そもそも、総本山への登山参詣の功徳について、大聖人様は『四条金吾殿御返事』に、
「毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし」
(御書一五〇二頁)
と仰せられ、『南条殿御返事』には、
「此の砌(みぎり)に望まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」
(同一五六九頁)
と仰せであります。
「此の砌」とは現時に約せば、すなわち本門戒壇の大御本尊まします、ここ総本山であります。
すなわち、総本山に登山参詣する功徳は、過去遠々劫(おんのんごう)の罪障を消滅し、三業の悪を転じて、法身・般若・解脱(ほうしん・はんにゃ・げだつ)の三徳を成ずることは毛頭疑いなく、一生成仏の大果報を受くることができるのであります。
また、この支部総登山は七万五千大結集総会と同様、これを推進していくなかで獲得するものは実に計り知れないものがあります。それは個人においても、また組織においても、実に顕著に表れてまいります。
すなわち、支部総登山の推進を図っていく過程において信心が磨かれ、足腰が鍛えられ、団結力が増し、いかなる困難・諸魔に遭遇しようとも、それを乗り越え、変毒良薬(へんどくいやく)し、敢然(かんぜん)として広布への
道を前進していくことができる強力な力を身につけることができるのであります。そして、そこで培(つちか)われたものが、今後の広布への戦いへの大きな原動力となって、折伏逆化(しゃくぶくぎゃくけ)の場に発揮されることになるのであります。
(中略)
支部登山も同様、講中が一丸となって推進していくなかで、広布の団体としての使命を自覚し、一天広布を目指して前進する強靭な講中体勢を構築していくことができるのであります。
(大日蓮・平成二十一年二月号、唱題行(一月十一日)の砌)
「毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし」
(御書一五〇二頁)
と仰せられ、『南条殿御返事』には、
「此の砌(みぎり)に望まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」
(同一五六九頁)
と仰せであります。
「此の砌」とは現時に約せば、すなわち本門戒壇の大御本尊まします、ここ総本山であります。
すなわち、総本山に登山参詣する功徳は、過去遠々劫(おんのんごう)の罪障を消滅し、三業の悪を転じて、法身・般若・解脱(ほうしん・はんにゃ・げだつ)の三徳を成ずることは毛頭疑いなく、一生成仏の大果報を受くることができるのであります。
また、この支部総登山は七万五千大結集総会と同様、これを推進していくなかで獲得するものは実に計り知れないものがあります。それは個人においても、また組織においても、実に顕著に表れてまいります。
すなわち、支部総登山の推進を図っていく過程において信心が磨かれ、足腰が鍛えられ、団結力が増し、いかなる困難・諸魔に遭遇しようとも、それを乗り越え、変毒良薬(へんどくいやく)し、敢然(かんぜん)として広布への
道を前進していくことができる強力な力を身につけることができるのであります。そして、そこで培(つちか)われたものが、今後の広布への戦いへの大きな原動力となって、折伏逆化(しゃくぶくぎゃくけ)の場に発揮されることになるのであります。
(中略)
支部登山も同様、講中が一丸となって推進していくなかで、広布の団体としての使命を自覚し、一天広布を目指して前進する強靭な講中体勢を構築していくことができるのであります。
(大日蓮・平成二十一年二月号、唱題行(一月十一日)の砌)