『教宣ハンドブック』では「極悪日顕七つの大罪」として、七項目にわたり日顕上人への誹謗中傷を書き殴っている。
その内容はどれも愚にも付かないものばかりで、破折の必要すら感じない。しかし、向後のため、逐一粉砕していく。
「相承詐称(そうじょうさしょう)の大罪」を破す!
第一に「相承詐称の大罪」として、「証拠も証人も、何一つ、誰一人いない日顕(上人)の血脈相承」などといっている。
だが、これまで日達上人から日顕上人への御相承に関しては、再三にわたり立証してきた。すなわち、第一に日達上人は日顕上人へ後を譲(ゆず) る御意志が明確にあったこと。また、それを示す証言が多数存在すること。第二に昭和五十四年五月に日顕上人が総監に任ぜられていること。
第三に御相承はまさしく昭和五十三年四月十五日に〝内付”という形で行なわれていること、などである。
よって「証拠も証人も何一つ、誰一人いない」などというのは全く当てはまらないのである。
ことに、日達上人の御身内や御親族などにあっては、周知の事実とされていたのだ。
続いて『ハンドブック』では、七月二十二日のドキュメントとして「午前七時〇分 密室で決まった次期法主」「午前十一時十分 ライバル早瀬日慈を騙(だま)し討ち」「午後八時五分 通夜の席で盗み取った六十七世」などという。
これとて、相承がなかったという前提で、悪意のある物語に仕立て上げているわけだが、その前提が崩れ、御相承があったことが確実となっている以上、何をか言わんや。
また、日顕上人はすでに内付を承(う)けられた御立場である、という大前提を忘れてはならない。その上で日顕上人は、他にも日達上人の御意志を伺っている者がいるか、確認するために菅野能化に尋ねられたのであり、さらに、長年総監として宗内を東(つか)られていた早瀬能化にも緊急重役会議に出席してもらって協議を重ね、その上で、御通夜の席上、葬儀委員長の椎名重役より御相承の発表があったのである。
慎重に慎重を重ねての、日顕上人の御相承に対するお取り扱いが伺い知れる、尊い御振る舞いではないか。
「破和合僧(はわごうぞう)の大罪」を破す!
第二に「破和合僧の大罪」として、日顕上人が「C作戦」なるもので池田大作の切り捨て主謀(しゅぼう)したという。 学会がこのことを立証する唯一の手がかりは、いわゆる「河辺メモ」である。
そもそもこのメモの示す会議の目的は「宗内の綱紀粛正(しゅくせい)」であり、「C作戦」などという言葉が会議の中で出たとしても、そのような協議はなされておらず、会議の結論としても綱紀粛正の徹底が決定されたのである。
日顕上人も
「今、ここではっきりと言っておきます。『C作戦』などということを、考えたこともなければ、実行したこともありません」
(『大日蓮』平成五年二月号六一頁)
と仰せであり、藤本総監(当時) も
「このような議論のなかで、あるいはCだとかC作戦だとかいうような言葉が出たかも知れません。しかし、それはあくまでも学会を正しく教導していくという、(中略)宗門側から積極的に切るとか、別れるという意味では、けっしてありません。(中略)ですから、何箇条かの内容を持つ、いわゆるC作戦といわれるようなものは、宗門方針としては、あとにも先にも全く存在しない」
『大白法』 平成六年一月十六日号)
と明言されている。
さらに、「長野地裁判決(善興寺明渡訴訟)」では
「なお、被告(※離脱僧)は、右対立状態に至った原因は、原告(※宗門)の画策実行したC作戦と呼ばれる作戦にある旨主張し、(中略)右主張に沿う部分があるが、これらはいずれも一方的な陳述の類(たぐい)であり、その内容も客観的
根拠に乏しく、また、これらを補強し得る的確な証拠もないから、右証拠から直ちに被告の右主張を認めることはできない」
(松本支部平成十一年四月二十一日)
の認定がなされているのである。
これらの証言により「C作戦」なるものが学会の言いがかりであることは明らかである。また、日顕上人が
「学会を切って二十万人が宗門に来ればいい」と言ったとするが、全く根拠のないデマである。日顕上人は当初より
「たとえ将来、本山の参詣者がなくなって、粥(かゆ)をすするようなことがあっても、私は正義は正義として立てていこう」
(『大日蓮』平成三年二月号九三頁)
と、胸中を仰せになり宗内僧侶の団結を訴えられたのである。
続いて『ハンドブック』は、光久能化(当時)が「今日の宗門の疲弊 (ひへい)を招いたのは学会を破門したことに原因がある」
と公然と批判した、としているが、これは後に能化御自身が謝罪なされた。また、これによる宗門における内紛などが皆無であることはもちろんである。
(慧妙 令和5年2月1日)
その内容はどれも愚にも付かないものばかりで、破折の必要すら感じない。しかし、向後のため、逐一粉砕していく。
「相承詐称(そうじょうさしょう)の大罪」を破す!
