滔々と(とうとう)と流れる水は、一見(いっけん)、静かなようでありますけれども、絶(た)えることなく流れることによって、大きな岩をも削(けず)り、あるいは動かしてしまうほどの力を持つのであります。
我々の信心も、そうなのです。絶(た)えることなく信心を続けることが大事です。
様々な罪障(ざいしょう)や色々な問題があっても、持続(じぞく)していく信心の力によって必ず、どんな大きなものでも打(う)ち砕(くだ)くことができるのであります。
ですから、常に休みなく前進し続ける信心、具体的に言うならば、昨日よりは今日、今日よりは明日と、日々成長しながら広布のために挺身(ていしん)することができる信心、これが水の如き信心です。
そして、いかなる苦難や困難にも負けず、一生成仏を期して、たくましく修行するなかで、自他共(じたとも)の幸せを招来(しょうらい)していくのが最高の信心であると、大聖人様はおっしゃっているのであります。
まさに信心は「いかなる時もつねはたいせず(中略)水のごとく信ぜさせ給へる」ことが大事であると、我々は知らなければならないと思います。
(大日蓮 第八百八十二号御書要文②)
我々の信心も、そうなのです。絶(た)えることなく信心を続けることが大事です。
様々な罪障(ざいしょう)や色々な問題があっても、持続(じぞく)していく信心の力によって必ず、どんな大きなものでも打(う)ち砕(くだ)くことができるのであります。
ですから、常に休みなく前進し続ける信心、具体的に言うならば、昨日よりは今日、今日よりは明日と、日々成長しながら広布のために挺身(ていしん)することができる信心、これが水の如き信心です。
そして、いかなる苦難や困難にも負けず、一生成仏を期して、たくましく修行するなかで、自他共(じたとも)の幸せを招来(しょうらい)していくのが最高の信心であると、大聖人様はおっしゃっているのであります。
まさに信心は「いかなる時もつねはたいせず(中略)水のごとく信ぜさせ給へる」ことが大事であると、我々は知らなければならないと思います。
(大日蓮 第八百八十二号御書要文②)