妙法を耳に触れた者は、たとえ信ぜず反対する者であったとしても、その人の心田(しんでん)に仏種が植えられたことになり、それが種(しゅ)となり、熟(じゅく)となり、必ず成仏に至ることができると仰せられています。
それ故に、天台大師も「此の心を以(もっ)て、強(し)ひて法華経を説くべき」であると仰せられているのであります。
つまり、末法当今(まっぽうとうこん)の本未有善(もんみうぜん)の衆生は、直接、法華経を誹謗(ひぼう)していなくても、知らず知らずのうちに、謗法の害毒(がいどく)によって、法華誹謗の罪を犯しているわけでありますから、私どもは「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし」と仰せのように、とにかく謗法を破折(はしゃく)し、法華経を強いて説くことが大事なのであります。
(大白法 九六九号 十一月度広布唱題会の砌)
それ故に、天台大師も「此の心を以(もっ)て、強(し)ひて法華経を説くべき」であると仰せられているのであります。
つまり、末法当今(まっぽうとうこん)の本未有善(もんみうぜん)の衆生は、直接、法華経を誹謗(ひぼう)していなくても、知らず知らずのうちに、謗法の害毒(がいどく)によって、法華誹謗の罪を犯しているわけでありますから、私どもは「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし」と仰せのように、とにかく謗法を破折(はしゃく)し、法華経を強いて説くことが大事なのであります。
(大白法 九六九号 十一月度広布唱題会の砌)