「信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずること」
三代会長が口を揃(そろ)へて力説した信心の根本
三十年前の十一月二十八日に破門された創価学会は、その後、いかように変わってきたであろうか。今回は信仰の根幹である本尊について考える。
対境たる本尊が大事であることは、言うまでもない。本尊を抜きにして信仰を語ることは難しいであろう。
では、学会における本尊は、どのような捉えられ方をしていたのか。
学会の本尊の中心にあったのが本門戒壇の大御本尊であることは言うまでもない。これは日蓮正宗の信仰をするにあたり絶対的なものである。初代牧口常三郎氏と二代戸田城聖氏においても、日蓮正宗に入信していることから、根源の御本尊が本門戒壇の大御本尊であることは基本線である。
牧口氏は
「御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である」
(『牧口常三郎全集』一○巻一五一頁)
と、大御本尊を信じることが正しい信者と、はっきり指導している。
戸田氏は
「本尊論がまことに大事なところなんです。これが狂ってくると、一切が狂ってくる。 ただ、富士大石寺の文底深秘の大御本尊、これより他にはない。これが根本なのですよ」
(『大白蓮華』昭和三十四年四月号九頁)
「日大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を根本としたお教えでなくてはならない。この教えは、今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかにはないのである」(『戸田城聖全集』三巻八三頁)
と、本尊論が中心であること、さらには、大石寺の本門戒壇の大御本尊を根本とした教えでなくてはならないこと、他にはないと、とまで言っている。
さて、池田大作は何と指導していたか、を見てみる。
池田は
「日蓮正宗総本山大石寺におわします本門戒壇の大御本尊が、いっさいの根本である。 われわれの拝受したてまつる御本尊は、血脈付法の代々の御法主上人のみが、分身散体の法理からおしたためくださるのである」
(『広布と人生を語る』一巻一一二真)
と、分身散体の語を用い、本門戒壇の大御本尊が中心であることを述べていた。 また、
「信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである」(同前三巻一九八頁)
とも言っていた。池田自身の本尊論も、過去の会長の指導を基準にした、本門戒壇の大御本尊を根本としたものであった。
これらを見ても、学会の本尊論とは、本門戒壇の大御本尊を根本に、御法主上人が書写された御本尊をもって、信心に励
んでいたのである。この本尊観がどこで変わってきたのであろうか。 次回において、戸田氏が「本尊論がまことに大事なところなんです。これが狂ってくると、一切が狂ってくる」
と述べたごとく、本門戒壇の大御本尊を切り捨てるまでの変遷の経緯(けいい) を辿(たど)ってみることにする。
(慧妙 平成三年一月十六日号)
三代会長が口を揃(そろ)へて力説した信心の根本
三十年前の十一月二十八日に破門された創価学会は、その後、いかように変わってきたであろうか。今回は信仰の根幹である本尊について考える。
対境たる本尊が大事であることは、言うまでもない。本尊を抜きにして信仰を語ることは難しいであろう。
では、学会における本尊は、どのような捉えられ方をしていたのか。
学会の本尊の中心にあったのが本門戒壇の大御本尊であることは言うまでもない。これは日蓮正宗の信仰をするにあたり絶対的なものである。初代牧口常三郎氏と二代戸田城聖氏においても、日蓮正宗に入信していることから、根源の御本尊が本門戒壇の大御本尊であることは基本線である。
牧口氏は
「御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である」
(『牧口常三郎全集』一○巻一五一頁)
と、大御本尊を信じることが正しい信者と、はっきり指導している。
戸田氏は
「本尊論がまことに大事なところなんです。これが狂ってくると、一切が狂ってくる。 ただ、富士大石寺の文底深秘の大御本尊、これより他にはない。これが根本なのですよ」
(『大白蓮華』昭和三十四年四月号九頁)
「日大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を根本としたお教えでなくてはならない。この教えは、今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかにはないのである」(『戸田城聖全集』三巻八三頁)
と、本尊論が中心であること、さらには、大石寺の本門戒壇の大御本尊を根本とした教えでなくてはならないこと、他にはないと、とまで言っている。
さて、池田大作は何と指導していたか、を見てみる。
池田は
「日蓮正宗総本山大石寺におわします本門戒壇の大御本尊が、いっさいの根本である。 われわれの拝受したてまつる御本尊は、血脈付法の代々の御法主上人のみが、分身散体の法理からおしたためくださるのである」
(『広布と人生を語る』一巻一一二真)
と、分身散体の語を用い、本門戒壇の大御本尊が中心であることを述べていた。 また、
「信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである」(同前三巻一九八頁)
とも言っていた。池田自身の本尊論も、過去の会長の指導を基準にした、本門戒壇の大御本尊を根本としたものであった。
これらを見ても、学会の本尊論とは、本門戒壇の大御本尊を根本に、御法主上人が書写された御本尊をもって、信心に励
んでいたのである。この本尊観がどこで変わってきたのであろうか。 次回において、戸田氏が「本尊論がまことに大事なところなんです。これが狂ってくると、一切が狂ってくる」
と述べたごとく、本門戒壇の大御本尊を切り捨てるまでの変遷の経緯(けいい) を辿(たど)ってみることにする。
(慧妙 平成三年一月十六日号)