分派の原因は教祖の人間性にあった!?
根本原因は因果をい無視した教義に
霊友会は、昭和五年、久保角太郎(一八九二~一九四四)が開いた、在家主義の法華経系新宗教である。
霊友会の歴史を紐(ひも)解くと、激しいまでの分派・独立の連続があった。
前回、大まかに分裂の歴史を紹介したが、特に昭和十九年十一月に角太郎が死去した後、会長の小谷喜美が教団の全権を握ってからは、分裂にいっそう拍車がかかった。
それは、教団全体の問題というよりも、主に会長·小谷喜美個人による非行や事件が多かったからである。
今回は、今や霊友会が、けっして自らの歴史として触れることのない、数々の騒動を見ていこうと思う。
まず、昭和二十四年、霊友会本部が占領軍の捜索を受けると、なんと本部から金塊とコカインが発見、押収され、教団内に衝撃が走った。
また、翌年には、会長。小谷喜美が脱税容疑で国税庁の家宅捜査を受け、ここで麻薬が発見されたことから、所持していた喜美は検挙された。
これらの事件によって、教団幹部や会員の不満が一気に噴き出した。
不祥事はそれだけで終わらなかった。 さらに同二十八年には、会長小谷喜美が、赤い羽根募金百十万円の横領、闇ドル入手、賄賂(わいろ) などの容疑で、またも検挙されのである。
会長は、ほどなく釈放されるも、こうしたスキャンダルの続発に霊友会への社会の批判が集中した。
また、教団内では一連の事件を契機に、会長。教団に嫌気が差した有力支部長が相次いで離脱し、それに従った脱会者も多く、独立騒動が大量発生したのである。
このような事件が続発したのは、ひとえに、会長職に就(つ)く小谷喜美の宗教者にあるまじき道徳心の欠如からきたもの、と言える。
元本部職員が、昭和二十六年三月二十日、警視庁刑事部捜査第二課長に提出した答申書には、次のような小谷喜美の非行が綴(つづ)られていたという。
●不始末をした女中にヒステリーを起こし、昭和二十二年一月の極寒中、庭の木の下に夜通し立たせていた
●女中が差し出した膳の魚の頭が少しくずれていたら、たちまちに潤痛(かんしゃく)を起こして膳をひっくり返した。 そのため、
台所には壊れた瀬戸物が高く積まれていた
●会員 (支部長級)より集まった会費の一部を会長に届けなければ機嫌が悪く、その他、過去帳 ・法名等に対する莫大な金額を、会計係に取り扱わせず、自らの
意見で左右し、湯水のごとく使っていた
●気に入らなければ、いかなる人であっても「馬鹿野郎」「たぬき」「むじな」等と罵倒 (ばとう)し、打つ蹴 (け) るを、平気で行な
っていた
●五人の女中を使い、朝から香水風呂に入り、料理屋から常に食事を取り寄せ、百三十万円のダイヤ入り指輪を三本はめて、女王のご
とく妄信者の上に君臨した等々。
答申書の内容がすべて事実かどうかはともかく、この書類が警視庁に提出された昭和二十六年といえば、教団から分派・独立が続出した時期である。
小谷喜美が会長に就任してから脱会者の数が加速したことを踏まえるならば小谷が金に貪欲で、品行が悪く、そのために小谷の指導に対する幹部の反発が強まっていた、と見て、間違いなさそうである。
次いで、小谷喜美が昭和四十六年二月に死去すると、その後は久保角太郎の次男・久保継成が二代会長に就任した。
久保継成は若者をターゲットにした「インナートリップ (自己の内面世界を見つめ直すの意味)」というキャッチフレーズのもと、若者などに信者を広げた。
これは大きくマスメディアにも取り上げられ、世の人々が持つ、従来の霊友会へのマイナスイメージを払拭 (ふっしょく) するのに役立ったという。
しかし、二代会長も、上述した小谷喜美による事件の数々を間近で見ていたにもかかわらず、自らのスキャンダルによって、またも教団内の分裂を招く。しかして、前回、紹介したように、二代会長·久保継成は、平成八年、自身が会長職に復帰する旨の宣言を一方的に発表するも教団幹部らに受け入れられず、 失脚した。
その後、霊友会は、教団幹部と二代会長支持派との分裂状態となった。
そして、その紛争の過程で、継成が既婚者でありながら、 独身女性との間に子供をもうけていた、というスキャンダルが暴露(ばくろ) された。
結局、久保継成とその支持グループは霊友会から追放され完全に独立することになり、この時の分裂験動でも多くの会員が脱会した。