第一に「相承詐称の大罪」として、「証拠も証人も、何一つ、誰一人いない日顕(上人)の血脈相承」などといっている。
だが、これまで日達上人から日顕上人への御相承に関しては、再三にわたり立証してきた。すなわち、第一に日達上人は日顕上人へ後を譲(ゆず) る御意志が明確にあったこと。また、それを示す証言が多数存在すること。第二に昭和五十四年五月に日顕上人が総監に任ぜられていること。
第三に御相承はまさしく昭和五十三年四月十五日に〝内付”という形で行なわれていること、などである。
よって「証拠も証人も何一つ、誰一人いない」などというのは全く当てはまらないのである。
ことに、日達上人の御身内や御親族などにあっては、周知の事実とされていたのだ。
続いて『ハンドブック』では、七月二十二日のドキュメントとして「午前七時〇分 密室で決まった次期法主」「午前十一時十分 ライバル早瀬日慈を騙(だま)し討ち」「午後八時五分 通夜の席で盗み取った六十七世」などという。
これとて、相承がなかったという前提で、悪意のある物語に仕立て上げているわけだが、その前提が崩れ、御相承があったことが確実となっている以上、何をか言わんや。
また、日顕上人はすでに内付を承(う)けられた御立場である、という大前提を忘れてはならない。その上で日顕上人は、他にも日達上人の御意志を伺っている者がいるか、確認するために菅野能化に尋ねられたのであり、さらに、長年総監として宗内を東(つか)られていた早瀬能化にも緊急重役会議に出席してもらって協議を重ね、その上で、御通夜の席上、葬儀委員長の椎名重役より御相承の発表があったのである。
慎重に慎重を重ねての、日顕上人の御相承に対するお取り扱いが伺い知れる、尊い御振る舞いではないか。
「破和合僧(はわごうぞう)の大罪」を破す!
第二に「破和合僧の大罪」として、日顕上人が「C作戦」なるもので池田大作の切り捨て主謀(しゅぼう)したという。 学会がこのことを立証する唯一の手がかりは、いわゆる「河辺メモ」である。
そもそもこのメモの示す会議の目的は「宗内の綱紀粛正(しゅくせい)」であり、「C作戦」などという言葉が会議の中で出たとしても、そのような協議はなされておらず、会議の結論としても綱紀粛正の徹底が決定されたのである。
日顕上人も
「今、ここではっきりと言っておきます。『C作戦』などということを、考えたこともなければ、実行したこともありません」
(『大日蓮』平成五年二月号六一頁)
と仰せであり、藤本総監(当時) も
「このような議論のなかで、あるいはCだとかC作戦だとかいうような言葉が出たかも知れません。しかし、それはあくまでも学会を正しく教導していくという、(中略)宗門側から積極的に切るとか、別れるという意味では、けっしてありません。(中略)ですから、何箇条かの内容を持つ、いわゆるC作戦といわれるようなものは、宗門方針としては、あとにも先にも全く存在しない」
『大白法』 平成六年一月十六日号)
と明言されている。
さらに、「長野地裁判決(善興寺明渡訴訟)」では
「なお、被告(※離脱僧)は、右対立状態に至った原因は、原告(※宗門)の画策実行したC作戦と呼ばれる作戦にある旨主張し、(中略)右主張に沿う部分があるが、これらはいずれも一方的な陳述の類(たぐい)であり、その内容も客観的
根拠に乏しく、また、これらを補強し得る的確な証拠もないから、右証拠から直ちに被告の右主張を認めることはできない」
(松本支部平成十一年四月二十一日)
の認定がなされているのである。
これらの証言により「C作戦」なるものが学会の言いがかりであることは明らかである。また、日顕上人が
「学会を切って二十万人が宗門に来ればいい」と言ったとするが、全く根拠のないデマである。日顕上人は当初より
「たとえ将来、本山の参詣者がなくなって、粥(かゆ)をすするようなことがあっても、私は正義は正義として立てていこう」
(『大日蓮』平成三年二月号九三頁)
と、胸中を仰せになり宗内僧侶の団結を訴えられたのである。
続いて『ハンドブック』は、光久能化(当時)が「今日の宗門の疲弊 (ひへい)を招いたのは学会を破門したことに原因がある」
と公然と批判した、としているが、これは後に能化御自身が謝罪なされた。また、これによる宗門における内紛などが皆無であることはもちろんである。
(慧妙 令和5年2月1日)
「ハンドブック」には性懲りもなく、日顕上人への誹謗を繰り返すが中身はゼロ