創価学会とはいかような集団であるか
巻頭部分から明白な独善性と御都合主義
理屈を並べようと所詮は日蓮系新興宗教
『創価学会教学要綱』が刊行された。この書がどのような意義や立ち位置であるかは、十二月十六日号『ここまできた創価学会』に原田会長の言葉をもって説明してきた。
今回より同書の内容に立ち入って、学会の教義を破折していく。
その前にもう一度、「発刊にあたって」から同書について示していくことにする。順を追って概略を示すならば、
① 創価学会とはいかような集団であるか
②同書の章ごとの説明
③創価学会がめざす指針、
といった項目分けができよう。
①創価学会とはいかような集団であるか、について
<創価学会は『法華経』に基づき誰もが幸福に生きるための法を説いた日蓮大聖人の教えを信奉する仏教団体です。 一九三〇年十一月の創立以来、初代会長・牧口常三郎先生 第二代会長・戸田城聖先生、第三代会長・池田大作先生の指導のもと、大聖人の教えを現代に展開・実践し、個人の人生や広範な社会に善なる価値を創造することを目指してきました。>
まず、学会は日蓮大聖人の教えを信奉する仏教団体であることを宣言している。そのうえで、 三代会長による指導により、大聖人の教えを現代に展開・実践しているとする。
まず、日蓮の御名を冠し、その教えを信奉するという仏教団体は、多く存在する。だが、大聖人の教えを正しく承継できているのは日蓮正宗だけであり、学会はこの本筋から離れている以上、他の門下、新興宗教と同じである。
さらに、三代会長の指導のもと、大聖人の教えを現代に展開・実践しているとするのだが、大聖人の教えは不変の教えであり、新たに現代に展開すべき何ものもない。続いて
〈創価学会は、一九九一年十一月二十八日、それまで外護していた日蓮正宗という教団から名実ともに独立しました。もとより創価学会は、一九五二年九月、戸田先生の時代に独自の宗教法人となりましたが、それ以降も、日蓮正宗の教義解釈を尊重し、日蓮正宗の興隆に最大に尽力してきました〉
と記し、なぜ学会が宗教法人を取得したか、という意義(当時、説明していた大義名分) は無視して、もともと別の団体なのだから別れて当然であるかのごとく、説明をしている。 その「独立しました」という言い方も、自分たちの側から手を切ったかのような表現であるが、実際は〝破門〟という重大な事態であって、それを何も気にせず「独立」と言ってのける神経に呆れさせられる。
その先を読み進むと、
<この三十年来、「御書(大聖人の著作)根本」「日蓮大聖人直結」の立場から、大聖人の仏法の本義に基づき、創価学会の
教学を形成してきました〉
として、御書根本、大聖人直結をテーマにした学会教学を練り上げてきた、と主張した上で、二〇一四年十一月に会則の教義条項改正を行ない、本門戒壇の大御本尊を切り捨てたことに触れ、その際に示した見解、すなわち
<「(日蓮正宗の教義解釈に大きな影響を与えた)日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺[出身]の法主が続き、疲弊した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある」(「聖教新聞」 二〇一五年一月三十日付)と明示〉
したことに対して、
<本書は、その課題に対する回答も含めて、現在の創価学会の教学の要綱をまとめたものです>
としている。
すなわちこの書は、一九九一年に破門されて以降、創価学会が三十年以上の年月をかけて練り上げた学会教学の要綱であって、その内容は、「破門」を「独立」と平然と言い換えられる独善性を持って、日寛上人の教学を自分達に都合よく取捨選択し、日蓮大聖人を「末法の御本仏」としつつも、
本門戒壇の大御本尊は「用いない」理由を述べた書、なのである。
以上のことから①創価学会とはいかような集団であるかを導き出すと、 創価学会とは、「日蓮大聖人の教えを信奉する」としながら、そこに会独自の論理を
ねじ込んだ新興宗教団体であって、「破門された」を「独立した」と言い換えるほど強い独善性を持ち、その独善性をもって、日蓮正宗の教義を都合よく取り込んだ集団、ということになろう。
(慧妙 令和六年 一月十六日号)
