ちょっとしたブーム
「お祓(はら)い」と言えば年配者が行うものかと思いきや、昨今はそうでもないようだ。
インターネット上に、ある人気歌手が、三月から続いていた原因不明の咳が「お祓い」で止まった。
そうかと思えば「かかりつけ」の寺社や霊媒師を持つ一般女性などもいて、ちょっとしたブームになっている。
霊が悪さをする?
「お祓い」についてインターネットで検索してみると、あるサイトに何やら不吉な文字が躍っていた。
「雨の日や雲(タマ)がどんよりとしていて、異様な寒さで嫌な悪寒(おかん)を感じたら、息の出来ない『何か』が近づいて
いるのかもしれません」
何とも息をのむ怖さではないか。この迫りくる「何か」とは一体・・・。
その正体には四種あるそうだ。
一つ目は「低級霊」で、これに取り憑(つ)かれると精神的に落ち込みやすくなり、頭や肩が重くなるなど症状が出る。
二つ目は「動物霊」で、自分のことしか考えない行動を取るようになり、イライラしたり、乱暴的になったりする。
三つ目は「悪霊」。これに取り憑かれると部屋の中にドブや焦げたような悪臭が漂(ただよ)い、自分自身にもその悪臭が付く。
四つ目は「生霊」で、これが取り憑くとよく眠れず、疲れが取れない状態になり、何をやってもうまくいかないことが多くなる。
そして、これらの霊を自分で祓う方法も紹介されている。
①自分を強く持つ。②部屋を掃除する③塩で祓う④水で手を洗う。⑤水晶を使う。⑥お香を焚(た)く。⑦音叉(おんさ)で空気を
清める。⑧神社に参拝をする。⑨念じる・唱える。
そして自分では手に負えない場合は、霊感を使いこなせる人に相談をするのが一番であると締め括(くく)られていた。
因果の道理を弁(わきま)えよう
何やら根拠に乏(とぼ)しく、説得力に欠ける内容ではあるが、要するに自分の身の上に起こる悪い出来事は、すべて「霊」の
仕業であるから、それを祓わなければいけないというのである。
しかし、三世常住の生命の実相を説き明かす真の仏法では、三世の生命と色心は一如であり、よって自分の周りで起こる不幸な出来事は「霊」によってもたらさえるのではなく、自らの心身両面にわたる行為の因果によって起こるものであると説く。
今日のように世の中が社会不安となったり、不況になってくると、霊媒師や占い師などの所に相談に行く人が多くなるが、日蓮大聖人は『聖愚門答抄』の中で通力等をもって超自然現象を現じてみせるような者、霊媒師のことを
「未だ仏法の是非を知らず、因果の道理をも弁えない者」(御書 三九三㌻)
と破折されている。
さらに、その邪師を信頼し、盲信(もうしん)する人に対しては『星名五郎太郎殿御返事』の中で、
「霊媒等を信ずる人々は、外道を信じているようなもので、実に恐ろしいことであり、これらの邪師にはけっして近づいてはいけない(取意)」(御書 三六六㌻)
と厳しく誡められているのである。
よって、「霊」が独立した形をもって、人に災いをもたらすなどの霊魂説は、真実の生命論とかけ離れた迷信であることを知るべきであり、因果の道理を無視して、いくら「お祓い」をしてみても、そこに真実の解決を見出すことはできようはずもない。
ちなみに大聖人の御書中にある「悪霊」「幽霊」等の語は、死者の生命を指す言葉として使用されたものであり、ここにいう俗信のそれとは全く別の意義であることを付け加えておく。
「理即但妄の凡夫の為の観心は、余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり」(同 一六八〇㌻)
と仰せのように、末法に生きる私たちが真実の幸福をつかむためには、お祓いなどの余事を交えず、「余念なく南無妙法蓮華経と唱えることが肝要である」と大聖人が教えられていることを銘記しよう。
(大白法 第九六七号 平成二十九年十月一日)
「お祓(はら)い」と言えば年配者が行うものかと思いきや、昨今はそうでもないようだ。
インターネット上に、ある人気歌手が、三月から続いていた原因不明の咳が「お祓い」で止まった。
そうかと思えば「かかりつけ」の寺社や霊媒師を持つ一般女性などもいて、ちょっとしたブームになっている。
霊が悪さをする?
