大聖人様は『生死一大事血脈抄』に、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶う
べき者か、剰(あまつさ)え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」
と仰せられております。
まさに、御本仏の御金言には絶対、嘘、偽りなどはないのであります。
したがって、もし折伏が低迷している支部があれば、まずこの異体同心の御聖訓をよくよく拝し、低迷を打開(だかい)するためにも、抜本的に異体同心の団結を図っていくことが肝要(かんよう)であろうと存じます。
そもそも異体同心の同心とは、大聖人様の御意(ぎょい)を正しく拝し、広宣流布達成の一点にすべての焦点を合わせていくことを言うのであります。
前にも話をしたことがありますが、私達は何があろうとも一丸となって、広宣流布の一点に向かって団結していかなければなりません。このことが異体同心をしていく上で、一番大事なことなのです。
(全国正副宗務支院長会議の砌 大日蓮八四四号)
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶う
べき者か、剰(あまつさ)え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」
と仰せられております。
まさに、御本仏の御金言には絶対、嘘、偽りなどはないのであります。
したがって、もし折伏が低迷している支部があれば、まずこの異体同心の御聖訓をよくよく拝し、低迷を打開(だかい)するためにも、抜本的に異体同心の団結を図っていくことが肝要(かんよう)であろうと存じます。
そもそも異体同心の同心とは、大聖人様の御意(ぎょい)を正しく拝し、広宣流布達成の一点にすべての焦点を合わせていくことを言うのであります。
前にも話をしたことがありますが、私達は何があろうとも一丸となって、広宣流布の一点に向かって団結していかなければなりません。このことが異体同心をしていく上で、一番大事なことなのです。
(全国正副宗務支院長会議の砌 大日蓮八四四号)