巻頭部分から明白な独善性と御都合主義
理屈を並べようと所詮は日蓮系新興宗教
『創価学会教学要綱』が刊行された。この書がどのような意義や立ち位置であるかは、十二月十六日号『ここまできた創価学会』に原田会長の言葉をもって説明してきた。
今回より同書の内容に立ち入って、学会の教義を破折していく。
その前にもう一度、「発刊にあたって」から同書について示していくことにする。順を追って概略を示すならば、
① 創価学会とはいかような集団であるか
②同書の章ごとの説明
③創価学会がめざす指針、
といった項目分けができよう。
①創価学会とはいかような集団であるか、について
<創価学会は『法華経』に基づき誰もが幸福に生きるための法を説いた日蓮大聖人の教えを信奉する仏教団体です。 一九三〇年十一月の創立以来、初代会長・牧口常三郎先生 第二代会長・戸田城聖先生、第三代会長・池田大作先生の指導のもと、大聖人の教えを現代に展開・実践し、個人の人生や広範な社会に善なる価値を創造することを目指してきました。>
まず、学会は日蓮大聖人の教えを信奉する仏教団体であることを宣言している。そのうえで、 三代会長による指導により、大聖人の教えを現代に展開・実践しているとする。
まず、日蓮の御名を冠し、その教えを信奉するという仏教団体は、多く存在する。だが、大聖人の教えを正しく承継できているのは日蓮正宗だけであり、学会はこの本筋から離れている以上、他の門下、新興宗教と同じである。
さらに、三代会長の指導のもと、大聖人の教えを現代に展開・実践しているとするのだが、大聖人の教えは不変の教えであり、新たに現代に展開すべき何ものもない。続いて
〈創価学会は、一九九一年十一月二十八日、それまで外護していた日蓮正宗という教団から名実ともに独立しました。もとより創価学会は、一九五二年九月、戸田先生の時代に独自の宗教法人となりましたが、それ以降も、日蓮正宗の教義解釈を尊重し、日蓮正宗の興隆に最大に尽力してきました〉
と記し、なぜ学会が宗教法人を取得したか、という意義(当時、説明していた大義名分) は無視して、もともと別の団体なのだから別れて当然であるかのごとく、説明をしている。 その「独立しました」という言い方も、自分たちの側から手を切ったかのような表現であるが、実際は〝破門〟という重大な事態であって、それを何も気にせず「独立」と言ってのける神経に呆れさせられる。
その先を読み進むと、
<この三十年来、「御書(大聖人の著作)根本」「日蓮大聖人直結」の立場から、大聖人の仏法の本義に基づき、創価学会の
教学を形成してきました〉
として、御書根本、大聖人直結をテーマにした学会教学を練り上げてきた、と主張した上で、二〇一四年十一月に会則の教義条項改正を行ない、本門戒壇の大御本尊を切り捨てたことに触れ、その際に示した見解、すなわち
<「(日蓮正宗の教義解釈に大きな影響を与えた)日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺[出身]の法主が続き、疲弊した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある」(「聖教新聞」 二〇一五年一月三十日付)と明示〉
したことに対して、
<本書は、その課題に対する回答も含めて、現在の創価学会の教学の要綱をまとめたものです>
としている。
すなわちこの書は、一九九一年に破門されて以降、創価学会が三十年以上の年月をかけて練り上げた学会教学の要綱であって、その内容は、「破門」を「独立」と平然と言い換えられる独善性を持って、日寛上人の教学を自分達に都合よく取捨選択し、日蓮大聖人を「末法の御本仏」としつつも、
本門戒壇の大御本尊は「用いない」理由を述べた書、なのである。
以上のことから①創価学会とはいかような集団であるかを導き出すと、 創価学会とは、「日蓮大聖人の教えを信奉する」としながら、そこに会独自の論理を
ねじ込んだ新興宗教団体であって、「破門された」を「独立した」と言い換えるほど強い独善性を持ち、その独善性をもって、日蓮正宗の教義を都合よく取り込んだ集団、ということになろう。
(慧妙 令和六年 一月十六日号)
創価学会教学要綱