大聖人は『一念三千法門』(いちねんさんぜんほうもん)に、
「此(こ)の娑婆世界(しゃばせかい)は耳根得道(にこんとくどう)の国なり」(御書 一一0㌻)
と仰せです。「耳根得道」(にこんとくどう)というのは、まさに仏法を聞くことによって衆生が成仏得道(じょうぶつとくどう)
するということで、例えば、私どもが折伏すると、素直に聞く人もいますけれどもたいてい反対する人が多いでしょう。
しかし、その時は反対しても、私どもの話が耳朶(じだ)に残り、それが縁となって入信に至(いた)ることがあります。
したがって、折伏は「強(し)いて法華経の五字の題名(だいみょう)を聞かすべきなり。是ならでは仏になる道はなきが故なり」
との御金言(ごきんげん)を胸に、確信を持ってすることが大事なのであります。
(中略)特に、本年はまた「折伏育成の年」であります。折伏したら、折伏された人が折伏できるように、私どもは育成をしていかなければなりません。折伏してそのままでは、まさに産んだ赤子をそのままにするようなものであります。されば本年、皆様方には、この「折伏育成の年」の意義をよく弁(わきま)えて、折伏に、そして育成に励み、もって皆で平成三十三年を名実(めいじつ)共にお迎えいただきたいと思います。
(大白法・平成二十九年 法華講連合会春季総登山の砌)
「此(こ)の娑婆世界(しゃばせかい)は耳根得道(にこんとくどう)の国なり」(御書 一一0㌻)
と仰せです。「耳根得道」(にこんとくどう)というのは、まさに仏法を聞くことによって衆生が成仏得道(じょうぶつとくどう)
するということで、例えば、私どもが折伏すると、素直に聞く人もいますけれどもたいてい反対する人が多いでしょう。
しかし、その時は反対しても、私どもの話が耳朶(じだ)に残り、それが縁となって入信に至(いた)ることがあります。
したがって、折伏は「強(し)いて法華経の五字の題名(だいみょう)を聞かすべきなり。是ならでは仏になる道はなきが故なり」
との御金言(ごきんげん)を胸に、確信を持ってすることが大事なのであります。
(中略)特に、本年はまた「折伏育成の年」であります。折伏したら、折伏された人が折伏できるように、私どもは育成をしていかなければなりません。折伏してそのままでは、まさに産んだ赤子をそのままにするようなものであります。されば本年、皆様方には、この「折伏育成の年」の意義をよく弁(わきま)えて、折伏に、そして育成に励み、もって皆で平成三十三年を名実(めいじつ)共にお迎えいただきたいと思います。
(大白法・平成二十九年 法華講連合会春季総登山の砌)