以上、霊友会における分裂の歴史のうち、主な事件やスキャンダルを紹介した。結局のところ、霊友会の激しいまでの分裂の歴史は、会長職に就いた小谷喜美や久保継成の行状、そして、それをもたらした霊友会の信仰そのものに原因があった。 幹部や会員が不信に陥り、また嫌気が差したのも、当然と言えば当然であろう。
最後に、霊友会の教義を破折しておきたい。
霊友会では、先祖供養の重要性を説く。 会員の家庭にあっては、先祖に対してまとめて付けた 「総戒名」なるものを本尊として祀(まつ)る。
そして、その本尊に「青経巻」と呼ばれる経本『南無妙法蓮華経 朝夕のおつとめ』に記載される法華三部経(無量義経・法華経・普賢経)の抄録と、先祖供養のための「回向唱」と「祈願唱」を唱える。
これにより、先祖も自身も悪因縁を断ち切り、霊の加護を受けて、家族の幸福と国家の安康が得られる、と説くのである。
だが、そもそも先祖といっても、我々と同じ人生の苦悩を受けて生きた人間であり、凡夫であることに変わりはない。 死ぬことで悟りが得られたり、子孫を守護したり、 苦悩から救ってくれることもできない存在である。
したがって、先祖を信仰の対境・本尊として祀り、祈願や礼拝の対象とすること自体、因果の道理を無視した、大いなる誤りである。
霊友会は公式サイトなどで、上述してきた会長。教団の事件やスキャンダルによる分裂の歴史をひた隠しにしているが、その一方で
「人のために行動するMyおせっかい」なるものを推進して、巧みに「人のため」「人が人を元気にする」「人と人との関わりを大切に」
などと演出して、世の人々を欺(あざむ)いている。
因果の道理を無視した、霊友会の教義・本尊で悪因縁が断ち切れるはずはないのだから、その偽善の仮面も必ずや剥(は)がれ落ちるだろう。
また、霊友会の会員が、人のためだと思って行動したとしても、それは正しい信仰に基づくものでないため、人のためにならないばかりか、かえって相手に不幸を招く、悪縁を結ぶことになる。
よって我々は、霊友会の全会員に、分裂の史実を知らしめ、邪説を破折して、一日も早く救っていくことが大切である。
(慧妙 令和四年四月一日)
根本原因は因果をい無視した教義に
霊友会は、昭和五年、久保角太郎(一八九二~一九四四)が開いた、在家主義の法華経系新宗教である。
霊友会の歴史を紐(ひも)解くと、激しいまでの分派・独立の連続があった。
前回、大まかに分裂の歴史を紹介したが、特に昭和十九年十一月に角太郎が死去した後、会長の小谷喜美が教団の全権を握ってからは、分裂にいっそう拍車がかかった。
それは、教団全体の問題というよりも、主に会長·小谷喜美個人による非行や事件が多かったからである。
今回は、今や霊友会が、けっして自らの歴史として触れることのない、数々の騒動を見ていこうと思う。
まず、昭和二十四年、霊友会本部が占領軍の捜索を受けると、なんと本部から金塊とコカインが発見、押収され、教団内に衝撃が走った。
また、翌年には、会長。小谷喜美が脱税容疑で国税庁の家宅捜査を受け、ここで麻薬が発見されたことから、所持していた喜美は検挙された。
これらの事件によって、教団幹部や会員の不満が一気に噴き出した。
不祥事はそれだけで終わらなかった。 さらに同二十八年には、会長小谷喜美が、赤い羽根募金百十万円の横領、闇ドル入手、賄賂(わいろ) などの容疑で、またも検挙されのである。
会長は、ほどなく釈放されるも、こうしたスキャンダルの続発に霊友会への社会の批判が集中した。
また、教団内では一連の事件を契機に、会長。教団に嫌気が差した有力支部長が相次いで離脱し、それに従った脱会者も多く、独立騒動が大量発生したのである。
このような事件が続発したのは、ひとえに、会長職に就(つ)く小谷喜美の宗教者にあるまじき道徳心の欠如からきたもの、と言える。
元本部職員が、昭和二十六年三月二十日、警視庁刑事部捜査第二課長に提出した答申書には、次のような小谷喜美の非行が綴(つづ)られていたという。
●不始末をした女中にヒステリーを起こし、昭和二十二年一月の極寒中、庭の木の下に夜通し立たせていた
●女中が差し出した膳の魚の頭が少しくずれていたら、たちまちに潤痛(かんしゃく)を起こして膳をひっくり返した。 そのため、
台所には壊れた瀬戸物が高く積まれていた
