因果の理(ことわり)を無視した親神(おやがみ)・天理王命(てんりおうのみこと)
その”聖地”がたびたび被害に遭(あ)う
教祖中山の妄想(もうそう)から全てが始まった。
日本で唯一、宗教団体名が市名になっているのが天理教である。
天理教の成立は新宗教のなかでも比較的古く、江戸時代末期の一八三八年、大和国山辺郡(現在の奈良県天理市) に暮らしていた中山みきが、神の啓示を受けたとして創始した宗派である。
現在、日本国内を中心に約一万六千の教会があり、信者数は二百万人を数え、海外八十カ国に広がっている。
そんな天理教に近年、衝撃の走る事件が起こった。
平成二十九年七月、天理教の聖地「ぢば(地場)」で、日没に行なわれる「夕づとめ」の時間帯に多くの信徒が集まる最中、一人の若い男が柵を乗り越えて突進し、その象徴の建造物たる「かんろだい(甘露台)」の塔を倒壊させたのだ。
教団側は、事件を起こした人物の詳細を明かしていないが、教団関係者の可能性が高く、信徒の間で大きな波紋を呼んだ。 天理教では、これまでも数度にわたり同様の事件が起こっており、それを考えると、教団に対する不平不満が引き金になっているものと思われる。
ともあれ、天理教における信仰の最も核心的な場所(ぢば=地場)が、たびたび被害に遭(あ)うということは、根深い問題を抱えている教団といえよう。
さて、その「ぢば(地場)」とはいかなるものか。
ここは、親神・天理王命(おやがみ・てんりおうのみこと)によって人間が創造された、とされる場所であり、天理教信徒にとっては最も崇拝すべき聖地なのである。
天理教本部エリアの中心部にあり、この「ぢば」を取り囲むように神殿と礼拝場が建設され、さらに全国各地の教会は、この「ぢば」の方角を向いて建てられ、信徒は各地から「ぢば」の方向に向かって祈りを捧げる。
次に、「ぢば」に関連の深い親神・天理王命について述べよう。
当教団の公式サイトによれば、
創造説話「元初まりの話」は、こう始まります。
『この世の元初まりは、泥の海でした。神様は、そのさまを味気なく思われ、人間を造り、その陽気ぐらしするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれました』
創造主である神様のお名前を、「天理王命」と申します。私たち人間を生み育ててくださった親なる神様という意味で、「親神様」とお呼びします。そして人間創造の際に、最初に宿し込まれた地点を「ぢば」と言います。
現在その地点には、人間創造の元なる地点の証拠として「かんろだい」が据(す)えられ、礼拝の目標としています。親神様は、この「ぢば」にお鎮(しず)まりくださっています>
<親神様は、人間が心を澄ままし、仲良くたすけ合いながら暮らす 「陽気ぐらし」世界を望んで、人間と自然界を創られました。 そして、教祖・中山みきの口を通して、その真実を伝え、私たち人間の真の幸福へとつながる確かな道を教えられたのです>
と解説している泥の海からこの世が始まり、神が「どじょう」から人間を創造した、などという非科学的な教えは、因果律に暗いキリスト教と同等の邪説である。よって、この親神がどこから生じ、どうやって神になったかは定かではない。
また、教祖みきが神懸かるまで、親神はいったい、どこで何をしていたのであろうか。 親神によって人類が創られて以来、 中山みきが神懸かるまでの人類には、長らく救済の道が示されてこなかったことになる。 鳴呼、親神とは何と非情な神であろうかー。このように天理教の信仰の対象は矛盾(むじゅん)撞着(どうちゃく)が甚だしい。
およそ、物事には全て原因があるから結果が存在するのであって、万物を造った神の始まりが説かれていなければ、それは道理が通らない邪義妄説に過ぎない。
だいたい、唯一絶対である信仰の対象物が何度も破壊され、そのたび、作り直されていること自体、人間の都合で作り上げられた偽物の神の証(あか)しといえよう。
結局、万物創造の親神は、中山みきが神懸かって現代で言えば精神病になって 発した妄想妄言の産物であり、 因果の道理に背外道の神に他ならない。
大聖人の
「諸宗は本尊にまどえり」(御書五五四頁)
との御金言のごとく、真実最高の本尊に迷う天理教には、人々を救う力などなく、それどころか不幸に陥(おとしい)れる元凶なのである。このような教団に謝(たぶらか)されている会員たちを折伏し、一刻も早く救済してまいろうではないか。
