日蓮正宗の信仰の根幹
いわゆる正信会は、財産分与を巡って法廷闘争を繰り広げて、大分裂した。
かつて、総本山第六十六世日達上人は、御指南された。
「大聖人の建立遊ばされた戒壇の大御本尊を中心として、三大秘法の中心の御本尊として、我々はこの一大秘法の御本尊を拝み、宗旨の三秘として、三大秘法を説くのであります。そこに、我(わ)が宗の宗旨というものがある」(大日蓮 三四二号)
分裂しようが、しまいが、正信会が、日蓮正宗の宗旨の根幹たる本門戒壇の大御本尊から離れていることには、何の変りもない。
任意団体正信会
従来の正信会組織(任意団体側)は、今まで通りに『継命』を発行している。
その本年六月一日付けには、五月二十日に金沢市で、第四十一回全国大会を開催したと報じている。
大会のテーマは「未来へつなぐ折伏下種を」だそうだ。
同議長・田村竜道は、次のように挨拶した。
「幸いにも私たちだけが、大石寺本来の正信に縁ができたのです。その有難さと喜びを噛みしめ、明日よりはまた共々に、正信覚醒運動に汗を流していただきたい」(該紙)
本門戒壇の大御本尊に縁せずして、どうして『大石寺本来の正信に縁ができた』と言えるのか。
こんな我意我見に「汗を流して」も、謗法の罪障が募(つの)るだけである。
宗教法人正信会
一方、任意団体から分裂した宗教法人正信会は、新たに『妙風』なる機関紙を出している。
その最新号(本年七月一日付)には、五月二十七日に、こちらは京都市内で、平成三十年度の全国大会を開催したことが載っている。
テーマは「志(こころざし)に生きる」。
同代表役員・川村泰円は、このように述べた。
「人間の成仏、幸せを祈られた宗祖の、そして二祖日興上人の私たちは弟子でありますから、その慈悲を決して忘れぬよう日々の信心に励んでまいりましょう」(該紙)
日蓮大聖人の正法正義の要諦は、本門戒壇の大御本尊に一切が納まるのだから、これを否定する者が語る「慈悲」など、全く実(じつ)のない空虚な単語である。
何が「末弟」だ。こちらも刮目(かつもく)して、日達上人の御指南を拝するがよかろう。
同じ穴の貉(むじな)
日達上人の厳正な弾劾(だんがい)を肝に銘ぜよ。
「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。
日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」
(大日蓮 三四二号)
任意団体側であれ、宗教法人側であれ、この御指南を何と心得るのだ。
所詮は「同じ穴の貉(むじな)」。双方共に、今や日蓮正宗とは無関係な者たちであり、広宣流布を語る資格など、毛頭ほどもないと知れ。
見下げた根性
これまで、正信会僧侶が盤踞(ばんきょ)していた寺院は、その者が死去した時、宗門へ返還されてきている。その際、寺院の重宝たる御本尊も返されてきた。
ところが、近年、宗門の目を掠(かす)め、当該寺院から御本尊類を勝手に持ち出す輩(やから)が出始めている。
まことにもって不届き千番。腐り果てた邪心、ここに極まれりと言えよう。
御本尊は、一大秘法の本門戒壇の大御本尊に連なってこそ功徳聚(じゅ)となる。その意義は、歴代法主上人に信伏随順し奉る正直な信行に存する。
大聖人は『経王殿御返事』に仰せである。
「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用ふる事なれ。鬼にかなぼうたるべし」(御書 六八五㌻)
「けなげ」な信心なき者が、いくら御本尊を拝そうとも、功徳は成就しない。
正信会僧侶よ。潔く『立正安国論』を拝せ。
「信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」(同 二五〇㌻)
(大白法 第九八八号 平成三十年九月一日)
いわゆる正信会は、財産分与を巡って法廷闘争を繰り広げて、大分裂した。
かつて、総本山第六十六世日達上人は、御指南された。
「大聖人の建立遊ばされた戒壇の大御本尊を中心として、三大秘法の中心の御本尊として、我々はこの一大秘法の御本尊を拝み、宗旨の三秘として、三大秘法を説くのであります。そこに、我(わ)が宗の宗旨というものがある」(大日蓮 三四二号)
分裂しようが、しまいが、正信会が、日蓮正宗の宗旨の根幹たる本門戒壇の大御本尊から離れていることには、何の変りもない。
任意団体正信会
従来の正信会組織(任意団体側)は、今まで通りに『継命』を発行している。
その本年六月一日付けには、五月二十日に金沢市で、第四十一回全国大会を開催したと報じている。
大会のテーマは「未来へつなぐ折伏下種を」だそうだ。
同議長・田村竜道は、次のように挨拶した。
「幸いにも私たちだけが、大石寺本来の正信に縁ができたのです。その有難さと喜びを噛みしめ、明日よりはまた共々に、正信覚醒運動に汗を流していただきたい」(該紙)
本門戒壇の大御本尊に縁せずして、どうして『大石寺本来の正信に縁ができた』と言えるのか。
こんな我意我見に「汗を流して」も、謗法の罪障が募(つの)るだけである。
宗教法人正信会
一方、任意団体から分裂した宗教法人正信会は、新たに『妙風』なる機関紙を出している。
その最新号(本年七月一日付)には、五月二十七日に、こちらは京都市内で、平成三十年度の全国大会を開催したことが載っている。
テーマは「志(こころざし)に生きる」。
同代表役員・川村泰円は、このように述べた。
「人間の成仏、幸せを祈られた宗祖の、そして二祖日興上人の私たちは弟子でありますから、その慈悲を決して忘れぬよう日々の信心に励んでまいりましょう」(該紙)
日蓮大聖人の正法正義の要諦は、本門戒壇の大御本尊に一切が納まるのだから、これを否定する者が語る「慈悲」など、全く実(じつ)のない空虚な単語である。
何が「末弟」だ。こちらも刮目(かつもく)して、日達上人の御指南を拝するがよかろう。
同じ穴の貉(むじな)
日達上人の厳正な弾劾(だんがい)を肝に銘ぜよ。
「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。
日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」
(大日蓮 三四二号)
任意団体側であれ、宗教法人側であれ、この御指南を何と心得るのだ。
所詮は「同じ穴の貉(むじな)」。双方共に、今や日蓮正宗とは無関係な者たちであり、広宣流布を語る資格など、毛頭ほどもないと知れ。
見下げた根性
これまで、正信会僧侶が盤踞(ばんきょ)していた寺院は、その者が死去した時、宗門へ返還されてきている。その際、寺院の重宝たる御本尊も返されてきた。
ところが、近年、宗門の目を掠(かす)め、当該寺院から御本尊類を勝手に持ち出す輩(やから)が出始めている。
まことにもって不届き千番。腐り果てた邪心、ここに極まれりと言えよう。
御本尊は、一大秘法の本門戒壇の大御本尊に連なってこそ功徳聚(じゅ)となる。その意義は、歴代法主上人に信伏随順し奉る正直な信行に存する。
大聖人は『経王殿御返事』に仰せである。
「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用ふる事なれ。鬼にかなぼうたるべし」(御書 六八五㌻)
「けなげ」な信心なき者が、いくら御本尊を拝そうとも、功徳は成就しない。
正信会僧侶よ。潔く『立正安国論』を拝せ。
「信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」(同 二五〇㌻)
(大白法 第九八八号 平成三十年九月一日)