・国歌斉唱・剣道や柔道などの武術・騎馬戦・誕生日・節分や七夕などの行事参加・警察官や自衛隊員になること・「エホバの証人」を脱会した人(家族であっても)と交友すること・戦いや恋愛ものの漫画や映画を観ること・先祖崇拝・選挙投票の禁止など、多技(たき)にわたる。この他の、例えば喫煙や自殺が禁止であることは世間一般にも理解できると思うが、右に挙げたような禁止事項 (ふさわしくないといわれる事項)は、私たちが生活する上で大小さまざまな支障をきたすものだろう。特に、多感な時期である学校生活において、こうした様々な制約があると友達ができにくくなり、コミュニケーションもうまくとれなくなるのは、 当然のことといえる。
また、大学に行くことや正社員になることをふさわしくないとする理由は、そうしたことよりも伝道活動、 すなわち「エホバの証人」の布教を優先しろ、ということらしい。
まさしく非道徳的な教え、としか言いようがない。実際、インターネットを閲覧してみると、「エホバの証人」に入会し、一般常識を外れた制約下に置かれた人や、「エホバの証人」信者の二世として生まれた人の、異常な体験談が数多くアップされている。そのなかでも、「エホバの証人」信者二世による体験談に多いのが「体罰」である。
それらの体験談等によると、「エホバの証人」は一九六四年以降、信者の子どもたちに対し、鞭(むち)や鞭に類する物などを用いてて行なう「体罰」を推奨(すいしょう)してきたという。
この体罰は、子供の様(しつけ)という大義名分によるもので、「エホバの証人」が開催する大会や集会の講演などでは、体罰は子供の命を救うもの、といった趣旨の指導があったという。
さらには、「エホバの証人」の集会が開かれる王国会館(※ 「エホバの証人」が集会場所として使用する施設の名)には“こらしめ”用の部屋がある、との証言が多く見られる。
この”こらしめ”とは、躾の名目で行なわれる「体罰」を指しているようだ。
そうした、「エホバの証人」信者による体罰の事例が、教団内部で問題になっている、と思わせるプログ記事もある。
それは二〇一六年に、関西地方で発生した事例のようだが、その内容をかいつまんで紹介すると、とある女性宅を訪問した女性信者が連れていた女児の様子を不審に思った女性が、女性信者の隙を窺(うかが)って女児の体を調べて見ると背中に虐待痕(ぎゃくたいこん)があったので、警察に連絡して保護してもらった、という。
その事実を、当該ブログのブログ主である男性信者に伝えると、男性信者はその女性信者が所属すると思われる組織の幹部に”このような問題が起きている”と善処を求めた。
するとその幹部は、女児のことを心配して男性信者に話をした女性宅をいきなり訪問。
”余計なことをするな”
と釘を刺した、というのである。
とはいえ、現在の「エホバの証人」の公式サイトや配布冊子に、体罰を推奨するような記述が見られるわけではない。
また、前述したような元信者の訴えを否定する内容のネット投稿が数多くなされてもいる。
しかし、かつて実際に起きた児童虐待死事件と、事件に対する教団・幹部の深い関わりが、動かし難(がた)い事実として『しんぶん赤旗』(一九九四年八月八日付)に報じられている。
その事件と言うのは、一九九三年十一月、四歳の男児が両親の体罰により死亡した児童虐待事件ー
具体的には、過食症を患(わずら)っていた男児が、夕食を無断で食べ散らかしたため、躾として父親が足で蹴(け)り、ビニールホースを鞭がわりにして尻(しり)や顔面を殴り、裸にした
上で水を浴びせ、一晩中外に放置して凍死させた、という事件である。
しかして、この躾と称した体罰が行われた背景には「エホバの証人」の教義と、夫婦が所属していた会衆(※地区組織)の長老(※指導・監督する立場の信者)夫婦の指導があったという。
この事件を傍聴(ぼうちょう)した『しんぶん赤旗』の記者は
「裁判を傍聴し、関係者の話を聞いて強く感じたのは、やはり『信仰』の重み。体罰によるしつけが、<『過食』というものに関する無知に加えて、夫婦が当時信仰していた宗教と深く関連していた>(弁護人最終弁論)からです。
すべて、ものみの塔の教義と、二人が所属していた会衆の長老夫婦の指導によるものでした。
ものみの塔は、子育てを『訓練』と位置づけ、『体罰は子供の命を救う』『細棒をもってあなたは彼をたたくべき』(教理解説書)と教えます。
おしりを打つためのムチ棒は、長老夫婦から渡されました。
ムチ棒のかわりにビニールホースを使ってもよいことや、食事を制限したり、閉じ込めたり、しめ出したりするのも同じ。すべて『少しの間家族から仲間はずれにするのは、おしりをたたくよりも効果的』(前掲書)などという教理にもとづく助言でした。しつけを急がねばならないという事情もありました。
ハルマゲドンという、この世の終わりを告げる最終戦争が迫(せま)っている。その後にくる神の楽園に生き残るにはエホバの証人として神の律法を守っておかねばならない。
子どもを正しく育てるのも、その一つだからです。『悠長 に構える時間はない。緊急を要することだと教えられた』と、夫は証言しています」と記している。
「エホバの証人」では「エホバの証人」以外の人々はサタン (悪魔)の支配下にあるから深く交わってはいけないという教えがあり、それゆえ夫婦は世間一般にありふれた悩み相談や助言を受ける機会も閉ざされていたとも言え、この事件はすべてにおいて、「エホパの証人」の教義ゆえの結果であると言えよう。
体罰にしろ、こうしたエホパの証人」以外の人との繋(つな)がりを切る教義は、果たして人々を正しく導く教えと言えるのだろうか。
また、『しんぶん赤旗』の取材に対する「エホバの証人」の対応は
「コメントを控えさせていただく」
という、木で鼻を括(くく)ったようなものだったようだが、これでは "一部の親が独自にやったこと" と信者を切って捨てたに等しく、 教団としての指導責任・監監督責任を完全に放棄したようなもの。
加えて、自らが行なってきた体罰推奨の教育・指導に対して“反省も謝罪もしない ”と言っているに等しいことになる。
まことにもって不誠実極まりない教団といえよう。
「エホバの証人」の実態は、信者を様々な制約下におき、「エホバの証人」の杜撰(ずさん)な教理に縛(しば)り付け、特に未来ある子供たちの人権をも踏みこじり、時には身心を痛めつけている宗教団体と言える。
”愛”を説きながらも、多くの家庭崩壊・虐待をもたらす「エホバの証人」の教えは、破壊的なカルト教団としての条件を満たしていると言えるだろう。
「エホバの証人」の影響で心身共に傷を負った人々が、一日も早く正法に縁し、心から大白法受持による大功徳に浴して生活ができるように、私たちの折伏弘通の使命は重要だ。
(慧妙令和二年 七月一日号)
児童虐待死事件を取り上げた『しんぶん赤旗』'1994年8月8日付)の記事