今、我々の折伏も、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の大神通力(だいじんつうりき)、楽説弁力(ぎょうせつべんりき)、大善寂力(だいぜんじゃくりき)を目の当たりにして、増上慢(ぞうじょうまん)の四衆(ししゅう)が等しく、その説くところを聞いて信伏随従(しんぷくずいじゅう)するに至(いた)ったように、確(かく)たる現証(げんしょう)を示すことが肝要であります。
そのためには、まず自らが自行化他の信心に励むことであります。自行化他の信心に励むところ、必ず自然と妙法(みょうほう)の広大(こうだい)なる功徳(くどく)によって、不軽菩薩と同様に、大神通力、楽説弁力、大善寂力を得ることができるのであります。
故に、大聖人は『御義口伝(おんぎくでん)』に、
「所詮今日蓮等(しょせんいまにちれんとう)の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱(となえ)え奉(たてまつ)る行者は末法(まっぽう)の不軽菩薩(ふきょうぼさつ)なり」
(御書一七七八㌻)
と仰せられているのであります。
すなわち、我らが不軽菩薩と同様に、大神通力、楽説弁力、大善寂力を得ることができれば、おのずと我らの身口意(しんくい)の三業にわたるすべてが折伏に役立つ、強烈(きょうれつ)な説得力(せっとくりょく)を持つことになるのであります。
(大白法 台湾法華講記念総会の砌)
そのためには、まず自らが自行化他の信心に励むことであります。自行化他の信心に励むところ、必ず自然と妙法(みょうほう)の広大(こうだい)なる功徳(くどく)によって、不軽菩薩と同様に、大神通力、楽説弁力、大善寂力を得ることができるのであります。
故に、大聖人は『御義口伝(おんぎくでん)』に、
「所詮今日蓮等(しょせんいまにちれんとう)の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱(となえ)え奉(たてまつ)る行者は末法(まっぽう)の不軽菩薩(ふきょうぼさつ)なり」
(御書一七七八㌻)
と仰せられているのであります。
すなわち、我らが不軽菩薩と同様に、大神通力、楽説弁力、大善寂力を得ることができれば、おのずと我らの身口意(しんくい)の三業にわたるすべてが折伏に役立つ、強烈(きょうれつ)な説得力(せっとくりょく)を持つことになるのであります。
(大白法 台湾法華講記念総会の砌)