(慧妙 令和5年5月1日)
その”聖地”がたびたび被害に遭(あ)う
教祖中山の妄想(もうそう)から全てが始まった。
日本で唯一、宗教団体名が市名になっているのが天理教である。
天理教の成立は新宗教のなかでも比較的古く、江戸時代末期の一八三八年、大和国山辺郡(現在の奈良県天理市) に暮らしていた中山みきが、神の啓示を受けたとして創始した宗派である。
現在、日本国内を中心に約一万六千の教会があり、信者数は二百万人を数え、海外八十カ国に広がっている。
そんな天理教に近年、衝撃の走る事件が起こった。
平成二十九年七月、天理教の聖地「ぢば(地場)」で、日没に行なわれる「夕づとめ」の時間帯に多くの信徒が集まる最中、一人の若い男が柵を乗り越えて突進し、その象徴の建造物たる「かんろだい(甘露台)」の塔を倒壊させたのだ。
教団側は、事件を起こした人物の詳細を明かしていないが、教団関係者の可能性が高く、信徒の間で大きな波紋を呼んだ。 天理教では、これまでも数度にわたり同様の事件が起こっており、それを考えると、教団に対する不平不満が引き金になっているものと思われる。
ともあれ、天理教における信仰の最も核心的な場所(ぢば=地場)が、たびたび被害に遭(あ)うということは、根深い問題を抱えている教団といえよう。
さて、その「ぢば(地場)」とはいかなるものか。
ここは、親神・天理王命(おやがみ・てんりおうのみこと)によって人間が創造された、とされる場所であり、天理教信徒にとっては最も崇拝すべき聖地なのである。
天理教本部エリアの中心部にあり、この「ぢば」を取り囲むように神殿と礼拝場が建設され、さらに全国各地の教会は、この「ぢば」の方角を向いて建てられ、信徒は各地から「ぢば」の方向に向かって祈りを捧げる。
次に、「ぢば」に関連の深い親神・天理王命について述べよう。
当教団の公式サイトによれば、
創造説話「元初まりの話」は、こう始まります。
『この世の元初まりは、泥の海でした。神様は、そのさまを味気なく思われ、人間を造り、その陽気ぐらしするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれました』
創造主である神様のお名前を、「天理王命」と申します。私たち人間を生み育ててくださった親なる神様という意味で、「親神様」とお呼びします。そして人間創造の際に、最初に宿し込まれた地点を「ぢば」と言います。
現在その地点には、人間創造の元なる地点の証拠として「かんろだい」が据(す)えられ、礼拝の目標としています。親神様は、この「ぢば」にお鎮(しず)まりくださっています>
<親神様は、人間が心を澄ままし、仲良くたすけ合いながら暮らす 「陽気ぐらし」世界を望んで、人間と自然界を創られました。 そして、教祖・中山みきの口を通して、その真実を伝え、私たち人間の真の幸福へとつながる確かな道を教えられたのです>
と解説している泥の海からこの世が始まり、神が「どじょう」から人間を創造した、などという非科学的な教えは、因果律に暗いキリスト教と同等の邪説である。よって、この親神がどこから生じ、どうやって神になったかは定かではない。
また、教祖みきが神懸かるまで、親神はいったい、どこで何をしていたのであろうか。 親神によって人類が創られて以来、 中山みきが神懸かるまでの人類には、長らく救済の道が示されてこなかったことになる。 鳴呼、親神とは何と非情な神であろうかー。このように天理教の信仰の対象は矛盾(むじゅん)撞着(どうちゃく)が甚だしい。
およそ、物事には全て原因があるから結果が存在するのであって、万物を造った神の始まりが説かれていなければ、それは道理が通らない邪義妄説に過ぎない。
だいたい、唯一絶対である信仰の対象物が何度も破壊され、そのたび、作り直されていること自体、人間の都合で作り上げられた偽物の神の証(あか)しといえよう。
結局、万物創造の親神は、中山みきが神懸かって現代で言えば精神病になって 発した妄想妄言の産物であり、 因果の道理に背外道の神に他ならない。
大聖人の
「諸宗は本尊にまどえり」(御書五五四頁)
との御金言のごとく、真実最高の本尊に迷う天理教には、人々を救う力などなく、それどころか不幸に陥(おとしい)れる元凶なのである。このような教団に謝(たぶらか)されている会員たちを折伏し、一刻も早く救済してまいろうではないか。
(慧妙 令和5年5月1日)