『聖愚問答抄』には
「病者(びょうしゃ)は薬をもしらず病(やまい)をも弁(わきま)へずといへども服(ふく)すれば必ず愈(い)ゆ。行者も亦然(またしか)なり。法理(ほうり)をもしらず煩悩をもしらずといへども、只(ただ)信ずれば見思(けんじ)・塵沙(じんじゃ)・無明(むみょう)の三惑(さんなく)の病を同時に断じて、実報(じっぽう)寂光の台(うてな)にのぼり、本有三身(ほんぬさんじん)の膚(はだえ)を磨かん事疑ひあるべからず。されば伝教大師云はく『能化所化倶(のういけしょけとも)に歴劫(りゃっこう)無く、妙法経力(きょうりき)即身成仏す』と」(御書 四〇八頁)
とおしゃって、しっかりとお題目を唱えることが、いかに大事かを御教示であります。(中略)
つまり、しっかりとお題目を唱えていけば成仏の境界(きょうがい)に至るのであり、伝教大師は「能化所化倶に歴劫無く、妙法経力即身成仏す」と、妙法の力がいかにすばらしく広大であるかを仰せであります。
だから、お題目をしっかり唱えていくことが大事であり、皆さん方は常々(つねづね)行っていると思うけれども、例えば折伏に行く時も、お題目をしっかり唱えると、境界が違ってくるのです。怒りっぽい人も、怒らなくなります。
折伏に行って、怒ってはだめですし、けんかをしてはだめです。説得するならばいいですが、けんかしてはいけません。しっかりと胆力(たんりょく)を鍛えていくためには、やはりお題目です。しっかりとお題目を唱えていけば、折伏ばかりでなく、日常生活のなかでも、きちんと胆力(たんりょく)が備わり、どんな難事(なんじ)でも必ず乗り越えることができるのであります。
(大白法 一〇一二号 夏期講習会御法主上人猊下御講義)
「病者(びょうしゃ)は薬をもしらず病(やまい)をも弁(わきま)へずといへども服(ふく)すれば必ず愈(い)ゆ。行者も亦然(またしか)なり。法理(ほうり)をもしらず煩悩をもしらずといへども、只(ただ)信ずれば見思(けんじ)・塵沙(じんじゃ)・無明(むみょう)の三惑(さんなく)の病を同時に断じて、実報(じっぽう)寂光の台(うてな)にのぼり、本有三身(ほんぬさんじん)の膚(はだえ)を磨かん事疑ひあるべからず。されば伝教大師云はく『能化所化倶(のういけしょけとも)に歴劫(りゃっこう)無く、妙法経力(きょうりき)即身成仏す』と」(御書 四〇八頁)
とおしゃって、しっかりとお題目を唱えることが、いかに大事かを御教示であります。(中略)
つまり、しっかりとお題目を唱えていけば成仏の境界(きょうがい)に至るのであり、伝教大師は「能化所化倶に歴劫無く、妙法経力即身成仏す」と、妙法の力がいかにすばらしく広大であるかを仰せであります。
だから、お題目をしっかり唱えていくことが大事であり、皆さん方は常々(つねづね)行っていると思うけれども、例えば折伏に行く時も、お題目をしっかり唱えると、境界が違ってくるのです。怒りっぽい人も、怒らなくなります。
折伏に行って、怒ってはだめですし、けんかをしてはだめです。説得するならばいいですが、けんかしてはいけません。しっかりと胆力(たんりょく)を鍛えていくためには、やはりお題目です。しっかりとお題目を唱えていけば、折伏ばかりでなく、日常生活のなかでも、きちんと胆力(たんりょく)が備わり、どんな難事(なんじ)でも必ず乗り越えることができるのであります。
(大白法 一〇一二号 夏期講習会御法主上人猊下御講義)