●会員 (支部長級)より集まった会費の一部を会長に届けなければ機嫌が悪く、その他、過去帳 ・法名等に対する莫大な金額を、会計係に取り扱わせず、自らの
意見で左右し、湯水のごとく使っていた
●気に入らなければ、いかなる人であっても「馬鹿野郎」「たぬき」「むじな」等と罵倒 (ばとう)し、打つ蹴 (け) るを、平気で行な
っていた
●五人の女中を使い、朝から香水風呂に入り、料理屋から常に食事を取り寄せ、百三十万円のダイヤ入り指輪を三本はめて、女王のご
とく妄信者の上に君臨した等々。
答申書の内容がすべて事実かどうかはともかく、この書類が警視庁に提出された昭和二十六年といえば、教団から分派・独立が続出した時期である。
小谷喜美が会長に就任してから脱会者の数が加速したことを踏まえるならば小谷が金に貪欲で、品行が悪く、そのために小谷の指導に対する幹部の反発が強まっていた、と見て、間違いなさそうである。
次いで、小谷喜美が昭和四十六年二月に死去すると、その後は久保角太郎の次男・久保継成が二代会長に就任した。
久保継成は若者をターゲットにした「インナートリップ (自己の内面世界を見つめ直すの意味)」というキャッチフレーズのもと、若者などに信者を広げた。
これは大きくマスメディアにも取り上げられ、世の人々が持つ、従来の霊友会へのマイナスイメージを払拭 (ふっしょく) するのに役立ったという。
しかし、二代会長も、上述した小谷喜美による事件の数々を間近で見ていたにもかかわらず、自らのスキャンダルによって、またも教団内の分裂を招く。しかして、前回、紹介したように、二代会長·久保継成は、平成八年、自身が会長職に復帰する旨の宣言を一方的に発表するも教団幹部らに受け入れられず、 失脚した。
その後、霊友会は、教団幹部と二代会長支持派との分裂状態となった。
そして、その紛争の過程で、継成が既婚者でありながら、 独身女性との間に子供をもうけていた、というスキャンダルが暴露(ばくろ) された。
結局、久保継成とその支持グループは霊友会から追放され完全に独立することになり、この時の分裂験動でも多くの会員が脱会した。
以上、霊友会における分裂の歴史のうち、主な事件やスキャンダルを紹介した。結局のところ、霊友会の激しいまでの分裂の歴史は、会長職に就いた小谷喜美や久保継成の行状、そして、それをもたらした霊友会の信仰そのものに原因があった。 幹部や会員が不信に陥り、また嫌気が差したのも、当然と言えば当然であろう。
最後に、霊友会の教義を破折しておきたい。
霊友会では、先祖供養の重要性を説く。 会員の家庭にあっては、先祖に対してまとめて付けた 「総戒名」なるものを本尊として祀(まつ)る。
そして、その本尊に「青経巻」と呼ばれる経本『南無妙法蓮華経 朝夕のおつとめ』に記載される法華三部経(無量義経・法華経・普賢経)の抄録と、先祖供養のための「回向唱」と「祈願唱」を唱える。
これにより、先祖も自身も悪因縁を断ち切り、霊の加護を受けて、家族の幸福と国家の安康が得られる、と説くのである。
だが、そもそも先祖といっても、我々と同じ人生の苦悩を受けて生きた人間であり、凡夫であることに変わりはない。 死ぬことで悟りが得られたり、子孫を守護したり、 苦悩から救ってくれることもできない存在である。
したがって、先祖を信仰の対境・本尊として祀り、祈願や礼拝の対象とすること自体、因果の道理を無視した、大いなる誤りである。
霊友会は公式サイトなどで、上述してきた会長。教団の事件やスキャンダルによる分裂の歴史をひた隠しにしているが、その一方で
「人のために行動するMyおせっかい」なるものを推進して、巧みに「人のため」「人が人を元気にする」「人と人との関わりを大切に」
などと演出して、世の人々を欺(あざむ)いている。
因果の道理を無視した、霊友会の教義・本尊で悪因縁が断ち切れるはずはないのだから、その偽善の仮面も必ずや剥(は)がれ落ちるだろう。
また、霊友会の会員が、人のためだと思って行動したとしても、それは正しい信仰に基づくものでないため、人のためにならないばかりか、かえって相手に不幸を招く、悪縁を結ぶことになる。
よって我々は、霊友会の全会員に、分裂の史実を知らしめ、邪説を破折して、一日も早く救っていくことが大切である。
(慧妙 令和四年四月一日)
分派独立が相次いだ霊友会だが、その根本原因は因果を無視した教義にある。