大聖人様御自身が、身軽法重(しんきょうほうじゅう)・死身弘法(ししんぐほう)のお振る舞いをもって折伏を行じ、その藩(はん)をお示しあそばされたお姿を拝するとき、我らもまた大聖人様の弟子檀那として、いかなる困難、障害にも遭遇しようとも少しも憶(おく)することなく、また一歩も退(しりぞく)くことなく、決然(けつぜん)として二陣、三陣とそのあとに続き、折伏逆化(ぎゃっけ)の戦いに挑んでいかなければならないのです。(中略)
折伏逆化の戦いに参ずる者は、一人ひとりが、大聖人様の弟子檀那として一切衆生救済の誓願に立ち、異体同心・一致団結し、決然として折伏を行じていけば、必ず誓願を達成し、広宣流布は達成できることを確信すべきであります。
『兄弟抄』には、
「設とひいかなるわ(頬)づらはしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさ(思)はぐ(索)らせ給ふべし」
(御書 九八七㌻)
と仰せであります。
一切のわだかまりも、障害も、苦悩も、困難も、内外の魔も、すべて題目によって粉砕し勇猛心(ゆうみょうしん)をもって折伏に励むところには、おのずと結果は付いてくるものであります。
(大白法九五五号 四月度広布唱題会の砌)
折伏逆化の戦いに参ずる者は、一人ひとりが、大聖人様の弟子檀那として一切衆生救済の誓願に立ち、異体同心・一致団結し、決然として折伏を行じていけば、必ず誓願を達成し、広宣流布は達成できることを確信すべきであります。
『兄弟抄』には、
「設とひいかなるわ(頬)づらはしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさ(思)はぐ(索)らせ給ふべし」
(御書 九八七㌻)
と仰せであります。
一切のわだかまりも、障害も、苦悩も、困難も、内外の魔も、すべて題目によって粉砕し勇猛心(ゆうみょうしん)をもって折伏に励むところには、おのずと結果は付いてくるものであります。
(大白法九五五号 四月度広布唱題会の砌)