「お祓い」についてインターネットで検索してみると、あるサイトに何やら不吉な文字が躍っていた。
「雨の日や雲(タマ)がどんよりとしていて、異様な寒さで嫌な悪寒(おかん)を感じたら、息の出来ない『何か』が近づいて
いるのかもしれません」
何とも息をのむ怖さではないか。この迫りくる「何か」とは一体・・・。
その正体には四種あるそうだ。
一つ目は「低級霊」で、これに取り憑(つ)かれると精神的に落ち込みやすくなり、頭や肩が重くなるなど症状が出る。
二つ目は「動物霊」で、自分のことしか考えない行動を取るようになり、イライラしたり、乱暴的になったりする。
三つ目は「悪霊」。これに取り憑かれると部屋の中にドブや焦げたような悪臭が漂(ただよ)い、自分自身にもその悪臭が付く。
四つ目は「生霊」で、これが取り憑くとよく眠れず、疲れが取れない状態になり、何をやってもうまくいかないことが多くなる。
そして、これらの霊を自分で祓う方法も紹介されている。
①自分を強く持つ。②部屋を掃除する③塩で祓う④水で手を洗う。⑤水晶を使う。⑥お香を焚(た)く。⑦音叉(おんさ)で空気を
清める。⑧神社に参拝をする。⑨念じる・唱える。
そして自分では手に負えない場合は、霊感を使いこなせる人に相談をするのが一番であると締め括(くく)られていた。
因果の道理を弁(わきま)えよう
何やら根拠に乏(とぼ)しく、説得力に欠ける内容ではあるが、要するに自分の身の上に起こる悪い出来事は、すべて「霊」の
仕業であるから、それを祓わなければいけないというのである。
しかし、三世常住の生命の実相を説き明かす真の仏法では、三世の生命と色心は一如であり、よって自分の周りで起こる不幸な出来事は「霊」によってもたらさえるのではなく、自らの心身両面にわたる行為の因果によって起こるものであると説く。
今日のように世の中が社会不安となったり、不況になってくると、霊媒師や占い師などの所に相談に行く人が多くなるが、日蓮大聖人は『聖愚門答抄』の中で通力等をもって超自然現象を現じてみせるような者、霊媒師のことを
「未だ仏法の是非を知らず、因果の道理をも弁えない者」(御書 三九三㌻)
と破折されている。
さらに、その邪師を信頼し、盲信(もうしん)する人に対しては『星名五郎太郎殿御返事』の中で、
「霊媒等を信ずる人々は、外道を信じているようなもので、実に恐ろしいことであり、これらの邪師にはけっして近づいてはいけない(取意)」(御書 三六六㌻)
と厳しく誡められているのである。
よって、「霊」が独立した形をもって、人に災いをもたらすなどの霊魂説は、真実の生命論とかけ離れた迷信であることを知るべきであり、因果の道理を無視して、いくら「お祓い」をしてみても、そこに真実の解決を見出すことはできようはずもない。
ちなみに大聖人の御書中にある「悪霊」「幽霊」等の語は、死者の生命を指す言葉として使用されたものであり、ここにいう俗信のそれとは全く別の意義であることを付け加えておく。
「理即但妄の凡夫の為の観心は、余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり」(同 一六八〇㌻)
と仰せのように、末法に生きる私たちが真実の幸福をつかむためには、お祓いなどの余事を交えず、「余念なく南無妙法蓮華経と唱えることが肝要である」と大聖人が教えられていることを銘記しよう。
(大白法 第九六七号 平成二十九年十月一日)