◆デタラメな隆法の霊言
〇教団名を「幸福の科学」というが、大川隆法のいうことは多くの霊言集に明らかなように、当人がこの世にいないことをいいことに勝手にデタラメを並べただけのものであり、まったく
非科学的なものといわなければならない。
〇平成六年に隆法は、かつての霊言について、「真実そのものを述べたものではない」(新宗教教団辞典)といっており、霊言が真実ではないことを白状している。
〇次に出版した霊言集について、隆法は
「別に霊言集で問わなくとも、私が書いてもかまわないのですが、・・大川隆法の名前で文章を書き、発表しただけでは、世の人々がなかなか信じてくれません」
(新幸福の科学入門)
と告白しているように、これらは単にキリスト・釈迦・モーゼ・天照大神・道元・卑弥呼など多数の歴史人物たちを勝手に登場させ、自分の思いつきを書き並べたものに過ぎない。
〇隆法は釈尊になりすまし、「諸々の比丘、比丘尼たちよ、我はここに再誕す。我が再誕を喜べ、我が再誕にきづけ」などと述べているが、これが真実ならば、滅後末法の付嘱を説いた法華経の教説は嘘になる。
法華経が虚妄(きょもう)なのか、隆法が膨大妄想なのかを比べれば一目瞭然である。
また隆法は、「釈尊の教えは何百何千の法門があり、法華経のみが正しく、他の経典は真理を伝えていないという考えは、間違っております」などと言っているが、これは法華経の開経である無量義経の「四十余年 未顕真実」との経文に背く主張である。
〇隆法は『日蓮聖人の霊言』のなかで、
「相手の現状を千里眼と宿命通力で分析したあち、日蓮上人におうかがいを立て、霊言として回答を・・」
などと述べ「日蓮上人」を登場させているが、日蓮大聖人は『唱法華題目抄』に、
「魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」
(新編御書 二三三)
と仰せられ、末法において通力などを売り物にするのは、人々を誑(たぶら)かす魔の所業であると教示されている。
魔の権化である隆法が日蓮大聖人の教義を悪用することは言語道断というべきである。
〇隆法は『黄金の法』に、
「日蓮の他宗排撃は、真理流布に急であった面は評価できますが、他宗を正邪の邪としたのは、間違っております」
と述べて平然と大聖人を批判しているが、同書にはそれに引き続いて、「日蓮聖人は、現在、私の直接の守護霊役、あるいは、指導霊役を務めて下さっている関係上、ほぼ毎日、聖人とは話をしております」と述べている。
大聖人を否定してみたり持ち上げてみたり、隆法には論理に一貫性がなく分裂している。
また隆法の「太陽の法」に、
「いまから一千数百年前に、天台大師が、中国の天台山で一念三千を説いていたのですが、そのとき、霊天上界において、彼を指導していたのは、実はほかならぬこの私でした」
「私には、釈迦が菩提樹の下で開いた悟りの内容がどのようなものであったのかが、手にとるようにわかってしまいます」
などと述べているが、隆法の話の次元の低さからして一念三千の深儀を理解しているとはいい難い。
〇教団広報部は、一般宗教誌(『宗教勢力地図」)の取材に答えて、「奇蹟論」の中で、
「霊力そのものは悟りではありません。そのほとんどは、悪例憑依か、天狗・仙人など愛なき世界の現象です」
と述べている。まさに隆法の霊言は、悟りによるものではなく、悪霊憑依によるものといわなければならない。
(諸宗破折ガイド 339ページより) 幸福の科学を破す(破折偏(2))に続く
〇教団名を「幸福の科学」というが、大川隆法のいうことは多くの霊言集に明らかなように、当人がこの世にいないことをいいことに勝手にデタラメを並べただけのものであり、まったく
非科学的なものといわなければならない。
〇平成六年に隆法は、かつての霊言について、「真実そのものを述べたものではない」(新宗教教団辞典)といっており、霊言が真実ではないことを白状している。
〇次に出版した霊言集について、隆法は
「別に霊言集で問わなくとも、私が書いてもかまわないのですが、・・大川隆法の名前で文章を書き、発表しただけでは、世の人々がなかなか信じてくれません」
(新幸福の科学入門)
と告白しているように、これらは単にキリスト・釈迦・モーゼ・天照大神・道元・卑弥呼など多数の歴史人物たちを勝手に登場させ、自分の思いつきを書き並べたものに過ぎない。
〇隆法は釈尊になりすまし、「諸々の比丘、比丘尼たちよ、我はここに再誕す。我が再誕を喜べ、我が再誕にきづけ」などと述べているが、これが真実ならば、滅後末法の付嘱を説いた法華経の教説は嘘になる。
法華経が虚妄(きょもう)なのか、隆法が膨大妄想なのかを比べれば一目瞭然である。
また隆法は、「釈尊の教えは何百何千の法門があり、法華経のみが正しく、他の経典は真理を伝えていないという考えは、間違っております」などと言っているが、これは法華経の開経である無量義経の「四十余年 未顕真実」との経文に背く主張である。
〇隆法は『日蓮聖人の霊言』のなかで、
「相手の現状を千里眼と宿命通力で分析したあち、日蓮上人におうかがいを立て、霊言として回答を・・」
などと述べ「日蓮上人」を登場させているが、日蓮大聖人は『唱法華題目抄』に、
「魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」
(新編御書 二三三)
と仰せられ、末法において通力などを売り物にするのは、人々を誑(たぶら)かす魔の所業であると教示されている。
魔の権化である隆法が日蓮大聖人の教義を悪用することは言語道断というべきである。
〇隆法は『黄金の法』に、
「日蓮の他宗排撃は、真理流布に急であった面は評価できますが、他宗を正邪の邪としたのは、間違っております」
と述べて平然と大聖人を批判しているが、同書にはそれに引き続いて、「日蓮聖人は、現在、私の直接の守護霊役、あるいは、指導霊役を務めて下さっている関係上、ほぼ毎日、聖人とは話をしております」と述べている。
大聖人を否定してみたり持ち上げてみたり、隆法には論理に一貫性がなく分裂している。
また隆法の「太陽の法」に、
「いまから一千数百年前に、天台大師が、中国の天台山で一念三千を説いていたのですが、そのとき、霊天上界において、彼を指導していたのは、実はほかならぬこの私でした」
「私には、釈迦が菩提樹の下で開いた悟りの内容がどのようなものであったのかが、手にとるようにわかってしまいます」
などと述べているが、隆法の話の次元の低さからして一念三千の深儀を理解しているとはいい難い。
〇教団広報部は、一般宗教誌(『宗教勢力地図」)の取材に答えて、「奇蹟論」の中で、
「霊力そのものは悟りではありません。そのほとんどは、悪例憑依か、天狗・仙人など愛なき世界の現象です」
と述べている。まさに隆法の霊言は、悟りによるものではなく、悪霊憑依によるものといわなければならない。
(諸宗破折ガイド 339ページより) 幸福の科学を破す(破折偏(2))に続く