「此の経を聞きうくる人は多し。
まことに聞き受くる如くに大難来たれども『憶持不忘(おくじふもう)』の人は希(まれ)なるなり。受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(四条金吾殿御返事 七七五)
とお示しになっております。この御文は、初信の方々にありがちな、
「信心してるのだけれども、どうもうまくいかない」
と言う考え方に対して、大聖人がきちんと御教示くださっているのです。
まず、「憶持不忘」と言うのは、御本尊様をしっかりと受持して、そのことを忘れないと言う意味です。
そして、そういう人はまれだということを仰せであります。
例えば、「この信心に入ったら、何もしなくても幸せになれる」
などと勘違いして入信する人が、実際にいるのです。皆さんは、まさか
「なにしろ、この御本尊様は尊いから、勤行しなくても幸せになれる」
などと言って折伏をしてはいないと思うけれども、そのような折伏をしてはいけません。むしろ逆です。
「この信心に入ったら、しっかりと朝夕の勤行をし、折伏をして、そして幸せになるんですよ」と教えなくてはだめです。
それをいい加減にやっていると
「この信心に入ればいいのだ」
ということになり、ただ御本尊を受けるだけで、勤行もしない、折伏もしない、御登山もしない、御講も行かない、会合にも出ない。
それで幸せになれますか。
ですから、こういったことからも、やはり育成をしっかり行っていかなければなりません。
育成は化他行でありますから折伏と同じで、人を育てるということです。
では、どのように育てるか、それは、折伏された人が折伏出来るようになるまで育てていかなければなりません。
そのようにしていくところに、平成二十七年と三十三年の誓願達成の原点があるのです。
(平成二十四年度 第九回 法華講夏期講習会 御講義 第一期 平成二十四年五月二十日)
まことに聞き受くる如くに大難来たれども『憶持不忘(おくじふもう)』の人は希(まれ)なるなり。受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(四条金吾殿御返事 七七五)
とお示しになっております。この御文は、初信の方々にありがちな、
「信心してるのだけれども、どうもうまくいかない」
と言う考え方に対して、大聖人がきちんと御教示くださっているのです。
まず、「憶持不忘」と言うのは、御本尊様をしっかりと受持して、そのことを忘れないと言う意味です。
そして、そういう人はまれだということを仰せであります。
例えば、「この信心に入ったら、何もしなくても幸せになれる」
などと勘違いして入信する人が、実際にいるのです。皆さんは、まさか
「なにしろ、この御本尊様は尊いから、勤行しなくても幸せになれる」
などと言って折伏をしてはいないと思うけれども、そのような折伏をしてはいけません。むしろ逆です。
「この信心に入ったら、しっかりと朝夕の勤行をし、折伏をして、そして幸せになるんですよ」と教えなくてはだめです。
それをいい加減にやっていると
「この信心に入ればいいのだ」
ということになり、ただ御本尊を受けるだけで、勤行もしない、折伏もしない、御登山もしない、御講も行かない、会合にも出ない。
それで幸せになれますか。
ですから、こういったことからも、やはり育成をしっかり行っていかなければなりません。
育成は化他行でありますから折伏と同じで、人を育てるということです。
では、どのように育てるか、それは、折伏された人が折伏出来るようになるまで育てていかなければなりません。
そのようにしていくところに、平成二十七年と三十三年の誓願達成の原点があるのです。
(平成二十四年度 第九回 法華講夏期講習会 御講義 第一期 平成二十四年五月二十日)